邦題:自転車泥棒
79点。
邦題は原題を訳したそのままです。題材もタイトルそのままですが、ジャンルがネオレアリズモ映画なので、ありのまま(写実主義)描いて見せた上での問題提起、人に考えさせる映画です。
終戦直後のイタリアである前置きは考慮しません。別の観点からの意図しない考察になりそうなので。
~あらすじ~
戦後混乱の都会で、唯一の商売道具の自転車を盗まれた父子が、まる一日、その行方を捜し歩く。
(※映画ナタリーより抜粋)
以下、ネタバレ。って言うか、考察。
アントニオは被害者であるのと同時に加害者でもありますので、ひと言に不憫だとか可哀想だと言った感想ではそこで終わってしまいます。被害者であるから多少、周囲に迷惑をかけても許されるという考え方は、実に危険で本質を見失うものです。そうさせた社会が悪いのも確かですが、そこに責任転嫁しても今の貧困は解決しません。
正直なところ感情論だけを書くなら、アントニオが妻のマリアに言った弱音である
「死にたいよ 死んだ方が楽だ」はイタリア男全体を嫌いになるレベルで不愉快です。
マリアをサンドバッグにしているという自覚がありません。だからマリアは荒れて、インチキ占いに騙される。産まれたばかりの赤ちゃんも居るんですよ…?
逆に "貧すれば鈍する" の典型と見れば納得が出来なくも無いけども、私はその言葉を好きではありませんので、断じて認めません。これは他ならぬアントニオ自身の行動による結果なのです。辛くとも現実から目を背けてはいけません。
何せ、どんな不甲斐無い姿であろうとアントニオを見て、その想いを共有し、決して傍を離れないブルーノの存在がありますから。
いつの時代も親を成長させるのは子供であるという事が教訓と言えます。
父アントニオでは無く、子ブルーノの視点で見て頂くと、この映画の真の姿が見えてくると思います。
私は偏に、ブルーノの様な思いをする子供がこの世界から居なくなる事を、心から望むものです。