「惑い」とは、可能性のことだった♡「マイルール」はそのとき、破られる♡ | 小原あやこ Official Blog「ご自愛ライフスタイル研究室♡最愛の自分に、最高の運命を♡」Powered by Ameba

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「ご自愛の法則」と「引き寄せの法則」は知れば知るほど瓜二つなシステムじゃーん、と最近知ってしまいました。笑 そんなわけで最近は、エイブラハムとザ・シークレットも実践中です♡

日中、自分で書いた「40にして惑わず」について考えていました。笑


というのも、

「惑い」とは「まよい」のことで、

だってまようから良くなっていくんじゃないの?

と思ったから。



事実、「40にして惑わず」と記した大人(タイレン)の死に際は、

彼の願っていたようなものではなかったわけで。

    



理想の主君を求め続けて、

どんどん貧乏になり、

寂しい最期だったというのを読んだことがあるのです。

 


本人がどう思っていたかはまた別の問題だとしても、

そんな彼に憧れない自分は、

じゃあ彼のように「40にして惑わず」じゃないからといって、

素敵な人ではない、ということではない

と思ったのです。




惑いがあるから、

わたしはわたしの「今」を疑うことができる。


それは「惑う」という姿をした「余裕」なのかも。




思春期の少年少女たちがかくも惑うように、

大人だって生ある限り、

しつこく細胞分裂を繰り返す。



よりよく生きる、

よりよく理想を叶える、

そのために惑いというプロセスがあった時、

そこで初めて気付く可能性もたくさんあるから。



それは、自分で自分の「マイルール」に気付いて、

そこから解き放たれていくということ



だったらわたしは、

恐れずに惑い続けることを自分に赦そうと思いました。



その惑いは必ず、

「より良いわたし」を叶えてくれるはずだから

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