キャンセルされた「第5戦 日本GP」

 

大盛況と思われた76年の「F1選手権インジャパン」はスポーツニッポン新聞社が赤字を理由に主催を辞退したことで一転。4月に予定していた第5戦の日本GPはキャンセルとなってしまいました。3年間は開催することで誘致したJAFは困惑することに。モーター誌で大きく紹介されていたF1情報と再挑戦する日本勢への期待が高まっていただけにとても残念なニュースでした。

 

 

大人の事情も⁉ 最終戦に組み込まれた77年日本GP

 

その後、JAFを主体に「日本モータースポーツ協会」が設立され、開催への交渉が開始され、約3億円の契約金で10月23日に日本グランプリ延期が承認されたのは「中止」の発表からわずか18日後の出来事でした。延期に対する費用6000万円は偶然にも前年の赤字金額と同額だったとか?また、この時点では「開催」が決定されたわけではなく、すっきりしない心持ちでした。

 

協賛社からの資金の調達にはたいへん苦戦していたようで、正式な開催決定は5月後半だったと記憶しています。日本勢の再挑戦に期待は高まり、今度こそは晴天の下で観れることを毎日楽しみにしていました。

 

 

走り出したコジマ009

 

コジマ009の第一回テスト走行は7月14日。燃料系のトラブル対策に時間を費やし、走行を開始した直後に左アッパーアームが座屈して中止になったとか。残念ながらわずか5周で終了となってしまった様です。

 

 

 

 

 

BS系のタイヤショップでは星野・高原両選手を応援するキャンペーンが展開されました。

 

また、ビックレースの際にはデモンストレーション走行が実施され期待は高まる一方でした。

 

 

1977.08.07 (富士フォーミュラチャンピオンレース)

 

 

サイドスカートも装着した9月。GCレース時にお披露目されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1977.09.04 (富士インター200マイルレース)

 

 

無念と絶望

 

日本勢の参戦が残念な結果となった要因は所説ありますが、関係者の総力を投じての結果は改めて世界との差を感じた機会でもありました。

 

最悪だったのは立ち入り禁止区内の観客を巻き込んだアクシデントが大きく取り上げられられたことでイメージが失墜してしまったことです。主催者が残り2年間の契約を解除したためF1の開催が無くなるとともにサーキット廃止運動の火種にもなってしまいました。

 

 

 

 

【閲覧注意】放送事故レベルの決勝の動画はこちらから。

 

 

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開催の延期で決勝日が修学旅行日程と重なってしまいこの年は観戦を断念。定期テスト最終日は校門前で待ち合わせて午後からの予選を観戦いたしました。最終コーナーで観た「6輪ドリフト」と「マトラ」の排気音は今でも忘れられません。