ヤフオクで落札した昭和26年9月号の「文藝春秋」に李鍵公殿下の手記が掲載されていましたので読みました。ちょうど離婚騒動の頃に書かれたもので、半分ぐらいがその関係のものです。半分が自らのアイデンティティを書いていましたが、今日古本屋から届いた昭和40年12月号の「文藝春秋」に掲載された手記とは食い違う箇所がありました。古い方では実母が不明で朝鮮語は話せなくても読めるとあるのが、新しい方では戦後韓国から実母から手紙をもらったと書いてあったり朝鮮語の読み書きが出来ない、という具合に。
古い方では戦後名乗った日本名の「桃山虔一」なのに、新しい方では朝鮮公族時代の「李鍵公」で書かれていました。昭和56年に刊行された「天皇家の密使たち」でも何故か本文では、取材を受けた時点でも「李鍵公」になっていました。