今日は、野口 晴哉先生とミアが初めて
東京の野口先生のご自宅で出会ったときのことを。
先日ご紹介したミアのインタビューの邦訳から。
.....................(つづき)
■ 巨人・野口 晴哉
ー質問ー
モーシェ(フェルデンクライス)は日本で出会った治療家の話しをよくしていましたね。どなたですか?
野口(野口 晴哉)先生ね。驚異的な人よ。彼のことは、ボストンから来た、東京フィルハーモニーのビオラ演奏者から聞いたの。それを聞いた私は、またホラ吹き治療家が現れたのかって思っていたの。だから会いに行く気はなかったんだけど、彼の名前と住所は控えておいた。でも、それからすぐに、東京に私がいる間に、何はともあれその治療家に会ってみることにしたのよ。
その住所にタクシーが着いたときの光景はには目を疑ったわ。外には高級車が停まっていて、神社のような家から着物姿の人たちが出て来たの。家の前には、東京では珍しい広い庭。丘の上の木々の間に家が建っていたけれど、それは東京の基準から考えると、ほとんど”山”といっていいくらい。ガレージには2台のロールスロイスよ!
私はそこに似つかわしくない質素な服装だったけれど、中に入ってみることにしたの。下の階に下りると、ふたりの人に出会って、ここが野口先生の住まいであることを確認したわ。どうしてこれほどたくさん車と人がいるのか聞くと、スタッフのひとりの結婚式が行なわれているということだった。そこで上の階に上がって、巨大なホールに入ってみたの。スライドさせるスタイルの窓ーー典型的な日本式の家屋ねーーはすべて開け放たれて、木々の間にいるようだった。
お客さんのひとりに「野口先生はどちらですか?」と尋ねたのだけれど、それはまるで「神様はどちらですか?」と聞くことと同じだったみたい。彼の指した先には、巨大なブランデーグラスを持った背の低いー120〜130㎝くらいかしらーー着物姿の男性がいたわ。
自分はいったいここで何をしているんだろう?そう思って立ち去ることを考えていたとき、野口先生がまっすぐに私を見たのよ。彼はふたりの男性と共に私に近づいてきて「この女性をごらんなさい。私のように、人を相手に働いてるね。そして彼らの身体を改善している。私がやっているようにね。」と言ったわ。
ー質問ー
野口先生はミアが来ることを予想していたのですか?
いいえ!私のことなんて何も知らなかったのよ。本当に驚いたわ。私は彼にこう言った。「あなたがやっていることを私がやっているとは思えないわ。でもあなたから学びたいと思います。」「どういう意味だい? ”私が”やっているとは思わないっていうのは?」。私は発言を訂正したの。「でも、私にはイスラエルに先生がいて(モーシェ・フェルデンクライスのこと)、彼はあなたと同じことをしているわ。」。彼はモーシェのことをもっと知りたがった。「彼は身体を治しているのかな?それとも魂を?」「どうやってそのふたつをわけるの?」。そう返すと、野口先生は振り返ってふたりに言ったの。「言った通りだろ?」
その瞬間、私は野口先生から何かを学ばなければならないと思ったわ。
..................(つづく)
(以上、ミア・シーガルインタビュー『Somatics 秋冬号』1985-86年。
日本語訳「フェルデンクライスを継承して」p45−47より)
