更年期をヒラリとかわす!女のプチ鬱ヒーリング日記「笑いながらタメ息」 -142ページ目
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ケータイが奪っていったもの

携帯


私には高校生の息子がいるんだが、困ったことに彼の交友関係がほとんどわからない。クラスで仲のいい子の名前くらいは知っているけど、顔もわからないし、声も聞いたことがない。

そう、それもこれもすべてはケータイのせいでございます。
今の子は、連絡といえばケータイ。家電にかけてくる子なんていやしない。

私たちがその年令の頃は、当然連絡するなら家の電話。しかも当時は電話というモノはたいていリビングとかにあって、家族の見せ物状態で話さきゃならないことも多かった。イヤだったなー、あれ。

こっちがかける場合は、かけたら最初に出るのは向こうの親ということも当然多くて、小さい頃ならともかく、“彼”なぞが出来た際、彼の家に電話をかけるのは超緊張したもんです。いきなり本人が出たら大ラッキー!という、まさに坊主めくり状態。
その点では今の子たちの状況は、正直ひたすら羨ましいですが。

子供にしたら、いちいち相手の親に愛想のひとつも言わないですむのは、そりゃラクでしょう。でも逆に親の立場からすると、誰と付き合っているのか知る手段を断ち切られたってことで。不安というより、まずは単純に、友達がどんな子か知りたくてしょうがない。
でもわからない。
うずうずうずうず。

ここでいきなり話は「敬語」問題に飛ぶ。

実は私は、いま敬語がちゃんとできない子が多い原因のひとつがケータイなんではないかと思っているんですよ。

だって友達の家に電話して親がでたら、まずは敬語とか丁寧語でしゃべってみようと思うじゃない? 電話って、いちばん身近な「敬語強制機器」だと思うの。それが子供の頃から一切ないんだもの。学校でもろくに敬語は使わないし(学校にもよるが)、ちゃんと使えるようになるわけがない。

親がちゃんと教えておけってことかな? それとも親がちゃんとしてれば、それを見て自然と覚える?

と、すっかりご意見番おばさんモードの私。

敬語って社会人になってから学んでも、なんとかはなるらしい。でも元々身に付いていて、滑らかに自然に使えた方がキレイな感じがするじゃない? 人としても女としても。

私の友達で、どんなに親しくなってもごく普通に丁寧語で話す人がいる。まさに身に付いている、というやつ。あれはやっぱり素敵だなと思う。

いつの間にか、ごく自然に「ヤバくね?」とか言っちゃったりしている己を反省しつつ…。

リンパドレナージュ体験

昨日、生まれてはじめてリンパドレナージュというものをやった。全身のリンパの流れをよくするっていう、あれね。ハダカになってベッドに寝て、オイルをつけてマッサージ。いやもう気持ちよかったです。時々は「痛気持ちいい」だったけど、私はそれも嫌いじゃないし。

最初にいきなり紙パンツ渡されたときは笑った。でもオイルで自前パンツが汚れるからってことらしい。なるほどね。

座り仕事が多い私の場合、膝下でリンパの流れが滞っているってことだった。しかも動脈も詰まっていると。足先の方なんて「このへん、どろどろの血がいっぱいですよ~」と楽しそうに言われてしまった。見えない部分とはいえ、どろどろの血が溜まってるって……面と向かって(うつぶせだったから厳密には面と向かってはいないが)言われるとけっこうショック。

私って、どろどろ女だったのか…。
見えない部分こそキレイに、とはよく言うけど、ここまで見えない部分も含まれるのかなぁ?

とにかく、足首から下が異常に冷えるのは血流が悪いから、というのには納得。私は身体全体はそんなに硬くないんだけど、足首だけが異常に硬いの。それも納得。

そのサロンでは、もちろん痩身系マッサージもやっている。で、最近中年太りを気にしている友達にその話をしたら、なんと彼女の反応は
「やりたいのは山々だけど、こんなぶよぶよのお腹を見せるのは恥ずかしいから行かれない」だと。なにーーー?!

慎み深いと言えばそうだけど、だって、だからこそ行くんじゃない? 私だったら、人には言えない身体の秘密(笑)も、エステティシャンにならみんな言っちゃう。みんな見せちゃう。そのための時間、そのためのお金なんだから。

人にはそれぞれ考え方、いや感じ方がある。私が彼女に比べて恥知らず?なだけかもしれない(その可能性も高いが)。でもやっぱりその道の専門家に、すべてをさらして任せるってことは絶対的に必要なんじゃないかと思う。それが「美」への近道では?

しかし。リンパドレナージュを続けたいと思ったところで、なんせ先立つものが。今回は初回特別料金で8000円だったけど、次回行ったら倍以上の値段。2時間全身をマッサージしてもらってその値段は、先方の技術と労力を考えたら高くはないと思う。でも問題は絶対値。私には高すぎる…。

というわけで、美への近道には、まずお金というハードルがそびえ立っていた。
結局、「お腹を見せたくない」という友達と同じ「行かない」という選択をすることになってしまいそう…。

でも、ならば自分の出来る範囲内で有効な手段を見つけようと思う。
あきらめたらその瞬間で簡単に終わってしまうのが、このお年頃。だからネバーギブアップで行くのだ。

リンパドレナージュ、予算のある方はぜひ一度やってみて。気持ちいいです。

老眼と浮気の相関関係

老眼になった今、もともと目の悪かった自分と目がよかった友達を比べて、あることを学んだ。

「人は、同じ事でも条件次第で辛さを感じる度合いがかなり違う」。

話はここでちょっと飛ぶ。

以前、人としてのモラルについて書かれた本を読んだら、「不倫は罪か」とかいう章があった。その中で著者は、「人が人を好きなるのは気持ちの問題であり、それを止めることはできない。だからそのこと自体を善い悪いと言うこともできない」。「だからもし不倫の罪の重さを量るとすれば、それが周囲の人へ与えたダメージの大きさで図るしかない」と。

つまり、浮気しても「もう~、なんなのよ!」と1発殴って済む人にとってはパンチ1発分の悪行だが、そのストレスでホントの鬱病になる人だっているわけで、そうなるともう「ごめん」で済まされる問題ではなくなる。

というのは、以前友達に夫の浮気を相談されたことがあるんだが、その夫は、(浮気は別として)奥さんを非常に大事にしていたのよ。だからまさに“ちょっとした出来心”ってやつ。それを彼女もわかっていた。

そこで私は「しょうがないんじゃない? 本人も悪いとあやまってるわけだし、何度も蒸し返しても険悪になるだけだし」と軽く返事をしてしまった。だって浮気発覚後はそれこそ手厚く彼女に大サービスの連発。お金持ちだからモノでも返ってきたしね~。私なんかむしろ羨ましいくらいだった。

ところがその後、思い詰めた彼女はどんどんオカシクなって、ついには本格的に神経内科にかかるまでになってしまった。

その頃たまたま上記の本を読み、私は深く反省したわけです。
彼女にとっては、夫の出来心の浮気1回が、世界がひっくり返るほどの出来事だったみたいで。そこまでは思い至らなかった。

以来、その手のことには慎重に考えるようになった。基本的に、自分が体験したこと以外のことは理解できないもの、と考えて。

「老眼」という新たな敵。

中年になると、己の肉体の変化に驚くことがあまりに多い。
そのひとつが、かの有名な老眼。「近くのものが見えない」なんて若い時は想像もしなかった。そしてそれがいかに不自由であるかも。

私はもともと近眼で乱視。昔から、どんな状況でもすんなり見えていたわけじゃない。だから逆に、もうひとつ「老眼」というハードルができても、それはそれで「しゃーないな~」的な気持ちで受け止められているような気がする。

しかしもともと目がよかった友達にとっては、今まで当たり前だった「よく見える」という既得権益?をいきなり奪われたようなもので、どうも私より相当強く不自由を感じているみたい。メガネをかけること自体がストレスになるようだ。

老眼になると、まず最初の反応は「抵抗」。

老眼鏡をかけるまでに、誰でもかなり逡巡する。レストランに入ってメニューが見えなくて苦しむという事態に遭遇しても、「なんのこれしき」とがんばる。そしてついに我慢できなくなり、とりあえず100円ショップとかの “間に合わせ老眼鏡”を購入。しかし次第にあまりの不自由さに、ちゃんとした眼鏡屋で老眼鏡を作ることになる。

そしてすっきり見えたときの快感!
こんなことなら早く作ればよかった!
この段階が「受容」。

自分がけっこうその事実を受け入れている今、「まだ必要ない!」と、すごい顔になってメニューを解読しようとしている友達を「あ~あ~、そんな顔してるくらいならメガネかけちゃったほうがずっとスマートなのに」などとクール(またの名を意地悪)な視線で見てしまう。
この段階が「達観」。

老眼鏡をかけているときに近くの人の顔を見ようとしてメガネをズリ下げる、俗に言う“鼻眼鏡”状態の滑稽さ。東国原知事がテレビで堂々とやってくれて、それでも自分のことは棚に上げて「みっともない~」と笑うワタシ。自分もそうなのに、人のことは笑う。これを見た若い人は、きっともっとおかしいんだろうな。

しかし、いずれそれにも慣れていくのだ、みなさん。
絶対に老眼鏡は便利。無駄な抵抗は止めて、とっとと眼鏡屋さんに行きましょう。


  老眼だってオシャレしなきゃね!
おしゃれな老眼鏡

老眼鏡

性別不明にはなりたくない。

主に60才以上の女性の眉には、気になるタイプが2つある。
ひとつは、まったく手を入れていない自然のままの「オジサン眉」。
もうひとつは、元の眉を完璧に無視してアイブロウペンシルでギーッと
細く濃く強引なラインを引いた「一本眉」。

ヘンさ加減から言ったらどっちもどっち。でもオジサン眉でショートッ
カットだったりすると、ほんとにオジサンに見えてしまったりするんだ
な、これが。その点、一本眉なら少なくともオジサンには見えない。
ギューッとラインを引くくらいだから、他のメイクもしてるしね。

というわけで、わたし的には、たとえ勘違いメイクでも一本眉に軍配。

私が時々行く近所の郵便局の局員の女性で、あまりに立派なゲジゲジ眉
をそのままにしている人がいて(髪はショートでパンチパーマぎみ)、
座っていると、何度見ても瞬間的に男性だと判別してしまう。だから声
を出されたときに「あ、女性だったんだ!」と毎回驚いてしまう。
間違ったナチュラル主義なのか、単にめんどくさいだけなのか。どうも
後者のように思われるけど、でもねぇ、一度「その眉毛、なんとかした
ら…」と言ってあげたくてしょうがない。これを世間ではよけいなお世
話または老婆心というんでしょうが…。

いくつになっても性別不明にはなりたくない。女性ホルモンも減ってい
くことだし、メイクはやっぱりある程度していないとね。

40代は“悩めるお年頃”。

若い頃は、40代にもなれば人はすっかり落ち着き払っているものだと思っていた。というか20代前半の頃なんて、40才以上がどんなことを考えているのか、という疑問が頭に浮かぶことすらなく。つまり「中年」とは自分とはまったく違う種類の生き物であって、興味も関心もなかった。

ところが、はっと気がついたら自分もとっくにその年令…。
そうなってみると、こりゃびっくり。40にして惑わずどころか、40にして惑いまくる自分がいる。それも、仕事も家族も恋愛も、ぜ~んぶひっくるめて惑いの渦の中にいる感じ。
時にはそれが解決された気がすることも、もちろんある。でもしばらくすると見事にブリ返す。もう何年もその繰り返し。
「ま、こんなもんでしょ。そこそこシアワセだし」というフレーズと、「私の人生、これだけでいいの?」あるいは「こんなはずでは…」というフレーズが、まるで天使と悪魔のごとく私の頭の中に交互に浮かんでは消えて。

たぶんここから先は、ずっとこんな調子なんだろうなぁ。それともいつか、悟る日が来るんだろうか。
と、このフレーズもエンドレスで繰り返される始末。

でもね、これって私だけじゃないと思う。多くの同年代の女性が、同じようなことを思っているんじゃないか?と私は考えた。
うん、周りの話を聞く限り、たぶんそう。


女同士で


だから、そんな悩めるお年頃の毎日に起こるあれこれを、それに対して考えたことを、思いつくままに書いてみようと思ったわけです。

そして、「笑いながらタメ息」をついてもらおうかと。
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