本日は、唐の高僧で日本に渡って日本律宗を開いた鑑眞(がんじん)の763(天平宝字7)年の忌日です。



鑑眞が開山した唐招提寺では、月遅れの66を「開山忌」としています。

毎年65日~679:0016:00)開祖・鑑真大和上を偲び、国宝鑑真和上坐像を収めた厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができるそうです。

(尚、特別拝観の期間は年によって変更される場合がありますので、詳しくは「唐招提寺HP をご確認ください。)


開山鑑真大和上の命日(6月6日)にちなんで催される「開山忌舎利会」は、和上が請来した舎利を奉り、和上の徳を偲ぶ行事です。

 


鑑眞は中国の揚州生まれで、14歳で智満について得度し、大雲寺に住んでいました。

18歳で道岸から菩薩戒を受け、20歳で長安に入り、翌年弘景について登壇受具し、律宗・天台宗を学びました。

鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされています。

 

度重なる日本への渡海失敗の後、天平勝宝51226日大宰府に到着しました。

天平宝字2(758)、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされました。

天平宝字3(759)、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置したのです。

鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝え、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組み、天平宝字7(763年)唐招提寺で死去しました。

享年76才でした。