くらいの人は、ぜんぜんいいと思うんです。
以前は、ほんのたまにですが、
うわっ!目が潰れるかと思った!
失せろブス!!
っていう自撮りをちょいちょい見ては、
「これってなんの投影?なんでこんなにムカつくし本当に目が痛いの??」
って、ずーっとモヤモヤしておりました。笑
でも最近は本当に見なくなったんです!
嬉しい!!!笑
ほら、よくいるでしょ。
「わたしはそんなところで判断しない」
っていう人。
あなたマジで聖人君子ですね!!
って思います。
で、なんの投影かという話の続きをします。
わたしは心底、
「美しいものしか見たくない」と思ってるんです。
でもそれって深読みすると、
「自分の闇に触れず、できるだけきれいな世界で生きていきたい」ということかもしれなくて、
「おーでたでた、ダサいやつ」
と思いながら更に自分を読んでみました。
わたしは本当にキザなかっこつけだなー
と気付いたし、
だけどそういう、
カッコいいのが好きだというのも事実で。
それはなぜかというと、
脳という臓器は、
「その人にとっての、美しいもの」を認知した時に、
快楽を感じさせてくれるからです。
つまりは、自分が心地よく在るために、
わたしは美しくてカッコいいものが好きなんだなぁ。
と気が付いたし、
やっぱりダサくてカッコ悪いのは嫌いだ。
とも思いました。
カッコ悪くて ダサいわたしを受け容れてくれる器があることをわかったうえで、
それでもわたしの「好み」というのは、
外見的な美しさを求めてます。
これからも、
美しくカッコいいものに囲まれた、
自分の価値観が認めるような素敵なわたしにしてあげたいんです。
心がきれいなら、外見はどうでもいい
人によっては、
そんな美学もあるのでしょう。
それはそれでいいと思うの。
わたしの視界にさえ入ってこなければ。笑
わたしは、心も外見も、
自分が自分にとって心地よく思える存在で在りたいし、
そういう人に囲まれた世界で生きたいです。
だからこそ、もっときれいになりたいし、
まだまだ、という部分を見ては落ち込むの。
今日もまた目が腫れちゃったし。。笑
「きれい」「美しい」というのは、
なにも光の部分だけを言うのではないですよ。
純粋な光と闇の表裏一体のその姿こそを、
「美しい」と感じるのだと思う。
だからこそ、わたしはこれからも自分のダサいカッコ悪さも受け容れつつ、
人生で味わえるだけのこの世の美しさに食らいついていく。
「ご自愛」ライフスタイル研究室からのご案内
3月のご予約枠は満席となりました!
ありがとうございます。(次回募集は4月下旬を予定しております)
4月はお休み期間となりますため、
お茶会や個人セッション「ご自愛研究会議」の予定はございません。
どうぞよろしくお願いいたします。