今とは明らかに違う時代背景が…そうさせた? | No Music , No Soccer , No Motersports , No Life

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読書記録 2020年/ 70冊目 
読書期間/ 2020.06.17〜06.21

『 人間失格 』
 ningenshikkaku 
著者/ 太宰治 
dazaiosamu 




昭和二十七年十月三十日 発行
平成十八年一月十五日 百五十六刷改版
平成三十年五月二十五日 二百刷
発行所/ 株式会社 新潮社 新潮文庫 た-2-5

「恥の多い生涯を送ってきました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる…この物語は、著者 太宰治の内的、精神的な自叙伝と云われる。事実そのものを描いたものではないが、原体験をもとに表現しているため、著者 太宰治と重ねてしまう。

恥の多い生涯、自分には人間の生活というものが見当たらず…。

幼き日の体験や他人には信じられない行いが、人の人生…人格をも変えてしまう。その中でも、道化を演じ自らをよく見せようとするのは子ども心。その行為をも、ある種同類の学友に見破られ、道化を演じることにも疲れ、可愛らしさも時を経て、容姿にだけは面影をとどめるが、心は闇に入り込んでいるために暗く冷めたものを見るものに与える。

人は変わり
時は過ぎゆくもの。
そして
時の過ぎゆくままに
この身を
まかせることの
できなかったものの人生でもある。

人の営みが理解できず、与えられたものを好みに合わないと拒むこともできず、二者選一の力すらなく、イヤなことをイヤと言えず、自らを異質と捉え、多数派、共同体の中に入り込むことを思いながらも拒みもがき、学び知識は得ても、自らを操るものは幼き日の、あの体験…思い。

そして葛藤する様が醸し出すものが、多くの女性を引きつけ、惑わす。人に不機嫌さを与え、自らは人間に対し不信を抱き、生きた時代がそうさせたのかもしれないが、人々が何のためにつながり、結びついているかを理解すれば、決して追い込まれていくことは無かったのでは?と想像する。

人は人、自分は自分とはいえない時代背景。人と同じことは善であり、人と異なることは悪、誤り。それは今もきっと変わらないことかもしれない。

誰かの為にともがく故に、人は弱さを繕い、強くありたいと思うもの。人との繋がりの中に自らを置きたいと、せつに思い、人を愛し、信じ、自らを偽らずに日々を過ごしたいと、これは儚い夢だろうか?今を生きる人も、同じ問題?課題を抱え、日々を過ごしている故に、今も求められる物語であり、当たり前のことが当たり前のことと思えぬまでに追い込まれていた故にか、時折…もどかしさを感じる。

人格は人それぞれのもの、違って当たり前のことで…多数派、共同体に染まらないこと、異質であることが悪いことと決めつけ、追い込み、支配する側の問題をも浮き彫りにするが、何故、物事の思考の矛先を変えることができなかったのか?多数派、共同体に染まるのではなく、自らを変えることは可能であり、それは不安と恐怖に対して打ち勝つための思考。

人間の隠された本質的な潜在的な悪を浮き彫りにする多数派…共同体。多数派が正しいものとは限らないし、人の為といいつつ偽りに満ちた世間の醜さを奇怪に描きつつ、自ら感じ苦しんだ恐怖を凄まじく鮮明に語る。その場にいたくないと怖さを感じ、薄い本書を閉じることもときに現れる。そこまで、自ら追い込むか?と…

「世間とは、いったい、何の事でしょう」。「世間というのは、君じゃないか?」と解かれ、世間とは、自分の中に潜む、都合のいい社会の在り方。世間から解放されることは、自らを解き放つことであり、物事を多角的に捉えることを可能にする。

自らを闇の中に閉ざすこと、自閉的な過ごすことが、人としてあるまじき行為と世間は解く。しかし、その世間は…自分自身であり、自分が下したもの。

人を、人間を失格と、人格をも否定する行為は今もリアルに存在し、誹謗中傷し、追い込んだりしている社会という世間。悪と罪、どちらの概念も人間が作り出した善悪の概念によるもの。個々の人の中に植えつけられた概念の、こうあるべきなんだという意識、無意識に働く意識が働く。

自ら命を断つことを良しとはいえないが、それは結果。その結果に至った行為は何を為すのかを問う。

人生とは結果に至るまでの体験、思考、出会いが人を形成し、成していくもの。

人の為という言動が、多々…人を葬り、壊していく。

この物語は、著者の急ぎすぎた…性急な人生は多くの人の、心に作品とともに宿る。






きっと、この本、この作品はこれからも、再読していく一冊。はじめて読んだ時は、叔父の本棚から拝借し、書かれていることが何も分からなく、何か凄いものを読んでしまった感があったことだけは記憶にあり、それは今も変わらないし、書き綴られていることをすべて理解しようと思い、何度も読んでいるワケでもない。