千葉県栄町 龍角寺岩屋古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

大晦日、横芝光町の殿塚古墳姫塚古墳を訪れたあと車栄町の龍角寺古墳群に行ってみました。

↑龍角寺岩屋古墳(龍角寺105号墳)

 

現在の成田市・栄町・印西市あたり、律令制以前は印波国(いんばのくに)。この印波国、物部氏との関わりが深かったという説があります。そもそも印波という地名自体が応神天皇の時代の物部印葉(にいば)が由来。印西市には鳥見(とみ)神社がたくさんあり、やはり鳥見神社も物部氏と関わりがあると言われています。

 

 

 

↑解説板

一辺約78メートル、高さ13.2メートル、三段築成、7世紀前半~中頃の方墳。

 

同じ時期(6世紀末~7世紀)の畿内では春日向山古墳(用明天皇陵)や山田高塚古墳(推古天皇陵)が方墳。蘇我馬子が葬られた石舞台古墳も方墳。それらの規模より大きいのがこの龍角寺岩屋古墳。ちなみに用明天皇と推古天皇の母は蘇我氏の堅塩媛(きたしひめ)。

 

龍角寺については発掘調査により、法起寺式伽藍配置の遺構が見つかったほか、現在の奈良県桜井市にあった山田寺と同じ方式の瓦が発掘されたため、創建は7世紀の可能性大。ちなみに、山田寺は蘇我倉山田石川麻呂の発願。

 

 

 

↑開口している岩屋古墳西石室

おそらく葬られた人物は蘇我氏系?龍角寺も蘇我氏の氏寺として創建されたのでしょう。

 

 

 

↑西石室解説板

 

 

 

↑西石室

成田周辺で産出された砂岩が用いられ、天井石は筑波の片岩が使われています。

 

 

 

↑東石室、埋め戻されたようです

 

 

 

↑東石室解説板

 

 

 

龍角寺の七不思議の一つに「三ケの岩屋」伝説があります。この龍角寺岩屋古墳の開口している石室2つと、近くにある龍角寺みそ岩屋古墳の開口している石室1つ、これらの石室の中には隠れ座頭という妖怪が住んでおり、冠婚葬祭とかで足りなくなったお椀を村人に貸してくれた妖怪だったとか。(なんだか可愛らしい妖怪)ある時、お椀を返し忘れてしまって、その妖怪は二度と村人にお椀を貸すことをしなくなった・・。今も返し忘れたお椀が龍角寺に残されています。

 

 

 

元々、物部氏系だった印波国造。公津原古墳群を中心とする勢力と龍角寺古墳群を中心とする勢力、丈部(はせつかべ)氏と生部(みぶべ)氏が交互に国造の地位に就いていたと思われます。利根川の砂金を取って経済的にもそれなりに発展していた地域。(佐原・・など「佐」は砂金の「砂」という説もあります)

その後、畿内のヤマト政権では6世紀になって物部氏が敗れ、蘇我氏が台頭。この印波国にも畿内の影響が及び、蘇我氏の勢力が龍角寺古墳群あたりに進出、砂金掘りの技術を教えてもらうか、砂金掘りの権益を譲ってもらおうと平和裏に交渉したものの決裂。物部氏勢力を追放もしくは滅ぼしたのかもしれません。(お椀・・砂金を集める道具の象徴、「三ケの岩屋」伝説は、物部氏と蘇我氏の抗争を表したものかもしれません)

 

 

 

↑右手前が東石室、左手奥が西石室

 

 

 

↑龍角寺岩屋古墳

ちなみに、物部氏と蘇我氏の抗争など、完全に個人的な説ですよウインク古墳巡りが楽しいのは、当時の記録が残っていないので、色んな想像ができるところです。

ちなみに、龍角寺岩屋古墳を訪れた時は雨も降ってくるし寒いしで、カメラを持つ手は、かじかんでいましたえーん