今日は一の酉で、新宿の花園神社に、二年ぶりに熊手を買いに行って来ました
ちなみに、今年は二の酉までなので、火事の少ない年になるでしょう(三の酉まである年は、火事が多いと言われています)。
花園神社の酉の市に行くようになったのは、昭和60年頃からです。
シグマでは広報、社内報の編集をしていて、撮影と取材を兼ねて、毎年、真鍋社長ご夫妻のお供で熊手を買いに行っていたのです。
その頃は、直営のゲームセンターが60店ほどありましたので、本社用、シグマ商事用、成城工場用、店舗用と、毎年70個ぐらいの熊手を購入していました。
全部で50万円以上払いますが、払い方にも決まりがあって、最初に向こうが提示した言い値から少しまけてくれるのですが、そのおまけ師てもらった分をご祝儀としてお渡しするという、たぶん、それが粋なのでしょうが、なんだか、得したのか損したのか分からない、不思議なルールでした
最後にお店の皆さんに、拍子木と手締めで締めてもらって、一年の繁盛を願っていただきます
毎年、少しずつでも大きくしていかなければいけないので、シグマ時代にお供した10年ぐらいは、昨年より大きい熊手を探すのも一苦労で、最後の方は、私一人では持てないぐらいの大きさでした
フロックも創業当初から、真鍋社長にならって熊手を買いに行っています。
それと、最近知ったことですが、秋田県大館市出身の私の産土神社は大館神明社で、産土神様は、倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)様、文字は違いますが、花園神社の宇迦之御魂神(ウカノミタマノミコトのカミ)様と同一神様であることが分かりました。
一昨年までは結構大きいものを買っていましたが、昨年はコロナもあって、業績が大きく落ち込んでしまい、小さい可愛い熊手から再スタートすることになりました
お参りの列よりも、御奉納の列の方が長いって、どういうこと
いつも夜店に隠れていたので、何十年と通っていたのに、今年初めて存在に気が付きました。申し訳ございませんでした
こちらは2年前の熊手。今こうして見ると、大きかったなー 来年は絶対に頑張って、もっともっと大きな熊手を買うんだ
※実は、昨年はちょうどその頃熱を出して(コロナではありませんでしたが)、創業以来初めて花園神社に行くことが出来ませんでした
ちなみに、今年は二の酉までなので、火事の少ない年になるでしょう(三の酉まである年は、火事が多いと言われています)。
花園神社の酉の市に行くようになったのは、昭和60年頃からです。
シグマでは広報、社内報の編集をしていて、撮影と取材を兼ねて、毎年、真鍋社長ご夫妻のお供で熊手を買いに行っていたのです。
その頃は、直営のゲームセンターが60店ほどありましたので、本社用、シグマ商事用、成城工場用、店舗用と、毎年70個ぐらいの熊手を購入していました。
全部で50万円以上払いますが、払い方にも決まりがあって、最初に向こうが提示した言い値から少しまけてくれるのですが、そのおまけ師てもらった分をご祝儀としてお渡しするという、たぶん、それが粋なのでしょうが、なんだか、得したのか損したのか分からない、不思議なルールでした
最後にお店の皆さんに、拍子木と手締めで締めてもらって、一年の繁盛を願っていただきます
毎年、少しずつでも大きくしていかなければいけないので、シグマ時代にお供した10年ぐらいは、昨年より大きい熊手を探すのも一苦労で、最後の方は、私一人では持てないぐらいの大きさでした
フロックも創業当初から、真鍋社長にならって熊手を買いに行っています。
それと、最近知ったことですが、秋田県大館市出身の私の産土神社は大館神明社で、産土神様は、倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)様、文字は違いますが、花園神社の宇迦之御魂神(ウカノミタマノミコトのカミ)様と同一神様であることが分かりました。
生まれた時からこんなに長い間お世話になっていたのに、今まで気づかなかったとは、神様もさぞかしびっくりされていることと思います
今年、二年ぶりに行くことができて、そして、産土神様のご縁が分かって、本当にありがたく、感謝しました
ですが、これから頑張って、毎年少しずつでも大きくしていきたいと、改めて神様にお誓いした次第です
こちらが、今年フロックに福を呼び込んで下さる熊手です
今年は飲食の屋台や、見せ物小屋は出ていません