昭和25年8月25日生まれ


もうすぐ74歳になる父真顔


免許を返納しました。



1年前に軽度認知障害と診断されてから


猛ダッシュで父が変わっていく走る人DASH!


声のハリや話し方も


目の輝きも


歩き方も


性格さえも


今ではまるで抜け殻のようになり…チーン


父が父でなくなっていく悲しい




『日本語を忘れる、

日本語が出てこない』



日本語しか話せない父は、何度も何度も訴えてくる。



日本語=単語ということらしい。


物の名前


人の名前


動物の名前


単語が出てこない。


そして


母の呼び方さえも変わってしまった。




父は16歳で普通車免許を取り、


22歳で結婚。


長男(兄)が生まれるのを機に


23歳で大型免許などの免許を取得。


それから70歳までの47年間、


タンクローリーの運転手として働いた。


運転のプロといっても過言ではないし、

私だけは運転の神昇天だと思っている。



父は自主的にローリーで走った場所と距離を毎日手帳に記録していた。



『月まで(の距離を)何十往復もしたトラック


笑いながらもドヤ顔で語る


それが父唯一の持ちネタだった。



運転の神と崇めつつも、軽度認知障害と診断される前、

父の運転に「老い」を感じるようになり、安全装備の付いた自家用車を購入した。



しかし


真新しい車の便利機能の操作をなかなか覚えられない。


「もう年だからね〜泣き笑い

と笑い合うも


この頃からすでに認知症の道へ進んでいたのだろう。



結局、この新しい車の運転をしたのもほんの数ヶ月だけ。


その後、軽度認知障害と診断された。




ずっと父が運転する隣には、いつも母がちょこんと座っていたものだが、今は逆になってしまった。



軽度認知障害は、特に運転免許証を返納する義務はないようだが、薬が処方されると運転をしてはいけない。


父は薬の処方はなかったものの、事故の恐ろしさをよく分かっているせいか、すでにほぼ運転をしなくなっていた。



体の一部のように車を動かしていた父が、


暇さえあれば洗車やオイル交換などあらゆるメンテをしていた父が、


何も興味を示さなくなってしまった。




父の運転免許証には

多種の取得した経歴があるので

是非見てほしい。




この多くの免許取得を母はいつもそばで見守っていたので、母にも深い思い入れがあるのだろう。


「免許はまだ返納しない!」


と最後まで駄々をこねていたのは母だった。



3ヶ月前。

そんな父にとうとう認知症の薬が処方されることになった。


「翌朝から飲み始めましょう」とのこと。


この薬を飲んだら…


もう決して運転はしてはいけないということになる。


その晩、深夜。


母は父の運転で最後のドライブをしたそうだ。


往復10分ほどのドライブ車


父はどんな思いで運転したのだろう。


きっと母は走馬灯のように思い出を振り返っただろう。


2人はどんな会話をしたのだろう。


きっと素敵なドライブデートだったに違いない。


2024年5月21日

これが父の最後の運転。



記念に8月25日の誕生日に返納しようと決めたのに


まさかの日曜日ゲロー


免許センターまで行くのは無理っぽいということで


大安の昨日、


父と母の自慢でもあるこの免許証を無事に警察署で返納してきた。



警察署からの帰りの車では、助手席に座ってる父が


「はいッ赤信号!一旦停車〜パー

青信号!歩行者よーし、前進〜グッ


昔から変わらないウザいアナウンスを繰り広げていたピリピリ


驚いたことに父も母も普通あんぐり


私は帰宅後、夕食を作りながら、

いろんな思いがこみ上げて涙が出てきた。


今朝もまた涙が出てきて止まらない悲しい



朝からアレクサのビデオ通話で母から連絡がきた。


「昨日ナス持たせるの忘れてたーアセアセ


母の元気な声と、画面には薬を飲むのに集中している父が映っている真顔


「お父さん、おはようニコニコバイバイ


と声をかけても私には目もくれないで


8種類の薬と格闘している泣き笑い



父の免許返納に未練タラタラだったのは


父や母でなく


どうやら私だったようだ真顔