74歳の野球小僧登場!田原藤太郎さん(その1) |  カベスタ 北の球児たち since2011

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FMアップル 「北海野球部百年物語」 月曜日20時~21時(札幌76.5MHz)

インターネット放送はこちらからお入りください。北の高校野球ファン必聴!FM アップル 「北海野球部百年物語」-百年物語(右本体、手前別冊)



提供:株式会社アインファーマシーズ


お待たせしました! 今日は4月26日、今週の月曜日に放送した田原藤太郎さん(昭和28年度・6期)をご紹介します。まずは前半を。



本当はもっと早くに登場していただく予定だった田原さん。数年前には悪性リンパ腫と診断され心配されましたが不屈の闘志で元気そのもの。「心配しないでください」とみなさんにメッセージまで贈って下さいました。8年前まで北海野球部OB会会長を務め、現在もお住まいの江別市で江別野球連盟会長として地域住民と一体となって北海道日本ハムファイターズを応援し、野球を通して地域を元気にさせよう、と奔走しています。


北の球児、闘いの記録~北海野球部百年物語/長壁 明


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田原さんを見ていると「野球好き」に加えて「すぐ行動」する凄い人、と思います。生意気な言い方になりますが、今まで多くの野球関係者、スポーツ関係者にお会いしましたが、素晴らしい考え方や素晴らしい意見を持ちながら行動に移すことの難しさに苦しむ方が多かったように思います。田原さんのようにすぐ行動する方はきっと多くの方との軋轢もあったことと思いますが、同時に多くの方々をひきつけたことと思います。田原さんの生き方をみていると意地っ張りな剛球一本勝負、そんな気がします。


田原藤太郎さんプロフィール

1936年(昭和11年)3月札幌市生まれ。札幌北九条小、札幌北辰中と野球少年。7歳違いの兄・基稔さん(北海中43期、札幌鉄道管理局から国鉄スワローズ)の影響も受けて1951年(昭和26年)北海高へ入学。1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。3年時は春夏連続甲子園出場。不運にも春夏とも初戦敗退だったが、夏の慶応義塾(神奈川)戦では相手打線を無安打に抑える好投を見せ注目された。

1954年(昭和29年)3月、北海高を卒業後中日ドラゴンズへ入団。入団初年度には国鉄から移籍した兄・基稔さんと兄弟で同一チームに所属した。5年間で4勝4敗の成績を残し引退後、電電北海道でも活躍した。

現在も江別市野球連盟会長を務め、日本プロ野球OB会での少年野球指導など積極的に活動している。

江別市在住、74歳。北の高校野球ファン必聴!FM アップル 「北海野球部百年物語」



田原さんには不思議な知名度の高さがあります。それは田原さんの人生が数奇なめぐり合わせにより、印象的な出来事となっているからでしょう。

「そう、長壁君が言うように野球の神様が色々ね、やってくれるんですよ。まだまだ死んではダメ、って言ってくれたり(笑)。6年前に悪性リンパ腫になったり、心配かけましたけれど今は元気ですよ」

見るからに若々しくて声も若い田原さん。何も言わなければ74歳であることも、闘病生活を送っていたこともわからないほどです。


話は田原さんが北辰中3年生になる頃からはじめます。野球とは直接関係ありませんが、田原さんは1950年(昭和25年)に始まった記念すべき第1回札幌雪まつりで雪像を造っていたのです。これも田原さんらしい逸話ですよね。当時、これほどまでに大きな世界的なイベントになるなんて夢にも思わなかったでしょうから。

「そうなんですよ!あれは中学2年の冬ですね。美術の先生に言われるがまま雪像を造ってね。でも全くと言っていいほど憶えてなかったのですが、10年ほど前の50回記念の時に取材頼まれてね。断ったのですが、息子がNHKにいるので頼まれてしまって。昨年の60回記念の際も新聞に出ちゃいましたね」

私もその記事を見て微笑ましく思いました。「元プロ選手も雪像を造っていた」という無理やりなテーマも面白かったです。北の高校野球ファン必聴!FM アップル 「北海野球部百年物語」-田原藤太郎さんプロでの活躍


「その昭和25年は尊敬し、大好きな兄(長兄・基稔さん、5人きょうだいで田原さんは末っ子)がプロ野球の国鉄に入団するということで札幌駅で見送った想い出があります。日本のプロ野球が二リーグ制になるため球団数が増えたことで国鉄が参入したのです。兄は旧制・北海中(43期)を1947年(昭和22年)に卒業し、社会人野球の札幌鉄道管理局(現JR北海道)へ進んでいました。そこへ国鉄のプロ野球参入により声をかけられたのです。札幌駅で見送る際に『兄ちゃん、オレも(プロへ)行くから!』って約束したんです」

この中学3年生になる春の「約束」が田原さんの人生を大きく変えるのです。


「それまでは野球少年、って言ってもアマアマで、暑かったら練習休んで、ってそんな感じでした。でも3年生ってこともあったし兄との約束もあったから練習を頑張ったのですね。そうしているうちに兄の関係もあって飛澤先生にもお会いして、声かけていただいて・・・。自動的に北海入学ですよ。今だから言えますが入学試験どころか普段の試験もまともに受けた記憶がありません(笑)」


この年(昭和26年)の北海野球部は、戦後最大の盛り上がりだったといえるでしょう。何故なら、戦後勝てない時期が続いた北海が前年の1950年(昭和25年)夏、10年ぶりの甲子園出場を果たし、山城(京都)、明治(東京)といった強豪を連破してベストエイト入りを果たしたのです。しかも大黒柱・塩谷辰哉投手(4期・早稲田大から北海道拓殖銀行)は2年生。全国優勝も夢じゃないと言われる年だったのです。

「そのあたりは何となく知っていたような・・・でも本当に200人はいたと思いますよ、新入部員は」


田原さんにとって初めての挫折がいきなりやってきます。

「北海に入学して最初の練習でガックリと落ち込みました。何故って?野球をやろう、って思って行ったのにグラウンドにすら入れないのですから(笑)。1年生でもキャッチボールくらいは出来るだろう、って思ったら甘かった。ただひたすら声を出して、ファウルボールが飛んだら争うように拾って返すだけです。家に帰って悲しくてすぐに寝ました。心配した母親に『そんなに辛いのなら辞めてもいいんだよ』と言われてのを憶えています」


田原さん自身も辞めたかったと言います。でもここで踏ん張れたのは中学の頃、大好きな兄・基稔さんと交わした約束でした。そして基稔さんはプロ野球の世界で堂々と活躍、新参チームである国鉄の大黒柱的な存在となっていたのです。

「やっぱり兄との約束もあったし・・・今思えば、飛澤先生に声かけて頂いての入部だし、兄のこともあったので、多少は優遇されるのではないか、という甘えもあったのかもしれません。逆に兄の存在で辛いこともありましたけれど、兄には感謝しています」

野球が大好きだった基稔さんは1996年(平成8年)に若くして亡くなられました。


「野球を辞めなかったのは今思うと不思議と周囲の方が私が野球をやるようにやるように、と方向付けしてくださったのですね。例えば父親も野球が大好きでしたが普段は何も言わないのです。でもいつの間にかバーベルを作ってくれていたり。たくさんの方が野球をやる道をいつの間にか作ってくださっていた気がします」北の高校野球ファン必聴!FM アップル 「北海野球部百年物語」-田原藤太郎さんインタビュー特集


200人を超える新入部員たちが日に日に少なくなっていきます。もちろん、飛澤栄三先生や当時の監督だった筧(かけい)智さん(中学24期)が段階的に田原さんにチャンスを与え、田原さんも期待に応えたのでしょう、6月の帯広遠征にも帯同し、1年の夏にはベンチ入りを果たします。当時、昭和26年は北海の塩谷投手、函館西・太田侃投手(2年・近鉄)、帯広柏葉・品田栄太郎投手(法政大から北海道拓殖銀行)と北海道高校野球史に残る好投手の競演がありました。北海は苦しみながらも塩谷投手の力投で甲子園へ出場。田原さんも塩谷投手の控え投手としてベンチ入りします。

「塩谷さんにはホントに可愛がって頂きました。太郎、太郎ってね。一緒に走ってはちょっとサボったり、飲み物をご馳走していただいたりね」


田原さんは2年生からエースとなりますが、昭和27年は函館西高校が強かったのです。太田侃投手をはじめプロ入りする選手が3人もいた強力チームでした。北の高校野球ファン必聴!FM アップル 「北海野球部百年物語」-昭和27年夏屈辱の函館西戦

(北海で)やれる、という自信を持てたのは実は2年の終わり頃からなのです。それまでは納得のいく球を投げられることはありませんでした。(周囲の期待も大きかった?)そうかもしれませんが、すっかり評判倒れだったでしょう」



名門・北海で2年生からエース。しかし田原さんが話す通り「屈辱の夏」を経験するのです。釧路で行なわれた北海道大会1回戦。開会式直後の試合で北海は優勝候補筆頭の函館西に0-10、7回コールド負けを喫するのです。当時主将の藤野昇選手(5期)はその試合後について「球場から宿舎、そして釧路からの帰路すべてが辛かった。札幌に帰ってからもまるで囚人が牢獄から帰ってきたような気分だった」と振り返るほど。

「野球に対する取り組みを一変させるきっかけにはなりました。翌朝、釧路駅を出て一日休んで筧先生にこう聞かれました。『オマエ勝つ気あるか?』って。ハイ、って答えると『じゃオレの言うことを聞くか?』ハイ。『じゃあ、1日800球投げろ。そして平岸霊園まで走れ。その後グラウンドで100本ノック』。毎日ですよ!」

田原さんはこの恩師・筧監督の言葉を守り、毎日800球、走り込み、100本ノックに挑み続けました。


本気で野球に取り組みながら田原さんは筧監督の生き様、人間教育を感じ始めたそうです。

「もちろん飛澤先生にもお世話になりましたが、筧先生には徹底的に鍛えていただき、人間的にも大きく成長させていただきました。野球だけではなく何事も真剣にやりぬけ、人間性が重要なんだぞ、ということを暗黙のうちに伝えてくださったと思います」


田原さんが「自信を持ったのは2年の終わり」というのはこういった経緯があるからです。田原さんは猛練習に耐え、2年(昭和27年)の秋季全道大会決勝で函館西を8-1で破り、夏の雪辱を果たしました。

「自信を持って投げるのではありません。勝つことで自信を持ったのです。そして勝てたのはあれだけの練習量があったからです。練習があって、勝って、そして自信がついてきたのです」


もうすでにこの時点でも野球の神様は田原さんに色々なイタズラを仕掛けていました。田原さんは自信を持って翌春(昭和28年)北海高校にとって戦後初めてのセンバツ大会に出場します。豪腕・田原藤太郎、甲子園デビューはもうすぐです!


さて今日はここまでにしましょう。

田原さんの伝説はこれからが本番です。昭和27年から背番号がつき、昭和28年からテレビ中継が始まります。高校野球が変わろうとするときに田原さんが衝撃を与えます。


4月26日放送・田原藤太郎さんのリクエスト曲はこちらです

1.竹とんぼ(堀内孝雄/田原さんお気に入り。じっくりと聞きながら『いい歌だね、涙出てくる』)

2.What A wonderful world(ルイ・アームストロング/タイトルが分からないけど大好きだ、という曲)

3.粋な別れ (石原裕次郎/自分も74歳になったから、と自らに重ね合わせるのは早いですよ!田原さん!)



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改めまして お知らせです。

FMアップル(ラジオ)「北海野球部百年物語」

来週  日のゲストは 大西昌美さん(前北海高校監督)

「北海道の高校野球を大きく変えた名将」をテーマに送ります!ご期待ください。

札幌市外の方もインターネット放送 で聴くことも可能です。


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