11月になっても | 無駄話。

無駄話。

鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨日はすぐに寝つけたようだ。11月になってもまだ扇風機が片付けられない。

 日本橋の丸善でポイント3倍増のクーポンも出してプチブル極左の菅孝行の自伝「ことにおいて後悔せず」を買った。この人物の本は初めて買ったが、父親は陸士25期の陸軍中将で本人は学習院から東大というエリート様。極左ギョーカイから追い出されたのか、それとも昭和天皇という「巨悪」が崩御して「ソ連・東欧圏」の崩壊で居所をなくしたのかは知らないが河合塾で働いていたのは知っていたが「邪悪な資本主義社会」の大企業に入る通過点になる「いい大学」に通う為の予備校で日銭を稼ぐより不登校児を相手にするようなフリースクールといったところで働かないのか?東大卒のエリート様には手に負えないし儲からないのでしたくないのかもしれないけれど。父親の菅晴次中将は「上級学校に行く学費がなかった」ので陸士へ入ったとあるが、旧制膳所中学は進学校の膳所高校の前身だ。旧制中学に通うだけの学費はあったのか、それとも誰かが出してくれたのか。戦後の記述で公職追放された時期に子どもを雙葉や学習院のような私学に通わせているともあるので話半分に読んだ方がいいようだ。陸士から砲工学校とあるが「日本陸海軍総合事典・第二版」によると原隊は近衛砲兵聯隊だそうだ。つまり原隊が近衛の陸軍中将が父親で本人が学習院出身ならソ連の場合、近衛将校出身のトゥハチェフスキーのように赤軍の司令官になるか両親や「反革命」の一族を告発しない限り「反革命の出自」と差別される。旧制膳所中学から陸士、砲工学校を経て東京帝大に派遣されたというので膳所高校から東大工学部に進んだ澤田彩香みたい。同じ陸軍中将でも有末精三は陸士29期なので息子がフィリピンに行って不在だったという葬儀の辞でも「菅閣下」と呼んでいただろう。有末精三の名前が出てくるところを見ると有末機関に関わっていたのだろうか?1期後輩の遠藤三郎中将のようにはならなかったようだ。エリート様の著者とは違って新潟の貧農の息子で船員出身の佐藤勝巳を「「拉致」を知る前」は日韓条約批准での社会党の国会議員の発言を批判したと評価しているが、佐藤勝巳が北朝鮮に対して言葉を選んで批判した「わが体験的朝鮮問題」を書いたのは昭和53年。この本を拾い読みしていて昭和天皇の在位50周年あたりから唐突に「反天皇制」が出て来るとは思っていたけれど全共闘運動の破産で極左セクトには入りたくないが闘争の目標を探していたノンセクトラジカルあたりが「侵略戦争と差別の象徴」として昭和天皇を対象にしたような気がしてきた。メルカリで以前、古本屋で冷やかしていて昭和天皇と皇族に対して人格攻撃ばかりしている口汚い本という記憶がある「戦後史の天皇」なる駄本を買ってみたが、この本には「戦後史の天皇」が出て来ない。どうやら菅孝行はエロ本を万引きした事で知られる共著者の天野恵一と犬猿の仲になったらしいが過去に遡って一緒に編者となった本まで抹殺するし天野の名前を「主要人名録」にも掲載しないようだ。まるで恩師夫婦が志賀義雄に付いていったので夫共々日本共産党を除名されたくないからか絶縁したいわさきちひろみたい。しかし索引がないのは使いにくい本だ。

 メンタルに行って比較的早い時間に帰った。