みっともない話し、その他。 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 「文藝春秋」2月特別号に「三笠宮崇仁親王が戦時中に書いた「日中不戦の誓い」」と題して再録された「支那事変に対する日本人としての内省(幕僚用)」の付録「綿鉄集(政略之部)」と、一緒に掲載されている中野邦観氏の解説を読みました。
 中野氏の解説では、「This is 読売」平成6年8月号に、通称「三笠宮文書」が初めて「大特集」として紹介されたのが初出であるかのように書かれています。
 しかし同じ文藝春秋社の「諸君!」平成6年9月号に柴田紳一国学大准教授が「『三笠宮文書』読売スクープの幻」に、昭和末以降、同「文書」が部分的であるにしても紹介された文書である事を指摘されています。
 同氏の「日本近代史研究余録」に「「三笠宮文書」-読売スクープの幻」として再録されています。
 当方は「諸君!」誌で柴田氏の論文を読んで、読売新聞も随分みっともない「スクープ」と組んだものだ、と思ったものですが、その続編を、それも「諸君!」の版元である「文藝春秋」で読む事になるとは思いませんでした。
 困った事に「三笠宮文書」は平成6年に「This is 読売」誌上で初めて公開されたかのように書く論者が他にもいる事です。
 小田部雄次氏の「皇族」では同「文書」が中野氏の解説にある「国立国会図書館」ではなく、「防衛研究所で発見された」、と正確に書かれています。
 三笠宮崇仁親王論では、この「文書」が避けては通れないので、正確に書かれてほしいものです。
 話は変わって、同氏に掲載された李登輝元総統の短文には「中国共産党とは、水面下で複数の情報パイプがあったのです。」とあります。同じ事を氏は「SAPIO」1/26号にも書かれています。氏は戦後日本から台湾に復員して台湾大学に在学中、中共に入党していた事があります。1950年に台湾で国民党に逮捕されて転向して蔡孝乾中共台湾省工作委員会委員の系統なので、大陸の台湾民主自治聯盟と個人的なつながりがあった事は書きたくはないのでしょう。
 氏が国民党に入党した時に、直系の幹部だった蔡孝乾が転向して生きていたので、当時の事情は国民党特務はよく分かっているでしょう。2・28の後、大陸に逃れた謝雪紅の系統だったら、どうなっていたでしょうか?
 蒋介石総統ならば中共とは黄埔軍官学校時代の、蒋経国総統ならばソ連時代の人脈があった事は秘密ではない事ですが、李登輝総統の場合は今でも微妙な問題なのでしょう。