多様性 | kyottides的 喜怒哀楽

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一年余りにわたって 開店休業状態 でしたが、そろそろ、また、あれやこれやと綴ってみようかなと思い始めています。よろしくお願いします。

多様性 ⇒偏見による差別を恐れずに済む社会を目指すことがどんなに明るい社会になるかと思う。実は、多様性は日常生活の至る所にある。衣食住の全てで。和・洋・中や朝鮮、インドなど世界の料理、お茶やコーヒー、それにアルコール類も多種多様。そうした多様性は誰が担っているだろうか。

ところで、ササニシキを見なくなった。以前は、好んで買っていたコメだ。 酢飯にした時にコシヒカリよりは、べとつかないということで、今でも寿司屋さんが好んで使っているらしい。弁当類では、ブレンド米にする方が売れるという。
コメの多様性もまた、考える。
唐辛子も一味よりは七味が好み。

各地のブランド米が多様性の表れかと言えば、そうでもないだろうと思うのは、コシヒカリ系の中での話だから。かつては安かったササニシキ系は今では希少商品として高値になっている。 コメの楽しみの幅が狭い。それがつまらないのだ。似たようなものしかない市場なら、飽きられる。多様性の陥穽かな。

フォルクス・ワーゲン(人民車)しか走っていなかったナチ政権下のドイツとか、トラバントしか走っていなかった旧・東独。人民服の中国や国民服・モンペ一辺倒の日本など、単一化した時代、社会がモノトーン化した時代の息苦しさを考えてみる。
多様性の社会がどんなに生き生きとしていることか。

さて、排外主義の諸君。君らが熱望するのは、実は、そうした味気ない単一化社会に他ならない。多種多様なメシを楽しみ、服装を楽しみ、クルマのデザインなどを楽しむには、多種多様な人々との共存を楽しむ以外にはありえないのだ。
コメもコーヒーも調味料もブレンドが旨い。社会もブレンドが楽しい。