みなさま、こんにちは。

昨日、神界のワークが終了しまして、無事に神繋ぎとゆうイニシエーションも終わりました。

日本神だけは嫌だな~と思っていたら、やっぱり宇宙神だったようでホッとしています、笑。

これからの新しい地球を担ってくださるライトワーカーさんがお手伝いしてくださるように、(あえてライトワーカーさんの育成とは言葉は使いません。だって、いちから一緒に作り上げていくんですもん)、これから沢山のことをしていかなくちゃならないようです。(と言っても、全部試行錯誤です)

☆私の思うライトワーカーさんとは、プロとしてヒーラーやワーカー、カウンセラーとしてお仕事されている方の他に、サラリーマンや主婦の方、様々な職種の方でも周りの方を幸せにハッピーにしたいとゆう願いと祈りのもと、ご自身の覚醒や癒しを通して、ついでに周りの方の心も喜びや平和へと導いていかれる方々です。
もしかしたら、これからの宇宙的なハッピーライトワーカーさんは、存在感ですべてを行うカリスマ的になるのかもしれません。


私のもとに来てくださった神様のような存在たちは、レムリアより以前に地球が出来上がるのに関わった方々でした。

地中の奥深くから叡智をいただいたり、神繋ぎの前には様々な封印が解かれ叡智が戻ってきました。

私の魂も、地球の創生には関わっていたようで、たぶんそこの接点で地球創生に関わった宇宙の存在たちとの間に絆のようなものがあるのだと思います。

そうして、新しい地球になっていくには、これまでにない新しい概念と定義が必要です。

特に、「いのちとは」「生きるとは」とゆうところで、これまでの概念が覆されるようなものになるようで、そこをいっきに変えることはできないので、徐々に一緒に行っていってくださる方々が必要なのです。

いのちの定義についてや色んなことが変わっていくことは、もうこの地球ができるときにある程度、細胞的に組み込まれていたことで、それを行っていくのに封印が解かれたのだと思います。(遅いくらいだそうです、汗)

私のブログのタイトルが、「いのちとは願いと祈り」なんですが、なんとなくでもこの意味が分かる方はいらっしゃいますでしょうか?

これは、昨年にスーパーバイザーさんから言われた言葉で、「あなたはやるべきことをやっていない。あなたにとって命とはなに?生きるってなんですか?それが分かれば、やるべきことも見えてくるんじゃないですか?」と言われたことがきっかけで、私なりの「いのちとは」「生きるとは」を考えてみました。

すると、子供の頃から感じていた「私にとって生きるとは、いのちとは、つねに願いと祈り」だったと思い出し、ブログのタイトルにしました。

私にとっての祈りとは、神様や様々な存在に何かを達成するために懇願するようなものではなく、ただここにあることのすべてに感謝を捧げるエネルギーです。

自分やこの世のすべての人たちがここにいることへの感謝のエネルギーが祈りです。
地球への感謝の祈りです。
感謝のエネルギーは、すべて無条件でOKとゆう波動です。
無条件で「ありがとう」と「喜び」です。
誰かに「ありがとう」と言うとき、心は喜びで溢れていませんか?
喜びは、相手に送ると、必ず相手の方も反応して喜びで返してくれます。
すべての方が持っているのが、喜びのエネルギーです。

私は子供の頃、このエネルギーを純粋に空に向かって贈るとゆうことをやっていました。
とにかく、誰でもいいので、空や宇宙に神様のような人がいたら感謝の想いを伝えたかったのです。

ある時、空に向かって祈っていると、お釈迦様のような菩薩様のお顔が空に現れて、私はそのメッセージの答えをもらった気がしました。

私とゆう人間とは別のところで、そのエネルギーは私の深い場所でいつも溢れていたように思います。
(ふと、このエネルギーの伝授も行いたいなぁと思いました)

願いは、その人から紡ぎ出される霊的な願いです。

多くの方が、祈りのなかで、その方本来の願いが紡ぎ出されますように。


ここのところずっと、宇宙から降ろされる叡智によって生まれる、新しいライトワーカーさんのビジョンが来ていて、そのみなさんは宇宙にはない霊障やカルマを超越していく方々なのです。

どうして私たちは地球とゆう場所で、霊障やカルマを作り出すのでしょう。

そのような根本的なところから変えていってくださる方々です。

私は、霊障を引きつける方は、まず第一にシャーマンの資質のあるライトワーカーさんであると思いますし、カルマの重い方々は、それだけの課題を持って生まれたとても勇敢な方々だと思っています。

家系からのものを背負ってくる方々も、霊的にみたら、「家族や誰かのためになりたい」とゆう想いが強くあるからです。

ただ、怖れも強いがために、自分を犠牲にしてまで家族のために生きてしまうところがあるのだと思います。
(自分がそこにいなければ、自分がやらなければ不安や心配など…)

まず、犠牲にならなくてもいいよとゆうところを霊的に知ってもらい癒さなければなりません。

実際に、私のところへ来られる方々はそういった方々でしたし、私自身もそうでした。

カルマ(怖れや課題)はこなすためにあり、けしてすべてを簡単に消し去るためにあるのではありません。

とは言っても、すでに手放していい怖れもあると思うので、それを手放しつつ先に進んでいけるようなセッションを行っていきたいなと思っています。

色んなワークを受けてみたけれど、あまり変化がなく繰り返しているような気がするとゆう方は一度ご相談ください。


プリエール  桜岡 智子