吾輩は〇〇である

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「夏目漱石の日」
文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を送ると伝えたのに対して、1911年のこの日に漱石が「自分に肩書きは必要ない」として博士号を辞退する旨を書いた手紙を時の文部省専門学部局長に送ったことに由来する。
(Wikipediaより)

「吾輩は猫である」にかけての吾輩は○○であるですね。
夏目漱石の代表作の1つである「吾輩は猫である」です。
読んだ事あります。
思いきり人目線の猫が見る人間社会を描いてある話です。

名前は有名ですが、意外と読んだ事がないという人が多い小説ではないでしょうか。
一般の書店でもAmazonでもブックオフでも普通に買えます。
読むと名作と言われる理由がよく分かるはずです。
面白い小説です。

へぇ~と思ったニュースです。
鳥取砂丘から古い「ファンタグレープ」の空き缶が出土→情報を募った結果とても貴重なものと判明  ファンタ公式も反応
(ねとらぼ)

「本日、鳥取砂丘から出土したものです」。
鳥取砂丘ビジターセンターが2月16日、古い「ファンタグレープ」の空き缶を発見。
Twitterでいつの時代のデザインか情報を募集したところ、とてもレアなものだったことが判明しました。
ここまで形を保ったまま出てくるとは……! 
ねとらぼ編集部ではセンターの発見者に話を聞くことができました。

同センターが1970年代の缶ではないかと、ある程度のあたりをつけつつ情報提供を呼びかけたところ、デザインにあるのは「1955年~1970年のロゴ」であり、「初期の缶タイプのファンタ」「長野~西日本限定?」といった情報が次々に寄せられました。

さらにファンタの公式アカウントも反応。
「これは1968~1974年に発売されたファンタグレープ…!」と、約7年の間だけ製造されていた缶のデザインだったことが判明したのでした。
「なかなかお目にかかれない、とても貴重なものです!」と公式も興奮しているのが伝わってくる!

Twitterでは「子どもの頃…70年代前半の夏休み、長野の親戚の家近くの自販機でこのデザインを見つけてお土産に買った覚えがあります」と懐かしむコメントや、「太めの缶は、西日本ぐらいでの販売でした。
関東では細い缶しかなく、修学旅行で京都へ行った時に、太い缶が珍しかったです」と、地域によって缶の形に違いがあったことなど、ファンタに関するさまざまな知識や思い出話が寄せられています。

鳥取砂丘ビジターセンターは補足として、「観光地としての鳥取砂丘になった後のモノ」だと時代背景も説明。
その頃から50年近く、ほとんど錆びずに砂に埋まっていたと考えるとすごい……。

鳥取砂丘ビジターセンター・ジオパークガイドの石川瑛代(いしかわ あきよ)さんに詳しい話を伺うと、今回の「ファンタグレープ」の空き缶は、いつものように現在の砂丘の様子を確認しているときに、馬の背(※真下から眺めると標高46メートルにもなる砂の壁、砂丘列の通称)正面からふもとに降りた辺りで発見したそうです。

最初は缶の一部が見えているだけで、ゴミだと思って引き抜いたところ、見たことのないデザインのファンタだったことから写真を撮影。
現在この缶は、他の珍しい発見物とともに一緒に保管してあるとのことです。

ちなみに以前、ファンタに関しては昔の瓶が出てきたこともあったのだとか。
砂丘でこうした年代物はよく見つかるのかという疑問については、「土器や寛永通宝(江戸時代の銭貨)」から、「かつて陸軍の演習場だったこともあり銃弾なんかも出てくる」との回答が。

空き缶は、海洋ゴミとして漂着したものが、強風で砂丘に入り込むことがあるため時々見つかるとのこと。
古いモノに限らなければ、特に冬の海からの季節風や台風の後などは、砂の下から空き缶以外にもさまざまなものが見つかるそうです。

鳥取砂丘では、美しい自然を守るため1980年から春と秋の年2回、一斉清掃を実施しています。
過去のゴミの量を見ると、昭和の間はゴミの収集量は1回につき約10~20トン。
その後徐々に減少していき、1998年ごろからは3トン以下に。
現在では、可燃物・不燃物合わせて2トン前後のゴミが出ていることが報告されています。

今回タイムカプセルのような形で見つかった“珍しい空き缶”ですが、鳥取砂丘では県の条例や自然公園のルールに基づき、ゴミを捨てることはもちろん、砂丘への落書きや穴を掘ったりすることも禁止しています。
ゴミの投棄および掘り起こしなどの行為は絶対にやめましょう。
(以上引用)

Yahoo ! ニュースには↑の写真1枚だけですが、元記事のねとらぼでは他の写真があります。
1968年~1974年に生産されていたとあります。
子供の頃だから覚えていないです。

鳥取砂丘に行った事はありません。
行った事ないから実感としては分かりませんが、広さや砂の量からして有り得る話な気はします。
砂は常に動いていますし、埋もれた状態がずっと続いていたんでしょう。
しかも水に浸からない(濡れない)場所だったと思われます。

夢があるのとは違うけど、こんな事もあるんですね。
単純にすごいと思います。

話は変わります。
今日2月21日は、こんな日でもあります。
1988年 - 8センチサイズシングルCDが日本国内で初めて販売される。
(Wikipediaより)

1988年は、昭和63年です。
という事は、シングルに限らずCDは平成の時代の象徴とも言えます。

8センチCDは、そんなに買う事はありませんでした。
洋楽は、シングルでも通常の12cmサイズなのがほとんどでした。
邦楽も聴いていたけど、 シングルを買ったりレンタルする事は少なかったです。

でも、今でも手元にある8cmシングルCDはあります。
ピチカート・ファイヴのシングルCDです。

左上から
「きみみたいにきれいな女の子」(1998年7月)
メッセージ・ソング」(1996年12月) 
「恋のルール・新しいルール」(1998年1月)
「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」(1997年3月)
「モナムール東京」(1997年6月)
悲しい歌」(1995年10月)

ピチカート・ファイヴは、CDの装丁が凝っていてシングルでも12cmサイズでリリースする事が多かったです。
8cmサイズ、"短冊形"のシングルはそう多く出していません。
というか、1999年以降は8cmシングルを出していないように思います。
  
ピチカート・ファイヴは、8cmシングルでも装丁に凝っているCDがあります。
「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」は、外側が三つ織になっていてカラーリングを変えてあります。
中はモノクロです。
クールでかっこいいデザインです。
「恋のルール・新しいルール」は、外袋がジャケットになっています。
中の歌詞カードは、ラミネート加工されています。
外袋自体がジャケットとしてデザインされているシングルCDは、少ないと思います。

という事で、↑の中から曲を紹介します。
Pizzicato Five / イッツ・ア・ビューティフル・デイ

1997年6月リリースのアルバム、「ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド」にも収録されています。
MVもそうですが、昭和のGS(グループサウンズ)を意識したようなコーラスが印象的です。
全体的な音は現代的ですが、ギターやドラムを昭和ぽい音にしている感じです。

小西康陽さんは、GSのバンドマンをイメージさせるスタイルです。 
野宮真貴さんのミニスカワンピースもツイッギーをイメージさせている感じです。
 MVには出ていませんが、この曲でギターを弾いているのは小山田圭吾さんです。
Pizzicato Five / 恋のルール・新しいルール

この曲は、アルバムには未収録です。
後に2001年リリースのベストアルバム「ピチカート・ファイヴR.I.P.〜Big Hits and Jet Lags 1998-2001」されています。

小西康陽さんがリスペクトしている筒美京平さんが作曲です。
ピチカートマニア(ピチカート・ファイヴファンの総称)以外にはあまり知られていない曲だと思います。
ピチカート・ファイヴ後期の名曲の1つです。
すごく好きな曲です。

オマケ
Pizzicato Five / 銀ちゃんのラブレター

シングル「メッセージ・ソング」のカップリング曲です。
NHK「おかあさんといっしょ」で歌われていた曲のカバーです。(作詞:俵万智作曲:福田和禾子)

ブログを書くのに久しぶりに聴きました。
童謡というか、子供向けの曲までこなすピチカート・ファイヴってすごいと改めて思いました。
「おかあさんといっしょ」で歌われていたからか、割と有名な曲みたいです。
歌ってみた系の動画が複数あります。

ピチカート・ファイヴはマメに追いかけて聴いていました。
CDは国内盤も輸入盤も買っていましたが、把握しきれない部分もありました。
同じ曲のバージョン違いが本当に多いです。
忘れている曲もあったりして今回のように久しぶりに聴いて再発見する事もあります。

今日のブログスタンプの答えで閉めます。
「吾輩はピチカートマニアである」