千葉県長生郡長南町豊原 油殿1号墳へ その2 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

長南町(ちょうなんまち)にある油殿(あぶらでん)1号墳の続きですウインク

 

↑油殿1号墳、東側よりカメラ 左手前が「前方」部、右奥が「後円」部、独立丘陵上に築かれているので、かなり大きく見えますおねがい

 

公園から古墳にアプローチできますウインク

(公園と言っても草ボーボーです)

 

 

 

↑草ボーボーの公園にある油殿古墳群の解説板

一宮川の支流、埴生(はぶ)川の北側、標高40メートルの独立丘陵上に位置し、前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群。

 

以前、触れたことがありましたが、埴輪の「はに」とは赤もしくは茶色の粘土質の土を指す大和言葉と言われています。そんな「はに」が多い場所、もしくは埴輪を生み出していた場所が「埴生」という地名になっている可能性が高いんですよ照れ

 

 

 

 

↑油殿1号墳、もうちょっと近寄ってカメラ撮影、前方後円墳ということが、よくわかりますおねがい

 

 

 

↑丘陵上にも油殿古墳群の解説板がありました

 

 

 

 

↑「前方」部から「後円」部への眺め

「後円」の方が大きく高い前方後円墳の初期タイプですニコニコ

 

 

 

↑「くびれ」部近くにある油殿1号墳の解説板と「後円」部

 

 

 

↑解説板

墳長93メートル、「後円」部径50メートル、「後円」部高さ8.5メートル、「前方」部幅24メートル、「前方」部高さ3.5メートル、4世紀末~5世紀初頃築造の前方後円墳。トレンチからは壺形埴輪の破片が出土されており、墳頂部には壺形埴輪が巡らせてあったと考えられる・・と記されています。

「壺形埴輪」と説明されているので、おそらく関東に「埴輪」が登場する直前の形態、墳丘上に並べた特殊土器だったのでしょうキョロキョロ

 

 

 

↑解説板の表現を使えば「壺形埴輪」の破片ラブ(一般的には土師器です)

 

↑反対側

 

 

 

↑別の「壺形埴輪」の破片ラブ(一般的には土師器)

 

↑反対側

 

 

 

↑「後円」部から「前方」部への眺め

 

奥に写っている森の中に油殿古墳群の2号墳と4号墳がありますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

オマケ(ちょっと汚いものをお見せしますガーン

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↑蚊の大群に襲われると、こうなります笑い泣き

 

そんな蚊に襲撃された内容については次回のブログにて・・