ニッポンコネクションの親睦会を終えて再びマイン川に戻った僕たちはマイン川クルーズを満喫した。

このマイン川クルーズは、ライン川クルーズとは違って約一時間半のコースとなっていて、フランクフルト市街を横目に見ながら川を往復するというものである。

船に乗りテラスに出ると、料理やビールを注文することができるが、僕らは三人ともビールを飲んだ。

船の上から見るフランクフルトの街は、自然と都市とがうまく溶け合っていて美しい街だと思わせる。

カヌーでマイン川をくだる人々や、マイン川沿いを散歩する人、サイクリングする人、船に手をふる人、スーパーマリオのファイアーフラワーの落書きなどいろいろな風景が目に飛び込んできた。

ちなみにマイン川ではなく、ドイツへの観光客に大人気というライン川くだりはガイドブックによると十時間とかかなりの時間が掛かるコースもあるそうであり、今回の旅ではライン川はさすがにくだっていない。(いつかくだってみたい)

1時間半ほど船の上でリラックスした僕たちは、船から降りた。



船から降りると、その入り口に超ハイテンションのドイツの子供たちが大人数で待ち構えていて、ハイタッチを要求してくる。

ほどよく酔っ払っていた僕は、「いえい」などと叫びながら、子供たちのテンションにのせられて次々とハイタッチをかわしていった。

「これからどうしようか、もうそろそろ夕飯の時間だな」

「何食いたい」

「肉が食いたい」

ガイドブックによるとマイン川の橋渡ったザクセンハウゼンというところに、adolf wagner(アドルフ・ワグナー)という何だかおいしそうな料理が掲載されているレストランがある。

「ここうまそうだな」

「うまそうだ」

「ザクセンハウゼンはアップルワインが有名なんだって。絶対のむべし、って書いてある」

「アップルワインか・・・めっちゃうまそうだな」

「いくか」

「いこう」

「いきましょう」

僕たちは満場一致でアドルフ・ワグナーというレストランへ向かった。

橋を渡るとニーノ・ロータのような心地の良いアコーディオンの音が聞こえてくる。

音楽が夕景にとけこみマイン川をさらに美しくきらめかせている。

橋には南京錠が大量に掛けられていてカップルの姿も多い。

あとで聞いたところによるとこの橋はEiserner Steg/アイゼルナー橋という橋で恋人たちに人気がある橋なんだそうである。



恋まじないや恋の願掛けなどにそれほど興味のない僕であったがうひょんが立ち止まって南京錠をまじまじとみているので、どうしたのかなと声を掛けた。

「どうしたんだうひょん」

「こういうのは皆やるね」

「俺らにはあんまり縁がない風景だなあ、ふはははは」

「これコリアの名前じゃないか、なるほどね、まべちゅにいいけど」

うひょんが何を考えて南京錠をみていたのかはよくわからないのであるが、僕たちは恋人たちの橋を渡り、ザクセンハウゼン側のマイン川沿いを歩いた。

ザクセンハウゼン側の通りには美術館や博物館が立ち並んでいる。

その中にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの大きなポスターが張ってある博物館があり、僕らはここが行こうとしていたドイツ映画博物館だとわかった。



入館しようと思ったが、ちょうど閉館時間であり僕たちは後日、映画博物館に行くことにした。

博物館からさらに少し通りに入ると、今度はアイスクリーム屋さんとケーキ屋さんがあった。

みてみるととてもおいしそうである。

「アイスおいしそうだな」

「食うか」

旅先というものはどうしても食い維持が張るもので僕たちは夕食の前になぜか満場一致でアイスクリームを食べることにした。

もう夕刻なのに外は明るい。

アイスクリームを食べながらこの明るさに触れていると、ヨーロッパなんだなあ、と感慨深くなった。

「そろそろ行こう」ということになったので、僕たちは立ち上がりレストランを目指した。

このアイスクリーム屋さんからは地図によるとあと5分くらいのところにレストランはあるはずであった。

そして悲劇は起きた。

「ひろぶみ、どうしたんだ」

「いや、ちょっと待って」

ポケットをまさぐる。

ない。

まさか。

しかし、ない。

「なんだ、どうした」

「携帯がない」

「あ?」

「ないな、携帯がまじで、あれ、おかしいな、落としたかな、え」

「さっきまでお前携帯で写真撮ってたじゃねーか」

「そうなんだよ、でも、あれ、ないぞ、まじで、ほんとに」

僕たちは一度来た道を戻り、カバンを漁り携帯を探した。

しかし、僕の携帯の姿は影も形もなくなっていた。

「なくしたな、携帯、どうしよう」

「電話会社に電話して利用停止しないとだめよ、これ俺の予備の携帯貸してやるから」

うひょんは僕に予備の携帯を貸してくれた。

「ありがとう、しかし、どこでなくしたんだ、おかしいなあ」

「携帯だけドイツに残るっていうのはひどいことよ」

「まあ、ないものはないししょうがねえなあ・・・撮った写真だけ勿体無いけど・・・」

「俺の携帯はなくさないでくれよ」

「なくしたらどうする」

「それは、まあ、なくさないでくれ」

というわけで、悲劇は起きてしまった。

日本で友人の結婚式の帰りに新宿ビックカメラで購入したスマホとはこのような思いがけない形で別れを告げたことになった。

携帯電話を無くすなどはじめての経験である。

ちなみに海外で携帯を紛失した場合、悪用される恐れがあるので、万が一無くした場合はすぐに携帯電話会社に連絡したほうがいいそうである。

余談ではあるが僕はその日のうちに携帯電話の利用停止手続きをとった。

たまたま保険に入っていたこともあり、日本に帰ってからすぐに新しい携帯と交換できるという。

僕はその話を聞き少しだけホッとした。

予期せぬ悲劇にみまわれた僕は、その後三人で無事アドルフ・ワグナーで夕食をたべた。



この店は日本のガイドブックに載るほどであるから有名な店なのか、相当な数のお客さんで賑わっていた。

何種類かのソーセージとザワークラウト、じゃがいもを揚げたものにザクセンハウゼン名物のアップルワインがこの日の食事である。

アップルワインは林檎の酸味を抽出したようなワインで、酸味はかなり強いのだがたいへんおいしかった。

ザクセンハウゼンに再び行くことがあったらまた飲んでみたいなあと思う味である。



夕食を終えた僕らはホームステイ先へ帰ることにしたが、うひょんが既に閉店しているとは思うが、フランクフルトのレコード屋さんの場所を確認したいということだったので、そこへ向かうことにした。

しかし、うひょんの願いは叶わなかった。

第二の悲劇が起ころうとしていたのである。

「うひょん」

「なんだ」

「やばい」

「どうした」

「はらがいたい」

「だいじょうぶか」

「だめかも」

「がまんできないか」

「できない」

「たのむからだすなよ」

「悪いが約束はできない」

これはまあ実に汚い話なのであるが切実な話なのである。

なぜならドイツには公衆便所というものがほとんどないのである。

これはあらかじめ調べておけばよかったのであるが、ドイツの公衆便所設置場所というのは、大体デパート、レストラン、駅、公共施設など決まった場所のみらしいのだ。

日本のように公園などその辺りに都合よく無料トイレは設置されていない。

これはなぜかといえば、ためとくものの大きさの違いという説もあり、まあ、それは確かにそうかもしれないなあ、と納得も行く理由なのであるが、この時の僕にはそんなことを冷静に考えている暇などはない。

僕はもう半ばあきらめかけてはいたが、わずかな希望を抱いて、トイレがあるはずの駅をめざした。

駅が非常に遠く感じる。

横断歩道を渡り、恋人たちの橋を渡る。

橋の上では夕景をバックにプロポーズしている恋人の姿があった。

プロポーズされた女性は涙を流して感激し、恋人たちは抱き合い、キスをかわしていた。

僕は素敵な風景だなあと思いつつ、これから遠くない未来に自分の身にふりかかるであろう素敵じゃない風景を頭に思い描いた。



「渋谷の黒歴史が再び繰り返されようとしているのか・・・」

僕たちは恋人たちの橋を渡り、横断歩道を駆け抜け、レーマー広場を抜けた。

もう日は沈み掛け、辺りは薄暗くなりはじめていた。

やばい!!

そろそろまじでやばい!!

はらいてえ!!

本当にいてえ!!

たすけてくれ!!

まじで・・・

やばい・・・

あはははは

ふはははは











・・・・・

・・・・・

・・・・・

「ひろぶみ、あったぞ!! ここだ!! 5ユーロ持ってさっさと行ってこい!!」

すべてが暗澹たる絶望へと変わろうとしていたその時、レーマー広場近くの近くに有料トイレがあることをうひょんの叫びが僕の耳に伝えた。

僕は涙を流しながらトイレに駆け込み、事なきをえた。

はっきりいってこれは実話であり、その描写に虚飾はない。

世界は広い。

世界には様々な形のトイレがある、様々なトイレ事情がある。

例えばドイツの公衆トイレの数は少なく、有料の場所がほとんどである。

公衆トイレを使用した場合はチップを払うシステムで、自販機のように小銭を入れる形式のトイレもあれば、トイレを掃除している人にチップを渡す形式の場所、チップを入れる容器がトイレの前に置いてある形式の場所もある。

なぜ有料なのかといえば、無料だとジャンキーの溜り場になり、昔は注射針とかが落ちていたみたいなおそろしい話をあとで聞いた。



日本のトイレ事情に慣れた昔の僕であったら何で糞たれんのに銭をはらわなきゃなんねーんだ、と思っていただろう。

しかし、悲劇を乗り越えた僕の考えは今完全に違う。

こんなに一日中トイレを綺麗にしてくれる人たちのために感謝の気持ちとして数十円程度のチップを払うのは当たり前なのではないかと、今の僕はそう思っている。

正直、日本のトイレ事情ははめぐまれている。

本当にめぐまれている。

しかし、めぐまれすぎているがゆえに、めぐまれていることが当たり前のこととなり、美しいトイレを利用することへの感謝の気持ちが欠落している人が少なくはないのではないか、と思う。

例えば僕が経験したことでいえば、便所にこもって携帯電話でいつまでも話していたり、酔っ払って便所で寝ていたりと永遠に出てこない奴や、これ誰が掃除すんだよと怒りを覚えるほど異常に汚く便所を使用する連中(自分の糞の後始末も、けつをふくこともできない連中)がいる。

彼等には公共のものに対して公共のものを利用するという意識がないとしか思えない。

それはもう幼稚というか、人間的に欠落した部分がある人間としかいいようがないし、そんな己のことしか考えない人間が生まれるようになったのは、めぐまれすぎている環境が当たり前になってしまったからではないのではないか、と思う。

彼らが尊敬の念を持って公衆便所(公共の場)を利用するように矯正するためにはどうしたらいいのか。

僕はとりあえず、公衆便所の利用料を1000円ぐらいにして(大は3500円、税金は便所税として25%)政府の機関として公衆便所管理科学省をつくり、便所憲法を制定、公衆便所は24時間監視体制をとり、ふざけた使い方をした馬鹿は懲役5年から10年、200万円以下の罰金を徴収すればいいと思うが、行過ぎた管理社会が不幸をよぶのはいつの時代もそうであるし、わけのわからんファシズムが横行しそうな感じの世情ではそんなことすれば図にのる連中もでてくるので、まあ、当たり前のことを当たり前のこととして感謝するみたいな当たり前のことをできるようにするためには、まともな親、まともな教育機関による道徳教育、倫理教育しかないとは思いますけどね結局。

兎に角、僕は

「俺ははこれから公衆便所を利用するたびに、掃除をしてくれている方々に心から感謝するのだ」

と、固く決心し、

また同時に

「これから海外へ行く時には、まずその国のトイレ事情を確認しよう」

と固く決心した。

第二の悲劇を回避した僕は、Hauptwache駅でうひょん、雄司と別れてホームステイ先へ戻った。

雄司は翌日、ホームステイ先のギュンターさんとカタリーナ教会へ行くため別行動。

僕とうひょんは、朝、Hauptwacheで合流し、それからどっかに行こうということになった。

ホームステイ先へ戻るとやはりまだ誰も帰宅していなかったが、部屋の扉に置き手紙があった。

僕は、もし帰宅しなかった場合に備え、家主であるマーティンさんにあやしい英語でご挨拶と感謝の気持ちを伝える手紙をかきはじめた。

英語など僕は大してできぬのであるが、近頃は英文のメールなどを書く機会がいきなる増えたため、相当あやしい英文ではあるがなんとなく書ける。

手紙を書き終え、シャワーを浴び、眠りに着こうと横になった。

すると、家のドアが開き、家主のマーティンさんが部屋にやってきた。

僕はマーティンさんに挨拶し、滞在させていただくことへの感謝の意を述べ、日本からのお土産を渡し、あやしい英語でドイツの印象や、どこへ行って、何を食べて、何が起きたかを話した。

マーティンさんはたいへん穏やかな紳士で、とても優しく、素晴らしい人間だなあということが話しているとすぐに伝わってきた。

不思議なもので僕は英語などまともに話したこともないのであるが、マーティンさんの話はなんとなく分かったし、僕の話もなんとなく伝わった。

この“なんとなく”を解消するためにも、僕は英語を本当にちゃんと勉強しなければならないし、ちゃんと英語が話せるようになったら生きることが楽しくなるだろうなあ、と思った。

しばらくマーティンさんと話をしていると夜もふけてきたので、僕はマーティンさんにおやすみなさい、と言って部屋に戻った。

明日は写真撮影。

翌日は予定なし、一日自由。

泥船の上映は明々後日。

上映翌日はクロージング。

そして帰国。

さあ、どうしようかなあ。

そんなことを考えながらベッドに横になると、僕はやはりすぐに眠りに落ちた。

なくした携帯電話はきっと戻ってこないだろうなあ、とは考えすらしなかった。


ドイツ阿呆紀行→第六回につづく