平和公園のお膝元の職場に通い始めて

さて、かなりの年月が経つのだけれど

最初の数年は

平和公園に足を踏み入れる事は全くなくて

むしろ遠回りして通勤してました。


踏み入れちゃいけない。

みたいに思っていたのか

よくわからない怖さを思っていたのか

よく覚えていない。


ある時、平和公園を突き抜ければ

時短になると知ってからは

朝晩通っていますけど。


そこから

日々の公園の色んな景色を見ることで

自分の中で色んな思いが

育ってきたような気がする。

誰に何を言われた訳ではないけれど

通勤途中にフツーに慰霊碑に手を合わせから

通り過ぎる人や

いつも公園を掃除しているシルバーさん達

そんな場を大切にしている人達の

背中を毎日毎日見ていると

もっと色々知りたいなと

自然に思えてくるものなのかもしれない。



イケイケの20代後半なんぞは

式典の朝の通勤のもどかしさに

半ギレだったかも汗


県北の山間部に育った私は

被爆地ヒロシマには距離的にかなり遠く

生の被爆体験をリアルに聞いたのは

随分大人になってからだったかも。

戦時中の話は沢山聞いてきたけれど。


ハチロクの話を聞く際には

話をしてくれる大人達の

どこか、対岸の火事のような話で

そんな空気感を感じていて

そして、何やら差別的なものを感じる

そんな空気感も時々感じつつ


戦時中の話になれば

都会から疎開してきた人たちに

〇〇してあげたとか、そんな

何やら鼻につく話をしてくれる

大人も確かにいたかな?


そういうのがとても嫌いだった

ちと扱いづらい子どもだったかも。


とはいえ

教え子を戦場に送った先生が

ギリギリまだ現役で

その時代背景や社会の風潮

そんな話を聞く機会もあり


どんな話だったかは

小学校の低学年だったので

詳しく覚えてはいないけど

その言葉にならない行間の部分

心に響く無音の感情

それだけは、今でもくっきりはっきり

心に残っていたり。


リアルな被爆体験を聞いた時

その重い口から

出てくる言葉と、胸が痛い程の

思いの重さに

聞かせてくださいとお願いする事は

果たしていい事なんだろうか

悪いことなんだろうか

そんなことを改めて

初めて考えたり。

結構な葛藤をした記憶がある。


じゃあ

草の根の一本として

何ができるのかと思うけれど

心に残る

その言葉の行間の気持ちを

何かの折に、言葉に載せる事なのかもなと

最近思うようになった。


ヒロシマやナガサキだけではなくて

国内みんな戦争でやらせない思いを

経験している筈なのだから。


多くの言葉ではなく

本当に短い言葉を

繰り返し繰り返し

思いをのせて

綴るのみ。




戦争いうもんはのぅ

しちゃあいけんのんで


だれにもええことなんか

ありゃあせんのじゃけぇのぅ。