とりとめのない話になります…。
先日、高校受験の際に大変参考にさせていただいた方のツイートで、
いる場所によって、ふつう は違う
と言った趣旨のものがありました。
こちらは早期英語教育にふれて、ツイートされていたものでしたが、なんだか心にとても響くものがあり、ここ数日色々と考えています。
我が家は、小さい頃は、机の上での学びより
遊びや自然を通じての学びに重きを置いてきました。
ひたすら、泥団子をつくり、虫を捕まえ、廃材で工作をする、そんな毎日。
その時しかできないことを徹底的にしてもらいたい
それは、勉強ができるというただそれだけで、
自分の頭で考えることをせず、するすると社会人にまでなってしまった自分への反省が大きく影響しています。
そのため、我が子たちはなんとか、興味のある文字が書けるかな?といった感じでそれぞれ入学式を迎えました。
その後も宿題以外の自宅学習は一切やってきませんでした。
ひたすら、遊んで過ごした小学校生活。
中学生に入っても基本スタンスは、そのままで、テスト2週間前からの勉強が加わったくらい、それが、我が家のふつうでした。
小学校では、子供たちの興味関心を引き出してくれるよい先生方に恵まれたこともあり、
赤ちゃんが言葉を覚えるように、自然と授業の中で、たくさんのことを学んで帰ってきました。
あるとき、上の子が、
「みんな答えを知ってて、すぐに答えを言っちゃうから、授業がつまらないんだ。塾で習っていて知ってるから、もういいよって言うんだそうです。
でも、先生は、
答えを知っているだけだとつまらないよ
どうしてその答えになるのか、
みんなで考えてみようって言ってくれて、
話し合って、いろんな考えが出て楽しくなってくるんだ」
と言うような話をしてくれました。
その時、先取りもいいけれど、子供たちが1番多く過ごすその場所で
単に答えや解法を覚えるだけでなく、
興味関心、知識の芽を見つけられた時の喜びは
なんだかとってもいいなぁと思ったのを覚えています。
そんな我が家の教育でしたが、
中学生になり、とたんに授業も探求型のものから詰め込み型の受験対策に切り替わったこと、
また、中3になり受験を目の当たりにして、
それまでのふつうは、一変しました。
情報を調べれば調べるほど、不安はつのり、
これまでの教育方針も揺らいできました。
当然のことながら、加点になるような検定試験もいっさい受けてきていません。
もっと早く、気づいて受験させてあげればよかったという後悔。
そして、ネット上に流れてくるみなさんの勉強時間をみては、焦る毎日。
ふつうの受験生はこんなに勉強しているのか…。
こんなに親も熱心なのか…。
正月三が日も朝から晩まで勉強なのか…。
そして、
無事高校受験を終えたのも、つかの間、今度は
0学期という名の先取り学習。
みんなは春休みにこんなに勉強するらしいよ…
そんな言葉を子どもに向けてしまう自分。
見たり読んだりするものを変えるだけ、
過ごす場所を変えるだけで、ふつう って変わってしまう。
それまで、夫婦で話し合い、正しいと思って、子どもと歩んできた道も、ぐらぐらと急にゆれてしまう。
今は子どもの希望している進路のために、受験というシステムを乗り切る必要がありますが、
自分の立っている場所が、すべてのふつうではないことを常に頭の片隅に置いて、
のめり込み過ぎないよう、追い詰め過ぎないように子どもをサポートしたいと思っています。
「みんな」や「ふつう」って言葉は危険ですよね。
全然みんなでもふつうでもないのに。
受験システムって、不安を利用して人をどんどん加速させますね。
気をつけなくてはです。
元のツイートの趣旨とはだいぶそれた話になりましたが、最近モヤモヤと思っていたことを書いてみました。