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JR小海線の甲斐大泉駅のそばに我が山荘はあります。
まだ父が若かりしころ、別荘がほしいと思い、野辺山や乗鞍など、山の眺望と草花が咲き乱れる地を探し求めたそうな。
そして、探し求めたのが、ここ甲斐大泉だったそうな。
この地を選んだ決め手は、その眺望に惚れ込んだこと、駅から15分程度で歩けるところ、そして100種類にもおよぶ樹種の多さだそうな。
当時は、東から南西方向には秩父、南アルプス、富士山が見渡せ、北側には八ヶ岳がみえたそうな。
森が大きく育った現在は冬の枯れた木々の枝の間に、わずかに南アルプスの気配を感じるだけになってしまいました。
昭和35年8月、甲斐大泉に別荘地を購入した第一号となりました。
昭和37年には八美里小屋が、埼玉大学の学生や卒業生たちの手によって建てられました。
まだ水も電気もガスもなかったころです。
山岳部の学生が材木を運び、時には馬車を借りて資材を運んだそうな。
もちろん、セメントをこねる水も駅から運んだそうな。
八美里小屋、築51年目(2013年)の初冬です。
右手前に掛けられていた「八美里小屋」の看板(写真の色が少し濃い部分)は、現在は我が家の父のリビングの壁にポリウレタンの永久コーテイングをされて、飾られています。
これも父の門下生の会である「福清会」の方々が、八美里小屋の何かを残そうと、いろいろ手を尽くしてくれたおかげです。
感謝です
寿化工株式会社さんのプレポリマーという技術で蘇りました。
父や福清会の方々の思いに感動して、材料費だけで加工してくれたそうな。
プレポリマーとは、木造文化財の腐朽や虫害による損傷部材の強化措置として、木材の内部に合成樹脂を注入し、木材の強化および寸法安定性を維持させる技術です。
表面の質感すべてがそのまま保たれています。
昭和37年、1962年の色とは思えないシャレた水浅葱(みずあさぎ)のような色です。
屋根は、キナクリドンというスーパーカーなどに使う赤色の塗料を大日本インキに就職した父の教え子が持ってきてくれたものだそうな。
3畳半ばかりの小屋の中は畳が敷きつめらています。
入り口右手には黒板が掛けられ、泊まっていった学生たちが思いの丈を書いていました。
残っているのは1981年から1986年に書かれたもののようです。
当時、電気は来ていなかったので、ランプが大活躍していました。
壁には「八美里小屋を利用する方へ」という利用規約が貼られていました。
-----(原文まま)
八美里小屋を利用する方へ
埼玉大学化学科山岳会ケミカルアルポファイルグループ
1. 八美里小屋日誌(つきあたりのの棚右わきにあります)に 毎日行動予定 事件を必ず記入すること
1. 持参された食料は食料棚にまとめ整とんしておくこと
(米は入口付近の左側醤油缶(原文は金へんに缶)中にあります)
1. ランプは使用前後に掃除すること
使用方法;ランプの芯は上に出さず点火し金わくの中で火がついているようにする
その他は問題ありません。頭をぶつけぬよう注意されたし
1. 利用後の注意
福田教授の指示があると想うので 特にないが
◎火気、戸じまりにこころ懸け、小屋内外を清潔に保って下さい。
その他
◎ランプは入口右側のものから明るいもの、その方を利用されたい
◎水、その他の事は八美里小屋日記に記入したので、本小屋を利用されるに当り熱読されたい。
追
◎事故、緊急連絡は「八っ原館」にすみやかにとどけること
東京にはすぐ電話連絡が可能です
1963.1.4
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なぜか宿泊料金のことが……。
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毎日、御利用頂き有りがとう御座います。
朝は混雑致します。宿泊料は夜分お願い致します。
小屋番敬白
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こちらは「高山の動植物を大切に保存しましょう」と書かれた短冊です。
今、私が「八美里ファーム」と勝手に呼んでいる地を、父はこんな風に表しました。
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真の闇、満天の星空、暁闇(ぎょうあん)の静寂(しじま)を破る野鳥のさえずり、錦繍に染まる秋、凍てつく冬の夜、新緑に燃える春、耳を聾(ろう)する蝉時雨(せみしぐれ)の夏
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この庭をいつまでも守れたらと思います。
理想はこんな暮らしです(素敵な本を見つけた:ききがたり ときをためる暮らし/今まで出会った本で一番感動したかもしれない!)。
ききがたり ときをためる暮らし
つばた 英子 つばた しゅういち 水野 恵美子 落合 由利子