ケルン、ブリュールとまわった僕たちは、いよいよベートーベンの生誕の地、ボンへ到着した。



かつて西ドイツの首都であったボンの町は、駅から出るなり多くの人で賑わい大変な活気がある。

僕たちは雄司が用意した地図をみてベートーベンハウスとシューマンハウスの場所を確認した。

すると、この二つの家は全くの真逆に位置している。

「どっちから行こう」

「距離的にはベートーベンハウスの方が近そうだね、こっちから行こう」

地図が読めるうひょんと雄司がそう決定したので、地図が読めない僕は彼等に金魚の糞のようについてゆく。

人ゴミをかきわけベートーベンハウスを探す。

しかし、はじめて来た場所でもあり、なかなか見つけることができない。

町の中央のベートーベン像の周りにも多くの人が座り込み、それにこの日は大きな市場も開催されていたのか、町はかなりの人出である。




「あれ、ここさっき来たな」

と、僕たちは軽く迷い、同じところをぐるりとまわってしまう。

なんだか足も重たい。

朝、フランクフルトを出発し、僕たちは既にけっこうな距離を歩いているはずであった。

そのうちに僕の歩行速度がうひょんと雄司のそれに追いつかなくなってくる。

しかし、この人ゴミの中で二人を見失ったらそれこそ悲劇である。

僕は彼等に置いていかれないように必死についていった。

うひょんと雄司が僕より150メートルほど先にある路地で立ち止まった。

なんだか立ち止まり地図を確認している。

僕は立ち止まった彼等に追いつき

「ここがベートーベンハウス?」

と尋ねた。

するとうひょんは工事で取り壊しを受けている家を指差してつぶやいた。

「ヒュンガになってる」

ヒュンガとは韓国語でお化け屋敷とか廃屋的な意味合いらしい。

「嘘だろ」

「これ完全にヒュンガじゃねーか」

確かにうひょんが指差した家の壁にはベートーベンの肖像画の落書きが描かれていた。

「改装中ってことなのか」

「わかんない、これはヒュンガだ」

まさか、と思って僕は周りを見渡した。

すると反対側の家のドアの上にベートーベンハウスと書いてあり、人が出入りしているのがみえた。

「こっちがベートーベンハウスじゃねーか」

「あ、本当だ」

僕たちは安心し、ベートーベンハウスに足を踏み入れた。





このベートーベンハウスにはベートーベンが愛用していたピアノやバイオリンが展示されており、ベートーベンが産声をあげた部屋などがある。

音楽史上最も偉大な作曲家ベートーベンがこの場所で生まれたということに、僕は流石に打ち震えるような感動を覚えた。

それはうひょんも同じであったろうし、映画音楽家であり弟の雄司にとっては僕の想像を遥かに越える大きな感動があったのだ、と思う。

雄司は、その家や、展示品などを一人黙って、食い入るようにみつめていた。

そんな弟の姿をみていると、僕は改めてボンへ来てよかったと思った。

ベートーベンハウスを一通りみてまわり、お土産のベートーベングッズなどを手に入れた僕たちは、次にシューマンハウスへ向かった。

このシューマンハウスはシューマンがその晩年を過ごした家であり、ベートーベンハウスとは全くの真逆の方向にある。

僕たちは駅まで戻り、再び地図をながめた。

すると親切な若い女性が声をかけてきた。

「なにか困っていますか?」

「僕たちはシューマンハウスに行きたいのですが、どの道を行けばいいのでしょうか」

僕たちは女性に地図をみせた。

女性は本当に親切に、シューマンハウスへの行き方を教えてくれた。

「ありがとうございます。助かりました。ご親切に感謝します」

「シューマンハウスまではかなり歩きます。がんばってください。バイバイ」

かなり歩く、という言葉が引っかかりはしたものの僕たちは女性にお礼を言い、歩いてシューマンハウスへ向かうことにした。

すこし話がそれるのであるが、僕はこのボンで出会った女性には心から感謝しているし、本当に今思い出してもこの女性の行動に心から感動してしまう。

困っている人がいたら助けなさい、とは僕も小さな頃そう教えられたが果たして自分が今まで生きてきて、そんなことができたことがあったろうか。

正直な話、自分は恥ずかしいほど、そんな人間的な優しさを人に対して向けることができずに生きてきてしまったように感じる。

それは凄く恥ずかしいことだし、情けないことだし、変えなければいけないことだとも思う。

僕はこのドイツの旅で出会った人々の優しさを思い出しては、人間としての自分の弱さを省み、それが一朝一夕では無理だとしても、自分も人が困っていたら自然に手を差し伸べられるような優しい人間になりたいと、そう考えている。

時間は午後五時を過ぎた。

シューマンハウスの閉館までは一時間もない。

「これ地図でみても相当距離ありそうだなあ、大丈夫かなあ」

多少の不安感はあるものの、もうここまで来たら閉館しようがなんだろうが目的の場所まで向かうしかない。

もし施設が閉まってたら日本から来ました、私たちはシューマンの音楽とドイツの素晴らしい文化を愛しています、どうか入れてもらえませんでしょうか、と拝み倒す覚悟である。



僕たちは歩いた。

無言で歩いた。

ただただシューマンハウスをめざして歩いた。

考えてみればブリュールどころか、ケルンでケルシュを飲んでからずっと水分をとっていない。

暑い。

のどが渇く。

今何時だ。

午後五時過ぎ。

嘘だろ。

これ日本なら午後一時の明るさだぞ。

あちい。

のどがからからだ。

水買っときゃよかった。

先にボンに来たほうが正解だったかなあ。

フランクフルトに今日中に帰れるのだろうか。

明日は泥船の上映だぞ。

足が痛い。

万歩計は30000歩を越えた。

30000歩!!

いつのまにかすげえ距離歩いたんだなあ。

つーか本当に遠いぞ。

ここか

違う

まだ先だ

坂がある

ここ登るみたい

まじか

よっこらしょ

いてて

あはは

お、町の感じが変わった

あれか

あれじゃないの

あれか

あれだ

シューマンハウスだ!!

シューマンハウスはボンの喧騒からはだいぶ離れた場所に静かに佇んでいた。

本当に静かな場所であり、観光客の姿は皆無である。




僕たちは家の外をみてまわり中に入った。

シューマンハウスの一階は図書館になっている。

僕は受付の女性に声を掛けた、

「まだ入れますか」

「入れますよ」

「チケットはここで買えばよいのでしょうか」

「この施設は無料です。自由にみてまわてください」

僕たちは、シューマンハウスが図書館として開放されていること、無料で開館していることに驚き、展示物がある二階へ向かった。

二階は、広めの部屋に講演会場のようなものが設置され、その隣の小さな二つの部屋にシューマンの楽譜や手紙などが展示されていた。

僕たちは、静かな空間の中で、ゆっくりと展示物をみてまわった。



「なんだかすごくいいところに来た気がするな」

と、僕は雄司に語りかけた。

「図書館として開放されているというのが凄いね、感動したよ」

一階部分の図書館では小さな子供たちが本などを貸し出ししている。

この子供たちは自然にこの図書館となっているシューマンハウスを訪れ、自然にこの家が実は偉大な作曲家の家であったということを知ってゆくのだろう。

この施設では、頻繁にシューマンの音楽を演奏する音楽会も開かれるらしい。

シューマンという作曲史上に永遠に残る大家の家が、観光施設ではなく町の子供たちや大人たちが訪れる図書館として利用されている。

僕にはなんだかそれがすごく素敵なことに思えた。

僕たちがシューマンハウスをみてまわり、外へ出ると、一台のバスがハウスの前に停まった。

バスからは観光客らしき人たちが降車し、家の前で写真を撮りはじめた。

とても静かな団体客で、熱心に家をみている。

きっとこの人たちもシューマンの音楽が大好きな人たちなんだろうなあ、と思うと僕はこの場所にきたことがなんだかとてもうれしくなった。



「そろそろ行こうか」

いつしか時計は六時をまわっていた。

しかし相変わらず日は高い。

一体いつになったら日が沈みはじめるのだろうか、と少し心配になるほど日が高い。

この遠征でみるべきものはほとんどみた。

しかしあと一箇所、僕たちはシューマンの墓へまわらなければならない。

シューマンの墓はボンの駅の近くにあるようである。

僕たちは、人々で活気づくボンの駅のほうへ再び向かう。

シューマンハウスはなんだか僕にとても心地のよい、深い余韻を残した。

それは今思い出してみても確かに心に刻み込まれた素晴らしい経験であった。

「シューマンハウス、遠かったけど、ほんとうに行ってよかったなあ」

と僕たちはつぶやきながら、来たときの足取りの重さが嘘のような軽やかな足取りで来た道をトコトコと歩いて行った。



→ドイツ阿呆紀行 第十一回へつづく