飛行機が着陸体制に入る。

小さい子供の声で「こわーい、たかーい」という泣き声が聞こえる。

僕もヘルシンキへ着陸する時は、心の中でそんな風に泣いていたものであるが大の大人がそんな風に泣いていたらきっと白い目で見られるのに違いないので大人しくしているだけなのであるし、僕は30を過ぎてから生まれてはじめて飛行機というものに乗ったが、小さい子供や赤ちゃんが平気で飛行機に乗っている姿をみるとすごいなあ、と思ってしまうのである。

飛行機がドイツのフランクフルトに着陸した。



僕が外へ出る準備をしていると、先刻、機内エンタメの件で声を掛けて下さったCAの方が、「機材のトラブルがあってごめんなさい」と話しかけてきた。

「いえいえ、とんでもありません」と、僕。

「あの、お客様は何かスポーツの大会とかに参加されるんですか?」

「え?」

「いや、今日はジャージ姿のお客様が何人かいらっしゃいましたので、何か大会か何かがあるのかなあ、と思いまして」

そうなのである。

確かに僕はジャージで飛行機に乗っていた。

楽だからである。

世の中には公共の場で、飛行機の中でなどジャージを着るのは、おかしいと言う人もいる。

しかし、僕にとって10時間のフライトのあいだじゅう同じ姿勢を保ちながら固い服装をしているというのは恐怖なのであり、できるだけ楽な服装をしていたい。



大体、飛行機の中というものは不思議な空間であり、僕が観察した限りほとんどの人が機内エンタメで映画をみているか、遊んでいるか、寝ている印象が強く、同行者とすらほとんど会話をしていないという人が多い気がする。(僕は音楽を聴きながら窓外の景色をみるのが好きだが)

考えてみれば飛行機の移動時間、10時間以上一つの場所で時間を潰すということは大変なことなのである。

時間を潰すだけでも大変なことなのに10時間以上会話を続けるとというのはもっと大変なことのような気がする。

つまり、飛行機の中では個人が個人の時間潰しに没頭しているわけであり、人の服装、ましてや他人の服装など(ジャージ程度のものなら)そんなに気にすることも、気にされることもないであろう。

それに僕はどちらかといえば太っているタイプの人間である。(それがチャーミングであり、素敵な魅力である)



なので普通の人が普通にしていることが、僕にとっては普通でなく大変なことがたくさんあるのだ。(心ない人は太っていることを言い訳にするなと言う)

というわけで、僕は長いフライトのあいだじゅう楽でいたいからジャージを着るし、他に大して服なぞ持っていないからジャージを着るのだという言い訳がましい説明をするのである。

「いや、これは楽だからこういう格好をしてるんです」

と、僕はCAの方に言った。

「僕はフランクフルトで開催される映画祭に参加するためにドイツにきました」

「映画祭ですか、楽しそうですね」

「そうなんです、楽しんできます、いってきます」

僕は飛行機のスタッフの人たちに挨拶をしながら飛行機を降りた。

なんだか体がガチガチに固まっている気がして鈍重な疲労感がある。

人の流れや看板をみながら出口へ向かう。

飛行場内を自転車で走行するおじさんをみて軽いカルチャーショックを受けたりしながら、ウヒョン、雄司と共にキャリーバッグを受け取り外へ出ると、既にニッポンコネクションのスタッフの方々が待っていてくれた。

挨拶を交わし、彼等に付いて電車移動、ホームステイ先まで移動する。

右も左も分からない、見るものすべてが新しい風景というのは凄く新鮮な緊張感、というものがあるような気がする。

当たり前の話なのであるが、道行く人々や電車を待つ人々は皆ドイツに生きる人々で、日本人やアジアの人の姿はいないわけではないが多いわけでもない。

看板も、店の名前もドイツ語で交わされている言葉もアナウンスもドイツ語である。

30を過ぎて僕はこのような経験をフィンランドにおいてはじめてしたわけであるが、これは子供の頃に受けたような新しい世界を知る新鮮さに近い経験であると思う。

考えてみれば子供の頃というのは毎日が冒険であった。

朝目覚めるたびに、知らない世界と出会う緊張感と興奮があった。

この感覚はとても大切な感覚で、僕なぞは大人になってからもこういう感覚は大事にしなければいけないと思うのであるが、世俗の風に吹かれ、生活に己の身を埋没させてゆくなかで、このような感覚はどんどん薄れ、鈍くなり、失われていってしまうものらしい。

これは悲しいことであるがどうもそういうことらしいので、僕は常に物事を見る目というものを鋭くしていなければならないぞ、と自らを戒めるようにしている。

世の中には理解できていないこと、知らないことが無限にあるのだ。

人を語れば世を語る。何かを知ったようなツラをして、何かを知ったような口を利くというのはあまりよろしいことではないのである。

電車を乗り継ぎ、地下鉄に乗って金魚の糞の如くスタッフの方に付いてゆくうちに僕はWESTENDという駅に着いた。



ちなみにフランクフルトの地下鉄というものには改札がというものがない。

券売機で一日乗車券を購入すれば、その日一日はフランクフルトで地下鉄乗り放題なのである。

これはとても楽なことである。

しかし、どうやって乗客が券を買ったか確認するのか。

これは聞いた話であるが、チケットを確認する人が時折電車の中を見回りにきて確認するそうだ。

その時チケットを持っていなかったりすると罰金を取られるらしい。(40ユーロくらい)

ちなみに僕は今回の旅で毎日乗車券を購入し、毎日地下鉄を利用したのだが、話に聞いたチケットを確認する見回りは一度もなかった。

見回りが来ないなら、チケットなんて買わないで地下鉄乗り放題じゃないか、ヒャッホー、無料電車だ、乗りまくってやろう、なぞとガキくさいくだらないことはとは恐らくドイツの人は考えないのであろう。

つまりこの国には、何処かの国では死に絶えつつあるモラルや良識というものがきちんと生きているのである。

WESTENDは閑静な住宅街であった。



駅回りに飲食店などはほとんどなく、スーパーが一軒とレストランが一軒あるだけである。

映画祭のスタッフに案内され、僕は一軒の大きなマンションに辿り着く。

はっきりいって高級な住宅である。

「すげーですね、この家」

と、僕が言うと映画祭のスタッフの方も

「すごいですね、ここは」

と部屋を見回していた。

僕が滞在する部屋に行くと王様が寝るようなベッドが置いてある。

こんなベッドは外国映画でしかみたことがない。

「今は家主の方はいないんですね、お土産買ってきたんですが・・・」

僕は自分の買ってきたお土産をもう少し高級なものにしたほうがよかったのではないかと、ちょっぴり不安になりながら聞いた。

「鍵を預かってますので、これで自由に出入りしていいみたいですよ。帰りは夜遅くなるかもしれませんね」

僕はスタッフの方から鍵を預かった。

どんな人の家なんだろう、と僕はこの家の家主の方に早く会いたい気持ちになった。

その後、僕はニッポンコネクションが開催される会場に向かった。

オープニングセレモニーに参加するためである。

地下鉄を乗り継ぎMerianplatz(メーリアンプラッツ)という駅で降りる。



駅には既にウヒョンがきていた。

「すげーなドイツは、いいねー」

と、ウヒョン。

「ホームステイ先の人に会ったか?」

「まだ会ってない、でもベッドがすげーんだよ。ルートヴィヒ 神々の黄昏みたい」

「すげーな。ヴィスコンティじゃねーか」

「お土産、あんなんで大丈夫かな」

「大丈夫だ、気持ちだよ、すべては」

なんだかウキウキしている子供のように町の写真を撮っているウヒョンと合流し会場へ向かう。

すると別方向から雄司もやってきた。

俺「おまえ駅そっちなの」

雄司「いや、俺車できたんだ。ホームステイ先の人が送ってくれた」

俺「へえ、親切な人だなあ」

雄司「すごく親切な人だよ」

俺「名前は」

雄司「ギュンターさん」

ウヒョン「かっこいいねー!! ギュンターグラスじゃねーか!!」

数日後、僕たちはギュンターさんと町を回ることになるが、そのエピソードは改めて。

さて、僕らは会場へ行き、事務所に案内されたあと、映画祭から支給されたドリンクチケットで取りあえずビールを飲んだ。



会場は既にかなりのお客さんたちで賑わっている。

ニッポンコネクションは映画の他にも日本の文化を紹介するイベントで、ドイツ人のあんちゃんがハチマキをしてたいやきなどを焼いていたり、ゲームをするようなブースなども設けられている。

僕らは会場を観察しつつ、無事にドイツに到着したことを喜びながらビールをあおった。

ちなみにドイツビールはたしかにうまい。

思い出すとビールを飲みにドイツに再びとんでゆきたくなるほどうまい。

これはビールそのものも勿論うまいのだろうが、僕の考察によるとドイツブランドだからビールがうまいということだけではなく、ドイツの気候もビールをさらにうまく感じさせる理由のような気がする。

湿気の多い日本と、乾燥しているドイツでビールを飲む感覚というのは、僕個人の感想ではあるが、まるで違う。

日本のくそあつい夏にビールを飲むのは僕も好きではある。

然しドイツの乾燥した空気、夜9時になっても日が沈まないあの不思議な夜の空気の中で味わうビールというのはこれまで味わったことのない格別の味であった。

それに僕は日本の酒席というのが正直あまり好きではない。

つーか嫌いである。

特に酒を飲んでの無礼講、説教、愚痴、くだまき、喧嘩、そこにいない奴等への文句や罵倒やくだらぬ批評、下世話な話、謎の年功序列など大嫌いであり、こんな奴等と酒を飲んで三千円も置いて帰るくらいなら、DVD一本買うか、ブックオフで30冊本を買うか、新文芸座に三日間通うほうが良いに決まっていると、考えてしまう。

そのようなタイプの人間である僕は、享楽的で破滅的な生活をしようともしたいとも思わないし、そういう非人間的・反人間的生活をしないと映画をつくることができないのだと1ミリたりとも考えないし、そのような考えが1ミリたりとも格好いいなあ、と思わないので、そういう意味で日本の映画界という場所になじむことができぬ人間だったということも事実である。

しかしそういう生活になじめなければ映画をつくることができない、なぞとは一体どこの馬鹿が言い出したことなのだろうか。

こんなことはあまりにもナンセンスであり「俺たち陽気な海賊家業、ヨーホイホー」的レベルなただの幼稚なポーズに過ぎない。

僕は学生時代よりこんなことを言う人間をよく目撃した。

「遊ぶことも勉強だ」

確かに一理あるかもしれない。

しかし、遊びも勉強、という言葉に踊らされ、遊んでばかりいる人間という者がたくさんいることも僕はよく知っている。

僕の考えではそのような人たちにとって遊びは勉強ではなく、遊びが遊びでしかない。

当たり前の話であるが遊びが勉強になりえても、創作は遊びではないであろう。

まあ、享楽的で破滅的な生活=映画人の生活、と考える人は考えればよいのだし、そういう考え方はあまりにも古臭くて、封建的すぎるし、僕は嫌いだし、大体そんな生活態度の人たちが本当に面白い映画を作れているのかがたいへん疑問だよなあ、と考える僕のような映画界の末端を汚す馬鹿者もいるというだけの話でありこの話に大した意味はない。

言いたいことはドイツで飲むビールは最高にうまい、ということである。



                             ※写真はイメージ

そうこうしているうちにオープニングセレモニーの時間となった。

オープニング作品は「福福荘の福ちゃん」

東京国際映画祭の時に会った、アダム・トレル氏がプロデューサーを務めた作品である。

オープニングから、この映画祭の熱気がムンムン伝わってくる。

果たして「そして泥船はゆく」はどのようにドイツの人に受けとめられるだろう。

果たして笑ってくれるだろうか。

僕は自分の作品の上映日が楽しみになった。

その日は、映画祭から支給されたチケットでケータリングルームで食事を摂り、翌日のスケジュールを確認し、僕らは早めにホームステイ先の家に帰った。

時差ぼけで体の調子もなんだか少し変なのである。

地下鉄を乗り継ぎWESTENDの家に戻ると、家主の方はまだ帰宅していなかった。

僕はシャワーを浴び、ベッドに横になるとすぐに眠りに落ちた。

王様が眠るようなベッドで果たして俺のような身分不相応の人間が眠ることができるだろうかと思ったが、普段眠っている万年床の数百倍快適な眠りに落ちることができたので僕は翌朝、このような素敵な王様ベッドが欲しいなあ、畳の下にカビも生えているし、あの万年床は捨ててしまおうかしら、と不覚にも思ってしまったものである。

窓外から淡い陽光と、軽く冷気を含んだ空気が部屋の中に流れ込んできていた。

とても爽やかな朝だ。

鳥の声と小さな子供が遊ぶ声が遠くから聞こえてくる中、僕は鼻歌なぞを歌い、ウキウキしながら出かける仕度をはじめた。

まさかあのような悲劇がドイツ滞在中に起ころうとは夢にも思わずに・・・



                              ※写真はイメージ


→ドイツ阿呆紀行 第四回へつづく