ブラジルに行かない準備はできていた | ブログ

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 4年前、南アフリカから帰国した際、ライターの仕事をするだけじゃなく、子どもに関わる時間をもっと増やしていこうと決めた。そのときから「もしかしたらブラジルには行けないかも」という諦めの準備はできていた、つもりだった。




 だが、いざ実際にワールドカップに行けないという事態が訪れると、「本当にこれで良かったのかな」というモヤモヤした思いが当然のごとく湧き起こってくる。



 98年フランス、02年日本、06年ドイツ、10年南アフリカ、日本の初出場から4大会連続で現地参戦してきた。



 目を閉じればあの素晴らしき日々が鮮やかに蘇る。熱狂するフランス人、世界中のサポーターをもてなす日本人、ドイツ人のホスピタリティ、南アフリカの陽気な人びと。サッカーを好きになって良かった、生まれてきて良かった、心の底からそう思えた。それは現地に行ったからこそ体感できたものである。



 サッカーの楽しさを多くの人たちと共有したいという思いでサッカーライターになった。だから、サッカーの楽しさが凝縮された大会に行けないという事態にどうにも気持ちの座りが悪い。



 当たり前だが同業者の多くが赤字覚悟でブラジルに渡る。サッカーに携わる人間にとってワールドカップの存在は大きすぎるほど大きい。高1のとき、94年アメリカ大会でサッカーにはまった俺にとって、「サッカー=ワールドカップ」という思いはとても強い。ワールドカップがなければ、俺はここまでサッカーにはまっていなかったように思う。きっとサッカーライターにもなっていなかっただろう。



 一方、これがまた矛盾するようで面白いのだが、20年に渡って真剣にサッカーを見続けてきた結果、ワールドカップがサッカーのすべてではない、むしろサッカーのごくわずかな一面に過ぎないという思いも強くなってきている。



 サッカーはすべて繋がっている。そこの公園で親子が蹴っているボールだって、ワールドカップに繋がっているのだ。実際に現地には行けない世界中の人びとの存在がワールドカップをありとあらゆる面で支えている。



 ワールドカップに行きたくても行けない、という経験は実は物凄く重要なんじゃないか、という気もしている。何だかよく分からないけど、こういう「行けなかった経験」も将来物書きとして生きてくるんじゃないかとぼんやり夢想したりもする。




 何もかも放り投げてブラジルに飛んでしまおうか、という自分もいる。それもまた人生だ。だが目の前のサッカーに飛びつくことで、未来のサッカーを放り投げることはやはり賢明ではない。

 

 文筆業と子どもたちと過ごす時間、どちらの時間も大切で、その両者が相乗効果を発揮しあっていると感じている。サッカーで学んだことが子育てに生きるし、子どもから受けた刺激がライター業のインスピレーションになっていく。




 もうどちらも欠かせない存在だ。生きがいと呼んでもいいくらい、この2つの世界にどっぷりと浸かっている。



 あのときブラジルワールドカップに行けなかったから今の自分がある。そう言い切れる未来の自分を作っていく。





 ・・・とはいえ、4年前から緻密にプランを立てていればブラジルに行けたような気もするんだよな。結局ブラジルに行けないのは全部自分のせいだよ。4年後のロシアは絶対行くぞ、このやろう。ブログタイトル「ブラジルに行かない準備はできていた」は「ブラジルに行く準備しとけよ」の裏読みです。なんだこのまとめは(笑)。