発端は同期の矢崎邦夫氏が広島のマラソンに出場するので、以前ご紹介した「のまん会」のメンバーで応援に行くことになり、そのついでに行ったものですが、呉線の忠海(タダノウミ)から船で20分の瀬戸内に浮かぶ島です。

愛称が「うさぎの島」。ここには野兎が沢山いて、人なつっこく、人が近づいても逃げることが無いどころか、あちらから餌をもらいにやって来て、人の手の掌から好物の野菜をもらう程です。

長い間人間が兎に危害を及ぼさないで、餌までくれることを知ると、全く逃げる必要は無くなるのですね、まさに信頼関係と言えましょう。

でも、この島は70余年前の第二次大戦終戦までは毒ガス製造の島だったのです。兎の島であることも、毒ガスの島であったこともまったく知らずに行ったのですが、そこには毒ガスの資料館も有り、恐ろしい被害の写真や資料も一杯残されていました。

この世の楽園のような島が、そんな恐ろしい島だったなんて。

以前社員旅行で行ったサイパン島、大戦で生き残った人は8%だったとのこと。そして今、平和な楽園に。この時感じた思いと同じ思いに。

人間と言うものは何んで戦争などと言う余計なことをするのだろ、おろかしいこととしみじみ思います。


     

今は楽園のような美しい大久野島。     野兎が人間の子供さんからえさ

                                                                       を!人になついています。

 

     

その島に毒ガスの資料館。          来年は80才になると言うのに

考えさせられます。               20㎞を走破、ゴールインする矢崎

                                                                     氏。

                          60㎞マラソンにも出たことがあると

                                                                     のこと。凄い。撮影は日本発条元

                          副社長でのまん会メンバーの河村

                          公二氏。