擁護派の方からコメントを頂き、きちんとした反論コメントでしたしコメント欄で返信すると長くなるので、ここに書かせて頂く事にしました。

その擁護派の方は、森発言の「結論が重要。結論では女性を登用すると言っており、これは女性蔑視にはあたらない。」とのご見解でした。

森発言の最後は女性を称賛し、だから欠員が出たら女性を選ぶというような結論となっているので、それまでの部分は口下手な森氏の不必要なオマケであり、その前段部分だけを取り上げて女性蔑視というのは不適切であると。

私が最初にブログに書いた、「黒人が...と言った時点でもう差別です(後で不適切かと思い削除)」という部分も読んでおられて、「黒人は日本人よりも筋肉がつきやすい」などの称賛であれば、蔑視や差別にはならないとのご意見でした。

これに個人的な経験から反論したいと思います。

私が30数年前ニューヨークに駐在していた時、ジム仲間に黒人がいました。

彼は私よりも細い脚で私よりも重い重量を挙げるので、私は「やっぱり黒人(African American)の筋肉は日本人とは違う」と感心したら彼はムッとして無言でした。

同じ時期に、私よりも筋肉量の少ない白人のメンバーに対し、「白人は筋肉がつきやすいからすぐに大きくなるよ」と言ったら、彼は「それはどこかの人種差別ジョーク(Racial Joke)かい?」と不愉快そうな顔をしました。

当時はまだ医学的には証明されていませんでしたが、今ではアフリカの一部地域の人々の筋肉が、短距離走などに優位性を持つ事が証明されています。

しかしポイントはそこではなく、彼等は「黒人とか白人」という属性で括られた事に立腹したのだと考えています。

今でも私の言った事(の内容)が間違っているとは思いませんが、属性で彼等を括った事は大きな間違いであったと、今なら分かります。

黒人にだって足の遅い人はいるでしょう。

足の速い人は相当な努力でそれを手に入れたのです。

それを、「黒人は足が速いね」と言われたら面白くないでしょう。

同様の経験が私にもあります。

私が提出した資料に対してアメリカ人の上司が、「日本人はいつも期日通りに正確な資料を出してくれるからありがたい」と言いました。

私は彼とは仲が良かったので、即座に「日本人が全員時間を守るわけではないし、正確な資料を提出するわけでもない。これは私が貴方のために努力した結果である。」と反論しました。

彼はすぐに謝罪してくれましたが、別に彼に悪気はありません。

むしろ私に感謝し日本人を称賛しようとしたのです。

でも、私の個人的な努力を「日本人なら誰にでも当然のように出来る事」と括られた事に腹が立ちました。

普段は比較的横柄なアメリカ人上司が顔色を変えて謝罪して来たので、こういう差別とか人種問題に彼等は我々よりも敏感なのだとも感じました。

仮に悪気がなくて、相手を褒める意図があったとしても、それを不愉快に思う人はいますし、ましてや属性で一括りにしたら、その時点で「差別」なのです。

この「無自覚な差別」を「マイクロアグレッション」と呼ぶそうです。

森氏の発言全体を読んで、これが女性に対する褒め言葉だと私は思いませんが、自分が必要とされたと感じる女性もいたかも知れません。

しかし、「女性が...」と言った時点で差別なのです。

大多数の女性が森発言を女性蔑視と感じました。

「ラグビー協会としての恥の部分(女性が入って会議時間が倍になった)」「女性は話しが長い」。

私はこれまでの人生で「話しが長い」というのを肯定的な意味に使った人に出会った事がありませんが、仮に森氏が「女性は話しが長くて説得力がある」と言いたかったのだとしても、「女性は...」と言った時点で差別です。

ポイントはここなのです。

女性でも話しの短い人はいますし、男性で話しが長い人もいます。

「個々を全て受け入れる」のがダイバーシティで、「女性や黒人という個別の属性を受け入れる」のではありません。

「貴方は足が速いね」や「貴方の資料はいつも正確で助かっている」が正解で、仮に褒め言葉であっても「日本人は...」と言った時点でアウトです。

そういう意味で森発言は完全にアウトであり、平和の祭典の組織委員会の長として全く相応しくないと私は思いますが、それに対して芸能界で「マスコミの切り取りに踊らされてはならない」という風潮になっている事に呆れます。

そもそも全文を読まないで貴方達はコメントしていたのですか?と。

私は個人的に森氏も自民党も大嫌いですから、今度の事は「森おろし」の恰好の材料ですが、そうでなかったとしても、やはり森発言が「差別」である事に違いはありません。

そもそもこの情報がリークされた事が、森氏が歓迎されていない事の証左かと。

「差別」と「蔑視」は違うでしょうが、五輪の組織委員会の会長の発言として不適切なのは一緒です。

森氏の退任は当然であり、日本はもっともっと「差別」に敏感になるべきなのだと私は思います。