自己紹介の続き、第3弾です。

シグマを退職後、お世話になった日本システムでの仕事について紹介させていただきます。

 

20044月末、21年間勤めたシグマ(当時の社名は、アドアーズ株式会社)を退職し、5月から、株式会社日本システムに入社させていただきました。

前回のブログでもご紹介しましたように、日本システムは、日本の主だったゲームメーカーの海外の窓口となっていたゲームの専門商社でした。

当時、多くのメジャーなゲームメーカーは上場ラッシュで、コンプライアンス上の懸念から、海外の新興市場へ直接打って出ることはなく、日本システムのような商社を経由して様子を見ていたのです。

そのせいもあって、3040年前の世界のゲームセンターの黎明期、各国のゲーム業界関係者の中には、日本にはゲームメーカーは日本システムしかないと思われている方も多かったそうです。

日本システムに入社したことで、海外の多くのお客様とのご縁をいただくきっかけとなり、仕事が世界に広がったことは、今も幸いなことと感謝しています。

 

ゲーム業界きってのトップセールスマンであった村上栄司社長には、営業のなんたるかを教えていただきました。

それまではメーカー勤務でしたから、用意された新製品を指定された販売先へ売り込みに行くという、ルートセールスしか知らなかった私には、販売先も商品も自分で探して来るという、商社マンとしてのスキルを、まさに叩き込んでいただいたというしかないです。

日本システムに入社した頃、ちょうど、旧シグマのメンバーが独立して、クロンという会社を作り、シングルメダル機を作っていましたので、日本システムとクロン両方に頼み込んで、総代理店をさせてもらいました。

当時、新店ラッシュと、メダルゲーム機拡充の機運が高まっており、在職中の約5年間で1,093台を売りました。

日本システムには、私を信用して、決して安くないゲーム機を先行して仕入れしてもらっていましたので、最後の1台まで全部売り切った時は、心からホッとしました。

現在、多くのゲームセンターは、クレーンゲームの売上が中心になっていて、メダルゲームコーナーは縮小・廃止の危機にありますが、私の一番の得意はシングルメダル機なので、またメダルゲームの存在感を盛り返せるように頑張りたいと思っています。

 

さて、日本システムは、私が入社してからほどなくして、株式会社ヴィア・ホールディングスのグループ入りをしました。

ヴィア・ホールディングスは、すかいらーくグループ創業者のお一人である横川紀夫社長が率いる一大飲食チェーングループで(当時500店舗ほど)、日本システムはそのグループの中で、食と相性の良いエンターテインメントの創出を期待されていました。

 

横川社長は言わずと知れた飲食界のレジェンドで、横川社長にはその後も食へのこだわりや、飲食事業の社会的意義、業界のことなどを色々教えていただき、飲食店の経営は、いつか絶対にチャレンジしたい事業の一つとなりました。

 

↓写真は、ヴィア・ホールディングスの横川社長と、日本システムの村上社長と

 

 

2006年には、日本システム×タカラトミー×タイトーのコラボレーションで、女児向けのカードゲーム『キラキラアイドル リカちゃん』を発売し、先行して話題となっていた『甲虫王者ムシキング』『オシャレ魔女ラブandベリー』とともに、カードゲームブームの一翼を担うことができました。

 

 

日本システムでは、他にも、SNKプレイモアのパチスロ機をゲームセンター用に転用したり、Wiiのソフト開発、当時話題になり始めていた1000円ガチャの開発、復刻版じゃんけんマンの開発など、色々なことに取り組んでいました。

 

たしか2007年だったと思いますが、グループ会社の中から選ばれて優秀社員として表彰され、ストックオプションで株式をいただいたこともありました。

グループ社員1000人以上の中から日本システムから7名選ばれて、その年は、グループに随分貢献できていたのだと思います

 

↓社員旅行でラスベガスに行った時には、ラスベガスに住んでいる旧シグマのメンバーとともに、皆さんをご案内しました

 

残念ながら、2008年のリーマンショックを乗り切ることができず、日本システムは解散することとなりましたが、その翌年、日本システムの全事業を承継する形で株式会社フロックを創業させていただきました。

あの頃、色々な世界に触れさせていただいたことは、今も私の財産の一つになっています。

 

次回、自己紹介第4弾は、独立してフロックの社長になってからについてご紹介させていただきます。

おいおい書いて参りますので、気長にお待ち下さいね。