もっと気軽でお気楽に。内観と瞑想体験の菜のはな
ふかーい意味において
自分の世界は
自分の選択によって
創られている。


ひとは
自分の信じたものを見て
生きています。


僕の世界は
僕の信念のままに
展開され

あなたの世界は
あなたの信念のままに
展開されていると
いうことです。


あなたは
何を信じているでしょうか。

ひとつひとつ
確認すればするほど
あなたの見る世界は
あなたの思うままであると
知ることが出来ます。


だから
あなたは世界を見る時
常に「正解」です。


ついでに言えば
他の誰かも「正解」です。


人と分かり合えないと
思っていれば
人と分かり合えません。

上手くいかないと
思っていれば
上手くいきません。


苦労すると思えば
苦労するし
カンタンだと思えば
カンタンです。


あなたには
どんな信念があるでしょう。

都合のよい信念を
持つことを恐れないでください。


過去の歴史や
教育で知ったことを
受け入れていては

きっとツラいことや
苦しいことが前提になります。


あなたは
あなたの信じるものを
見ています。


信じられなくても
無理はありません。

そんな時は
まずは確認してみてください。


僕は信じられなくて
確認しまくりました。笑

ついでに言うと
無理矢理ポジティブに
なろうとして
上手くいきませんでした。


確認しまくったら
自然と信念を変えてみたく
なりました。


無理に変える
必要もありません。

無理にポジティブになる
必要もありません。


どんな信念があるかなって
確認してくだけでも
自然と変わっていきます。

とーっても都合の悪い
とーってもネガティヴな
信念ばかりでしたが

それらを知って
見つめるだけでも
変わっていくんですね。


何を知って
何を思い続けるかは
私たちの選択です。

その選択が
現実に投影されます。




わたしたちには
「思い込み」があります。

誰かから教わったこと。
生きる中で知ったこと。

それらが
自分自身に当てはまるか
どうかも分からずに
受け入れてるものがあります。



そしてその思い込みを
繰り返し繰り返し
自分自身に言っています。


それは
悪く言えば呪いの言葉です。


断言しますが

あなたが
当然と思っている言葉たちは
真実ではありません。


「夢は簡単には叶わない」

「自分には出来ない」

「時間がない」

「歳をとりすぎてる」

「体力がない」

「お金がない」

「簡単には稼げない」

「一部の人しか夢で生きていけない」

「成功には苦労が伴う」

「続ける根性がない」

「何をやってもムダ」

「自分はダメなヤツだ」

「どうせ上手くいかない」


これらは
僕が思ってた思いこみです。笑


これらを
毎日毎日。。。飽きることなく
自分に浴びせていました。

事あるごとに
自分に言っていました。


思いを込めて
ワラ人形に釘を打ち付けて
やってるみたいに

何度も何度も
言い続けてたけど

言い続けてることすら
気づきませんでした。


立派な呪いです。




自分に
「あなたは〇〇な人間だ」と
刷り込み続けてるのに
気づきもしません。笑

って笑ってる場合では
なかったんですよ。


いらないですよね。
そんな呪い。



誰が他の人が
自分に呪いを掛けてたら
許せない!って思うくせに

自分がやってる分には
許すも何も
気づきもしてないって人
とっても多いです。



自分自身が
現実を想像する。って
何度も言ってきてますが

これは

あなたの思いがあって
後から
あなたの現実が創られると
いうことです。


だから現実は
今までのあなた
過去のあなたの思いを
投影したものです。


良くも悪くも
シンプルに投影します。


上手くいかないとか
不快な思いとか
願いが叶わないとか

それは
自分にかけた呪いです。



僕自身も
このことを実感した時
とーっても落ち込みました。

まさか自分が。。。って。



子どものころは
聞き分けがよくって
いわゆる「いい子」でいたのに

大人になってからは
謙虚で人当たりよく
やって来たのに!って
思ったものです。(遠い目)


謙虚って美徳ですが
自分を卑下するには
打って付けなんです。

完全に「いい子」や
「謙虚」が習慣化して
やっちまってました。


この美徳ってところが
あまーい誘惑だった訳ですが
それはまたの機会にするとして

今日は「呪い」の
お話でした。




自信を持つとは
どういうことだろう。

と思っています。



自分を信じる。とか
自分への信頼。とかの
ことです。




「なに」をもって
自分を信じるのか。

なんてことを
思ってしまうと



その「なに」が自分に
無かったなら信じることも
出来なくなってしまいます。



「なに」かを自分に
付け足さなかったら
信頼出来ないってことです。



そんな「なに」の必要性は
誰があなたに教えたのでしょうか。


そんな「なに」を
どうしてあなたは必要だと
思ったのでしょうか。



「なに」の中には
人からの愛情とか
物やお金、知識や実績とか
地位や肩書き

人に誇れるもの
他の人には無いもの
などなど

色んなものが入りますね。


その色んな「なに」が
無いと不安です。

何とかして
手にしようと思いますけど

手にしたらしたで
また他の「なに」かが
無いことが不安になります。


不安のゲームのなかに
いることに気づいてください。



以前も書いたかもですが

僕は
僕の理想とする自分に
なろうと躍起になっていました。

理想とする自分を
今のありのままの自分に
かぶせて誤魔化そうと
躍起になっていました。


バレないように。笑



ホントの自分を
否定しまくっていたので

ホントの自分で
いてはいけないと思ってたから

このままの自分では
ダメだと思うたから

苦しくて苦しくて
違う自分に憧れました。


だから苦しかったんですね。笑



いっぱい付け足してみたり
いっぱい誤魔化してみましたが

結局のところ
ぜーんぜん僕には
なじみませんでした。



「んーーなんか違う」って
やっぱり僕は思うんですよ。




学びが推奨されて
努力が推奨されて

今の世の中は

まだまだ
苦労や困難を
乗り越えることが
美徳とされますが

今の僕は
怠惰を推奨します。笑


今までの逆ですねー。

自分のまんまで居るって
ことです。



実感として思うに
他の何かに成ろうとすることは
意味がないみたいです。


人はそれぞれに在りますが
そのひとりひとりの世界の中で
その人以上に素晴らしいものは
存在しないって

少しでもいいので
思ってみてください。


自分の外側に
自分を納得させてくれたり
自分を安心させてくれるものは
ないですから。


とてもシンプルに考えて

自分に優しくするって
いうことは

自分を咎めないって
ことです。


僕は、今すこしの間
お昼寝をしてしまいました。


起き上がって
「寝てしまった」
と思うか
「あーよく寝た」
と思うかです。


自分のしたことを
肯定するか
否定するかです。


咎めるのが
クセになってると

何をやっても
「やってしまった」
「良くなかった」と
思うことが

クセになってしまいますね。


それ
やめていいんです。



心を見つめるというのは

言い換えると
心の中を見張ると
いうことです。


安心ですか?
不安ですが?

楽しいですか?
つまんないですか?


自分の内側が
外の世界に投影される
とするならば

外の世界が
自分の内側よりも
後に創られるって
ことです。


自分の内側は
自分にしか分からない
ものですし

いつでも
どこでも
確認することが出来る
ものです。



ただ見つめてください。
ただ見張ってください。
ただ確認してください。


あなたの心の内側では
今、この瞬間に
何が展開されていますか?