僕等がドイツへ行き、観光していることだけを長々と書いてきた「ドイツ阿呆紀行」だが、今回が最終回である。

僕たちはお祭りで大賑わいの人ゴミを抜け、ニッポンコネクションの会場へ向かった。

途中、出店でめっちゃうまそうないちごが売っていたので僕は思わず足を止めていちごに見とれてしまう。



すると、店のおばちゃんが物欲しそうな僕等をみて、いちごを一個さしだしてくれた。

たべると、これがめちゃんこうまい!!

「このいちご、めっちゃくちゃうまいですね!!」

と、店の優しそうなおばちゃんに言うと。

「喜んでもらえてよかった、このいちごはとても新鮮なのよ」

とニコニコして答えてくれる。

その笑顔は本当に素敵な笑顔であり、僕はまたドイツの人が好きになった。

僕は勿論いちごを購入し、うひょんといちごを食べながら会場へ向かい、会場に到着し、いちごのおいしさの感動を伝えるために道行くひとにいちごをあげたりしたあと、スーツに着替え、上映時間を待つ。

雄司はまだ来ていない様子である。

まあ、時間になればギュンターさんと一緒に来るだろう、と僕とうひょんは馬鹿話などをしたり、会場をみてまわったりしながら時間をつぶした。

会場はけっこうな賑わいであったが、僕はこの中から一体どれだけの人が映画をみにきてくれるのかなあ、とちょっぴり不安であった。

事務局で雄司を待っていると、舞台挨拶とQ&Aの打ち合わせをするということで、映画祭のボランティアスタッフの女の子に連れられケータリングルームへ向かうことになった。



この女の子は目がくりくりとしていて、日本語が堪能な、とても可愛らしい女の子である。

僕とうひょんは女の子に付いてゆくのだが、この女の子はなんだか知り合いが多く、とても人気があるようで、誰かとすれ違うたびに声をかけられ、立ち止まると僕等のことなど気にせずに世間話をはじめてしまう。(これも可愛らしいところである)

「俺たちは打ち合わせに辿り着けるのかなあ」

「まあ、あの子はかわいいから無問題よ」

と、僕たちは彼女のペースにあわせ、とてもゆっくりと打ち合わせの場へ向かった。

「うひょんよ、そういやあ、マリオとかって俺たちの映画みにきてくれてないかなあ」

「マリオ、ああ、映画学校の」

「あいつドイツ出身だろ、なんだか会いたいなあ」

「懐かしいね、マリオ」

僕とうひょんは学生時代に映画学校へ留学していたドイツ人のマリオという友達のことを思い出し、そんな会話をかわした。

すると映画祭の女の子がきょとんとした表情で僕等をみている。

「マリオって誰ですか?」

僕たちの話に興味を持ったのか、女の子が尋ねた。

「ええ、僕たちが学生時代にマリオっていう友達がいまして、彼がドイツからの留学生だったんですけどね、折角ドイツで僕たちの映画が上映されるのだから、彼が僕たちの映画をみにきてくれないかなあって、そんな話をしてたんです。なんだかそういう偶然とかって素敵ですよね、日本で共に学んだ友達とドイツで偶然再会する。会いたいなあ懐かしい友達に・・・」

僕が一生懸命説明すると、女の子はきょとんとした表情で無言のまま僕の顔をみている。

すると彼女は、

「そっか」

と、素っ気無く一言だけ言ってスタスタと会場へ向かって歩き始めた。

なんだろう・・・もしかして俺の話がつまんなかったのかなあ・・・

なんだかトークに定評のない自分を改めて思い知らされた僕はすっかり自信をなくし、意気消沈し、スタスタと先を歩く彼女について打ち合わせ場所のケータリングルームへむかった。

ちなみにこの時の彼女の素っ気無い一言

「そっか」

は、現在愚豚舎内で

「ま、べちゅにいいけど」

に続く新たな流行語として一世を風靡している。

皆さんも、もし周囲につまらない話を永遠とする人がいて、そんな局面を打開したいと思ったらこの一言でカタをつけるといいかもしれません。

「そっか」

さて、ケータリングルームで、僕とうひょんは通訳を担当してくれるスタッフ二人と顔あわせをした。

この通訳を担当してくれる一人がKerimという、僕がニッポンコネクションに参加することになって以来、メールで連絡を取り合っていた好青年である。

僕はメールの文面からして、このKerimという人は凄く真面目な、大人っぽい人だろうなあ、と予想していたのだが、実際のKerimは、映画でいえばジェシー・アイゼンバーグやマイケル・セラ系のなんだかどことなく子供っぽいあどけなさを残すチャーミングな青年であった。

Kerimが通訳を担当してくれるということで僕は安心し、なんだか緊張が少しだけ和らいだ気がした。

そうこうしているうちに開場30分前。

いよいよである。

「さあ、行きましょう!!」

ということで、僕たちは奮い立つような思いで会場へ向かう。

劇場に行くと、ポツポツと人が集まりはじめているようだった。

「うおー緊張すんなーまじで!! お客さん何人ぐらいきてくれるのかなー」

うひょんは嬉しそうな笑顔をさしむけるだけで僕の質問には答えない。

もうここまで来たらなるようになれである。

僕たちはお客さんが一人でもいれば上映するというスタイルでこれまでやってきたし、これからもやっていくつもりなのだ。

それはドイツに来たって同じことである。

一人でも映画をみてくれるお客さんがきてくれたらそれで十分嬉しいのだ。

しかし、この後、僕たちが想像もしてないような展開が待ちうけていた。

開場10分後―

なんだかエライ勢いでお客さんが次々と劇場へ入ってゆく。

人の列が途切れない。

まじか。

すごくねーかこれ。

おれは携帯なくして、宣伝も何もしてないしサクラなんかいれてねーぞ・・・・

うひょんも最初は笑っていたがだんだん冷静になり、驚いたような口調で言う。

「これすごいね・・・何人入るんだよ」



僕たちが会場の入り口でお客さんを迎えていると、マーティンさんやダグマさんもやって来た。

「おめでとう、なんだか凄い人だね」

「あ、マーティンさん!! 今日は来てくださってありがとうございます、なんだかすごい人でぼくも驚いているんですよ」

「映画、楽しませてもらうよ、それじゃあ、またあとで」

マーティンさんやダグマさんが会場に入り、一緒にフランクフルトを散歩した坂本あゆみ監督も言葉通りに姿をみせてくださり、その後、ギュンターさん夫妻とともに雄司も到着した。

「なんかすげー入りだぞ」

「本当だ、なんで?」

「わかんない、不思議だわ・・・」

お客さんが劇場へ次々と入ってゆく。

僕は気になって劇場内をのぞいてみた。

客席は多くのお客さんで埋まり、なんだかガヤガヤガヤガヤしている。

これ、ほとんど満席なんじゃねーのか。



僕が感動と恐れとともに一度劇場から出ると、映画祭のスタッフの方が興奮気味に僕に伝えた。

「チケット、なんと、そ、そ、そ、そ、ソールドアウトだそうです!! すごい!!」

僕はこの言葉を聴いてとても驚いたのだが、人間本当に驚いた時には言葉などでないものである。

ただ、僕は映画祭のスタッフの方々や僕たちをホームステイさせてくださったマーティンさん、ギュンターさん、ダグマさん、そして何処の馬の骨とも知れぬ輩が創った映画をみに来てくれた人たちへの感謝の気持ちが湧き上がり、背筋に震えが走るよう思いであった。

しかし、問題は「そして泥船はゆく」という映画がどうお客さんに受け入れられるかである。

上映開始2、30分ののち、次々とお客さんが席をたち、あらまあ、お客さんが誰もいなくなりました、それでは上映をやめましょう、あんたらは本当に観光にきただけでしたね、それではさようなら、ということではこの映画に関わってくれた人々に顔向けができない。

しかし、チケットが完売したという事実は心から嬉しく、まずはその事実に僕たちは飛び上がるような思いで喜んだ。

上映開始前、僕と雄司、うひょんは壇上にあがり上映前の挨拶をする。

僕たちはドイツという偉大な国、素晴らしい国で自分たちの映画が上映されること、映画をドイツの素晴らしい人々に見てもらえることを誇りに思い、心から嬉しく思う、ということを短い言葉で伝えさせていただいた。



そして客電が落ち、映画の前の予告編がはじまる。

僕は最初、自分の映画をみるつもりはなかった。

僕はお客さんの中で自分の映画をみることが恐ろしく、東京国際映画祭の時には、会場を埋め尽くすお客さんに恐れをなし、一体監督はどこへ消えたんだ、と言われるほどに身を隠してしまう臆病者なのである。

しかし、この日は「席を用意しましたから」と、雄司、うひょんと三人並んで映画を鑑賞することになった。

なってしまった。

ハッキリ言って窒息死するような緊張感である。

「まだ逃げられるぞ、どうしよう、うんこしに行くっていって逃げようかな、でも隣の人は鬼のような形相でスクリーンみてるし・・・ああ、こわいなあ!!」

しかし、僕の心の叫びは誰にも届かない。

スクリーンの予告編では須藤元気氏がダンスを踊っている。

うひょんが僕をみて言う。

「なんだこりゃ」

長めの予告編が終わり、いよいよ「そして泥船はゆく」のドイツでの上映がはじまった。

何度もみた映像が僕の目の前に広がる。

しかし、この日ほどの緊張感もそうはない。

5分、10分、15分と映画が時を刻む。

ちょこちょこと笑いが起き始める。

笑い声がだんだん大きくなる。

クスクス、クククク、フハハハ、ゲラゲラ、ブハハハハハッ!!

笑ってる。

お客さんが笑ってくれてる。

なんかいい感じだぞ。

お、また笑った。

ここでも笑った。

あ、ここは微妙なのかなあ・・・

あれ、ここで笑うんだ

なんだ、けっこう笑ってくれてるぞ・・・・

映画は中ばをすぎ、後半に向かい、やがてエンドクレジットとなる。(当たり前じゃないか)

久しぶりに全編を通してみた。

それも満員の客席の中で。

途中、席をたった人、恐らく一人もいなかった。

上映が終わり、客電がつくと拍手が起きた。

僕の感覚で言うと、「そして泥船はゆく」のドイツ上映はまずは成功だった、といえると思う。

喜劇映画はお客さんの反応が生で伝わってくる面白さと恐ろしさとがあるのだが、これは別に誇張でもなんでもなくドイツのお客さんたちは、映画をみて終始かなり笑ってくれていたようであった。

喜劇映画にも色々な種類がある。

極端にいえば、笑いがおきない喜劇、笑いを狙いとしない喜劇もあれば、いい意味、悪い意味を含め、笑えない喜劇もある。

僕が目指す喜劇とは人が声をあげて笑うような喜劇である。

今の僕にとって、映画で重要なことは映画における芸術性や批評性ではない。

評価されるとか、されないとかも、実はどうでもいい。

おもしろいかおもしろくないか。

わらえるかわらえないか。

全身全霊をかけて馬鹿なこと、くだらねえことを考え、全身全霊をこめた喜劇映画をつくろうと考えている今のぼくたちにとって重要なことはただそれだけである。

なので僕にとっては、お客さんが映画をみて笑ってくれるというのが最大の喜びであり、勲章なのであり、この日の上映でのお客さんの反応というのは僕にとっても、雄司やうひょんにとってもすごく嬉しく、素晴らしい経験であった。

Q&Aがはじまり、色々と僕たちにとっても興味深い質問が飛ぶ。



会場をみると坂本あゆみ監督の姿があり、なんだかビデオをまわしている。

僕は恥ずかしいからやめておくんなさい坂本監督、と思いながらも折角ビデオがまわっているなら、とちょっとかっちょええポーズや表情をつくってみせたりする。

ちなみに坂本監督は、このあと映画祭のイベントでトークをしなければいけなかったらしいのだが、あとで聞くと「忘れちゃっててましたよ、あぶなかったー」という言葉の通り、やべ!!時間だ!!というあわてた表情をみせ、僕たちQ&Aの途中で小走りに劇場を去っていったので、やはり坂本監督は人間的にとてもチャーミングな、本当におもしろい人であるなあ、と思いながらもあんなに慌てて出て行って忘れ物をしてないかしら、と僕はちょっぴり心配になった。

Q&Aにおいては、映画の根幹的な部分に迫る鋭い質問や、僕やうひょんや雄司の映画製作の方法についてなどの質問、また兄弟で喧嘩はしないのか、などの質問が出た。

また、

「あのおばあちゃんは僕の本当のおばあちゃんなんですよ、おばあちゃんは自分が出ている映画がドイツで上映されることを本当に嬉しいと言っていました」

と言うと、ドイツの方々はとてもあたたかい笑いと拍手を送ってくださった。



あと印象的な出来事としては、

「この映画は本当に面白かった。是非もう一度鑑賞したい。DVDが欲しいのだが発売されてないのか?」

という質問もあった。

僕は

「この映画は日本の地方の小さな町で制作された完全な自主制作映画であり、僕たちには潤沢な資金や有力な日本映画界へのコネクションもありません。なのでDVDの発売はおろか、日本での映画の配給さえ決まっていませんし、今現在はその望みも薄いようです。これはとても悲しいことです。しかし僕たちはこの作品を多くの人々に届けるということを諦めず、今は自主上映と言う形で、自分たちで会場を探し、自分たちの手で映画を上映するという小さい活動を行っています。しかし今日出会ったお客さまたちのように、海外においても映画をみにきてくださる方々やDVDを欲しいとまで言ってくださる方々がいるということに僕は驚きとともに深い感謝の気持ちを抱きます。心から感動しました。ありがとうございます。この映画が日本のみならず、世界中の人々に届くように僕たちはこれからも少しずつ、鈍重な歩みで努力を重ねてゆくしかありません。なのでDVDはもう少しだけ待ってください」

というようなことを話した。

すると会場から思いがけずあたたかい拍手が起こり、後日、なんと海外の掲示板においてこの映画が配給されないこと、DVDが発売されないことへの非難の声があがっていたので、僕はこのような熱い気持ちを持ってくださった人たちのためにも頑張らなければならないぞ、という思いを新たにしたものである。

さて、「そして泥船はゆく」の上映とQ&Aが終わり、僕たちの映画のドイツ上映はこれにて無事完結したわけである。

なので、僕にはもうこの「ドイツ阿呆紀行」と名づけた連載的ブログに書くことはもうほとんど無くなってしまった。

改めてこの「ドイツ阿呆紀行」を読み返してみると、ここへ行きました、ここを観光しました、ビールがおいしかったです、食べ物もおいしかったです、みたいなことしか書いていないわけなのだが、僕たちは本当に観光ばかりしていたのだから仕方が無いのであるし、阿呆紀行とこの連載記事を名づけたからには書くべきことはこんなものであろう。

あとひとつだけ印象的な出来事があったので、最後にそれを書き記しておこうと思う。

これは上映後、ほとんどの観客が劇場から出たあとの出来事である。

泥船の上映が終わり、僕が劇場から出ようとすると、まだ劇場内に残っていた一人の若いドイツの青年が声をかけて来た。

「こんにちは、監督さん」

この青年はまだあどけない少年のような表情をした、一見しただけでその誠実な人柄がうかがえる純朴な青年である。

「ぼくはこの映画祭のプログラムに関係している者です。今日は本当にこの映画を上映することができてうれしかったです」

と、青年は言った。

僕はこのドイツの青年としばらく立ち話をした。

青年の話を聞くと、この「そして泥船はゆく」のニッポンコネクションでの上映までの道のりは簡単ではなかったという。

「この映画を映画祭に選出することは本当に、本当にたいへんでした。

 ボクはこの映画を上映するために本当に色々な人と戦いました。

 お前は頭がおかしい、ふざけるなと言われ、みんなとたくさん喧嘩もしました。

 だけどボクは本当にこの映画が面白いと思いましたから、

 この映画を絶対にドイツで上映したいと思って最後まで戦ったんです。

 本当にたたかいました!!

 今日、dorobuneがここで上映されることをボクは本当に嬉しく思っています。

 監督に会えてよかったです、ドイツに来てくれてありがとう!!」

僕はこの青年との出会いに心から感動し、彼に会うことができただけでもドイツへ来ることができて本当によかったと思った。

映画上映後に起きた拍手や、この映画に対する肯定的な意見や批評の全ては、この素晴らしい青年のためのもの、泥船をドイツで上映するために力を尽くしてくれた人のためのものである、と僕は最後に観光旅行者ではない自分の立場として言いたいと思う。

さて、泥船の上映翌日はニッポンコネクションのクロージングであったが、僕と雄司は、悪天候のため行きそびれていたマインタワーにのぼりフランクフルトの素晴らしい絶景を楽しみ、雄司がまだ食べていなかったドイツの豚足料理、シュバイネハクセを食べたり、Merianplatzのお祭りを満喫したり、最後の最後まで時間が許す限り性懲りもなく観光を楽しんだ。





そのあいだ、うひょんは、僕たちと別行動で韓国に持ち帰るレコードを探しにレコード屋へ向かったのだがなんと定休日。

彼はドイツ渡航におけるレコード購入というその最大の目的を達することができず、

「あれはひどいことよ」

と、心から嘆いていた。結局は僕の食いすぎによる腹痛が、彼にとって最大最悪の仇となったわけである。

映画祭閉幕後、日本に帰国する日の前の夜、僕はホームステイ先のホストであるマーティンさんと最後の会話を楽しんだ。

映画の話や、日本の話やドイツの話、お互いの家族の話など、僕とマーティンさんは欠伸が出て、ほんとうに眠くなってしまうまで時間を惜しむように会話をし続けた。

翌日の朝、僕が目を覚ますと、多忙なマーティンさんの姿は既に家の中になかった。

「マーティンさんは、もう仕事に行かれたのですね」

と、僕がマーティンさんの奥さんに尋ねると、

「朝早くに出かけたわ、珈琲を飲みましょう」

とマーティンさんの奥さんは言った。

ドイツ滞在最後の日の朝、僕はマーティンさんの奥さんと珈琲を飲みながらあたたかい日差しが差し込むテラスで話をした。

僕が、こんなところに行ったんですよ、と日本から持ってきた海外旅行のガイドブックを見せながら、僕たちの観光履歴を説明するとマーティンさんの奥さんは「すごく面白い本ね」とガイドブックに興味津々。

なんだか知らないレストランやショップ情報が色々と掲載されているらしい。

なので僕は「あのう、こんなもので本当に申し訳ないのですが、もしよろしければあなたにこの本をプレゼントします」と奥さんにそのメイドインジャパンの観光ガイドブックをプレゼントした。

奥さんは思った以上に喜んでくださり、ドイツのジャムとチョコレートを僕に渡してくれた。

別れというのはいつも寂しく、僕は数日間滞在させていただいたマーティンさんの家を離れるのがなんだかとても悲しかったのだが、時間は無常に過ぎ行くもので出発の時間がやって来てしまった。

「そろそろ時間です、あなたたちには本当に感謝しています、僕たちがドイツで素晴らしい滞在を経験することできたのはあなたたちのおかげです、本当にありがとうございました」

僕はマーティンさんと、マーティンさんの奥さんへの心からの感謝の気持ちを述べ、

「また必ず会いましょう、日本にも遊びにきてくださいね」

と涙がこぼれるようなさびしい思いで、最後の握手を交わし、マーティンさんの家のドアを出た。

外へ出てマーティンさんの家のテラスを見上げる。

するとさっきまで一緒に愉しくお喋りをしていたマーティンさんの奥さんがテラスからこちらを見下ろし手を振っていた。

なんだかマーティンさんの家のテラスがとても遠くに感じる。

なので僕は体いっぱい使って手を振り返した。

「さようなら、またあいましょう、ありがとう、だんけしぇーん!!」

なんだか急に感情がたかぶった僕は、思わずそんなことを叫んでしまい、結局お互いの姿がみえなくなるまでいつまでも手を振り続けた。

「ああ、本当に今日でドイツは終わりなんだなあ、本当にさびしいなあ」

僕はなんだかへんな気持ちでキャリーバッグを引きずりながら駅へ向かい、WESTENDの駅から地下鉄に乗り込んだ。

このドイツ滞在中、毎日利用したこの地下鉄を利用するのも今日が最後である。

僕の頭の中で、この数日間のドイツ滞在の素晴らしい思い出たちがめまぐるしく回転する。

僕はなんだか色々なことを考えているような、考えていないような、そんな不思議な感覚を覚えながら、雄司とうひょんと合流するために、あの素晴らしいバッハの調べを聞いたカタリーナ教会の広場へ向かうのだった。



後記

ワールドカップも大詰め、ドイツが優勝するかアルゼンチンが優勝するかわからないという、非常に緊張感のあるタイミングで、ドイツ阿呆紀行はおしまいである。

ちなみにあとだしで申し訳ないのであるが、僕のワールドカップ優勝予想は最初からドイツであり、決勝が楽しみで仕方がなく、寝不足もいいところの今日この頃である。

さて、ヘルシンキ滞在記に続き、なんの社会性も、批評性もなく長々と書き連ねてきたドイツ阿呆紀行の後記として、余話程度のことを少しだけ最後に書くのであるが、日本へ帰国するその日、僕らはカタリーナ教会の前の広場で合流し、ドイツに来た最初の日に昼食を食べた市場でドイツ滞在最後の昼食とビール、それにアイスクリームを楽しんだ。



昼食後、僕は坂本監督と共に一度訪れた骨董品屋でくるみ割り人形を購入し、それから三人で空港へ向かった。

帰りの飛行機の中、僕は疲れ果てて寝ていたことと、リメイクされたロボコップをみたことしか覚えていない。

日本へ到着すると、日本のムシムシした湿気のきつい暑さが僕等を迎えた。

初夏というよりも夏の暑さである。

日本経由で韓国へ帰国するうひょんは

「俺の人生の二日間は、この帰国でちゅぶれるんだ」

と、成田で韓国ゆきの便をかなり長い時間待たなければならなかったので、僕たち以上に疲れている様子だった。



「うひょんよ、お前と別れるのが一番変な感じがするよ」

「なにがだ」

「さびしいね、日本で降りればいいのに」

「俺は韓国がいいねやっぱり」

「六月は何すんの」

「ワールドカップみるんだ」

「どこが優勝すると思う?」

「俺はブラジルだな、やっぱり」

「俺はドイツだと思うけど」

「ドイチュも強いけどやっぱブラジルよ、今回は」

「今度はいつ会えるかな」

「お前が映画撮る時に会えばいいんだ、すぐ会えるでしょ」

「まあ、がんばるよ」

「早くしてくれ、けっしゃくを撮るんだ、けっしゃくを」

「まあ、まずは脚本だね」

「それじゃお前等もう行っていいよ、俺は韓国着いたら連絡するから」

「おお、それじゃ気をつけてな、ところで帰りの飛行機はお前、何の映画みるの」

「わかんねーなそりゃ」

「ロボコップ、けっこう面白かったよ」

「俺もみたよ、最悪じゃねーかありゃ」

「そうかなあ」

「やっぱり映画はバーホーベンだね」

「そんじゃ俺たちは行くぞ、それじゃまた近いうち!!」

「ああOK、それじゃあグッバイ、ふはははは」

僕は、ずっと一緒にいるのが当たり前のような存在のうひょんと成田で別れ、弟の雄司とともに故郷の大田原へ向かった。

5月が過ぎ、季節は既に6月になっていた。

成田から上野へ、上野から那須塩原へ向かう。

都市の風景が田舎の風景に変わり、美しく、広大な水田が僕の目の前にひらけてくる。

日本の風景もぜんぜん捨てたもんじゃないなあ、と思いながら僕はその数日振りに邂逅した懐かしい風景を見つめる。

その風景はどこかドイツのブリュールやボンの景色を僕に思いおこさせた。

時刻は16時。

今頃ドイツは朝の8時頃のはずである。

マーティンさんや、ギュンターさんたちはもう目覚めて、新聞を読んだり、クラシック音楽に耳を傾けながら珈琲を飲み、朝ごはんを食べているのかなあと、僕は車窓からみえる故郷の景色をみつめながら、遠い国の、本当に遠い国の、何気ない朝の風景のことを頭に思い浮かべていた。

ドイツ阿呆紀行 完。