ここ2週間くらい、フォーレのソナタ1番からすっかり離れてしまった。というわけではなく、頭の隅の方に存在感はある、だから、弾きたい気持ちはあるんだろうな。
シャコンヌにかけた時間が圧倒的過ぎて、ここまで深層に心を持っていけるのかな…って思いで練習始めた頃が懐かしい。木曜あたりから、久々にフォーレを、今度は軽く弾き始めて、それくらいの距離感で向き合うとちょうど良い曲だな、と思った。新しい発見☺︎
案外、心を持っていきすぎるのも良くなかったのかも。シャコンヌやビーチのロマンスみたいに、自分の感性にぴったり合う曲だったらそれで良いんだろうけど、そういう曲ばかりじゃないし、と言うかむしろそうじゃない曲の方が圧倒的に割合占めててあたりまえ。
音に自分の心を乗せてくような、沿わせてくような感覚を掴み始めたばかりだから、白か黒、みたいな見方しかできてなかった。
フォーレは感性の部分が受け付けない気持ちになってしまったのは、まだわたしの器が足りてないんだと思う。
生き方の中で、グレーな世界を好んで選ぶようになったのが、渡仏をきっかけとした30手前だったように、30年かかったんだから、そう考えたら音楽のそれはまだほんの数ヶ月。
受容か拒否か、の極端な見方をしてた10代後半くらいの時と、きっと同じような立ち位置に在るんだろうね。グレーな世界の広さを、深さをまだ知らない。きっとこれから。
フォーレは今、一歩引いた距離感で弾きたい気分。一歩引いた目線じゃない。“距離感”。
印象派の作品を少し離れた位置から見てぽやっと心で捉えるように、目線的なものはもともとが一歩引いたような見方だったから。心の距離感の方を保たないと、また曲に拒否される。あ、そっか、書いてて気づいたけど、わたしの感性が拒否したんじゃなくて、もしかしたら曲に拒否されてたのかも…
10年通ったカフェが最終日。
社会人1年目にオープンした場所。初期の初期から通ってたたいせつなばしょ。
つぎのステージがすぐ近くで始まるから、続くわけで、おわりじゃないんだけどさ、この場所でこのお髭さんに会うことに大きな意味があったんだよ。悔いなく公務員辞める決断ができたのも、渡仏やお店を叶えるために動き出すことができたのも、希望をたくさん見せてくれたこの場所とここで出会う人たちのおかげだったし、こんなにも自分の音楽が深くなっていったのもそのおかげ☺︎
11月3日にまた意味付けされちゃったなあ。
シャコンヌを弾くと心に決めた2010年と今日のこと。あともうひとつ、タイミング良すぎるとても嬉しいこともありで、日付変わる前に慌てて諸々書き留めてる今☺︎
Gros bisous,
Merci mille fois :)














