
らくらく5次元ライフのはじまりはじまり~木内鶴彦×中丸 薫著
木内 死後の世界はとても退屈なんですが、
地球はもちろんで3次元という空間は
とてもおもしろいのです。
私が今やっている、制約された枠の中でどのようにバランスを取り、
地球を長く維持できるかということは、
とてもおもしろいのです。
私が今やっている、制約された枠の中でどのようにバランスを取り、
地球を長く維持できるかということは、
大変だけれどもやりがいがあるし楽しいです。
現在のような状況においてみなさんには言いづらいんだけれども、
正直な気持ち、 私にとってはすべてがほぼゲーム感覚なのです。
私たちはみんな、死後の世界は暇だから、
私たちはみんな、死後の世界は暇だから、
こういう変化をつくって楽しんでいるのです。
だから解き明かせないということはない。
だから解き明かせないということはない。
中丸 この世の3次元での1日は、
次の世界では60年に相当するそうです。
だからみんな退屈で、みな意識が同じだし、
だからみんな退屈で、みな意識が同じだし、
光の世界なのでレベルがすごく分かれて
いるから、足を引っ張る人もいない。
いるから、足を引っ張る人もいない。
木内 それに3次元といっても、いくつもあるわけです。
にもかかわらず3次元の中には、銀河も無限にあって、
にもかかわらず3次元の中には、銀河も無限にあって、
山ほどある銀河の中の
1つが私たちの銀河系で、その銀河系の中には星がまた無限にあり、
1つが私たちの銀河系で、その銀河系の中には星がまた無限にあり、
その中の1つの太陽系の中の第3惑星が地球で、
その地球の何十億の中の1人を選んでいるのですから、
おもしろいですね。
おもしろいですね。
【直感を信じる/未来に行って体験したからこそできることがある】
木内 私は自分の未来も知っています。
ですから今のやり方を間違えなければうまくいくのです。
ですから今のやり方を間違えなければうまくいくのです。
よく人から、「木内さんは未来を見て来たんでしょう。どうなりますか?」
とよく聞かれる
のですが、この肉体を持ってここに生まれて来たときの未来には、
のですが、この肉体を持ってここに生まれて来たときの未来には、
最悪な状態と最良の状態があるということは言えます。
でも人生というのは実は、この状態の中のどこかをすでに歩いているわけです。
ですからそれは、これから私たちがつくるものなんです。
ここを基準として、ここから先はどっちに振れるかは、
ですからそれは、これから私たちがつくるものなんです。
ここを基準として、ここから先はどっちに振れるかは、
私たちは教えてもらってはいない。
ですからそこをどういうふうに築いていくかが、
ですからそこをどういうふうに築いていくかが、
この人生のおもしろいところなんです。
中丸 そしてこれから言えることは、
直感として下りてきたものは全力投球でやってみる。
疑わないで、瞬間瞬間を全力投球する。
疑わないで、瞬間瞬間を全力投球する。
その結果が未来になるわけです。
そうするといい方向に変移していくので、疑う必要がない。
そうするといい方向に変移していくので、疑う必要がない。
シンプルな生活をしている人でも、
あれをしようかこれをしようかとすごく迷う人がいますが、
あれをしようかこれをしようかとすごく迷う人がいますが、
そうではなく、自分の目の前に
おりたことをバッチリと全力投球でやる。
1つ1つをそうやって解決していけば、焦ったり慌てたりする
おりたことをバッチリと全力投球でやる。
1つ1つをそうやって解決していけば、焦ったり慌てたりする
必要は何もありません。
左脳が強い人はもうちょっと右脳を発達させる。
それには意識改革と心の浄化をしないといけません。
心身の浄化さえしておけばどんなことがあっても心配することはありません。
それには意識改革と心の浄化をしないといけません。
心身の浄化さえしておけばどんなことがあっても心配することはありません。
木内 一番最初にひらめいたものを大切にすることです。
直感を受けやすい人と、まったくそういうことに無頓着な人がいますね。
私の今の体は、死んだときの意識が主流になっています。
私はどうしても意識の状態がメインというところから外れられないのですが、そうすると自分の体はいつでも借り物なのです。
だから今、3次元の地球の中でこの人間の体を借りている。
たとえばゲームの中で、いろんなキャラクターの中からスーパーマリオを選んだようなものです。
直感を受けやすい人と、まったくそういうことに無頓着な人がいますね。
私の今の体は、死んだときの意識が主流になっています。
私はどうしても意識の状態がメインというところから外れられないのですが、そうすると自分の体はいつでも借り物なのです。
だから今、3次元の地球の中でこの人間の体を借りている。
たとえばゲームの中で、いろんなキャラクターの中からスーパーマリオを選んだようなものです。
スーパーマリオを演じているうちにそれに同化して行ってしまえば、
スーパーマリオの範疇で しかないわけですが、本当はいろんな能力があるはずなのに、それを引き出して使わなかったら、
ゲームの途中で死んでしまったりする。
意識が自分を第3者の立場で観察しながら、
ゲームの途中で死んでしまったりする。
意識が自分を第3者の立場で観察しながら、
その能力を引き出していく。
そのようにしてやっていくと、ファイアという力や空を飛ぶ力などいろいろな能力に気づいていくと思うのです。
そのようにしてやっていくと、ファイアという力や空を飛ぶ力などいろいろな能力に気づいていくと思うのです。
そういうふうにして自分を見つめていくと、この地球上でその人の能力の役割がしっかり
見えてきます。それが世の中の役に立つのです。
自分にいいのではなくて、世の中の役に立って人が評価してくれたときに生きていた証が
できるわけで、これが楽しいんです。
私は3回も死んで向こうへ行きましたが、このまま行ってしまったら何もなかったということに
なるので、帰してもらえた。
見えてきます。それが世の中の役に立つのです。
自分にいいのではなくて、世の中の役に立って人が評価してくれたときに生きていた証が
できるわけで、これが楽しいんです。
私は3回も死んで向こうへ行きましたが、このまま行ってしまったら何もなかったということに
なるので、帰してもらえた。
中丸 今の若い人たちを見ていても、自虐的な思想というか、自分の力を本当に信じていない人が多いですね。
1人1人がもう少し心身を浄化して、直感に従ってやっていくといいです。
1人1人がもう少し心身を浄化して、直感に従ってやっていくといいです。
木内 実はやれないことは意識の中に存在しません。
やれるからこそ自分の中にあるわけですから、最初から諦めたらダメです。
そうではなくて、やれるように工夫をしたときに初めて、その峠を越えるのです。
やれるからこそ自分の中にあるわけですから、最初から諦めたらダメです。
そうではなくて、やれるように工夫をしたときに初めて、その峠を越えるのです。
中丸 人間には4つくらいカルマがあって、「無理だ」と思わせるものも
実はカルマなんです。
何をするにしても最初から「もうだめだ」と言う人がいますね。
そうした考え方を取り除かないと、自分の持っているものをダメにしてしまいます。
実はカルマなんです。
何をするにしても最初から「もうだめだ」と言う人がいますね。
そうした考え方を取り除かないと、自分の持っているものをダメにしてしまいます。
また逆に自信過剰な人もいて、「俺についてくればいい」というような貪(むさぼ)りの心を
丸出しにして失敗する人もいます。中小企業の社長にそういう人が多いですね。
また被害者意識の強い人はちょっと批判されただけで怒り狂って、
丸出しにして失敗する人もいます。中小企業の社長にそういう人が多いですね。
また被害者意識の強い人はちょっと批判されただけで怒り狂って、
相手をギャフンと言わせるまで攻撃して人との摩擦を起こす。
そういうカルマの縛りがあると、せっかく人間に生まれてきても、
実際には常に、暗黒の洞窟の中で生きているような状態なのです。
ですから自分のそうした傾向を理解して取り除いていくことこそが、
ですから自分のそうした傾向を理解して取り除いていくことこそが、
本当の意味での意識改革なのです。
木内 私は実は、壁を乗り越えて行く苦労を喜んでいるんです。
安定しているものを求めてはダメです。
安定しているものを求めてはダメです。
そこに安定していない差があって、それを乗り越えて
初めて生きている喜びが生まれるのです。
初めて生きている喜びが生まれるのです。
私は何度も生死の境をさまよったのですが、
一度老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんたちに
聞いてみたいことがありました。それは長いこと生きてきて、
聞いてみたいことがありました。それは長いこと生きてきて、
一番心に残っていることは何かと いうことでした。
それで行って尋ねたら、みんなが苦労の自慢のし合いでした。
「戦争中はこうだった」、「おたくはいいよ。うちはもっと悪かったよ」などと、苦労を乗り越えたことを
誇りに思っているのです。この人たちは、苦労したことが唯一の喜びなんだなと思いました。
「戦争中はこうだった」、「おたくはいいよ。うちはもっと悪かったよ」などと、苦労を乗り越えたことを
誇りに思っているのです。この人たちは、苦労したことが唯一の喜びなんだなと思いました。
ところが、じゃあ、「生きてきた中で一番楽しかったのは何ですか」と聞くと、
みんなわからないんですよ。楽しいという基準がない。
みなさんにとっては苦労を乗り越えたことがすごく楽しかったわけです。
病気のお年寄りが病院に集まって、「おたくより自分のほうが悪い」と言う患者が多いというのも
そうだと思うし、自分はあなたより悪いといいながら元気でいるわけです。
今こうやって話しているのも、大変な時代をどうやって乗り越えるかということが楽しいわけです。
みんなわからないんですよ。楽しいという基準がない。
みなさんにとっては苦労を乗り越えたことがすごく楽しかったわけです。
病気のお年寄りが病院に集まって、「おたくより自分のほうが悪い」と言う患者が多いというのも
そうだと思うし、自分はあなたより悪いといいながら元気でいるわけです。
今こうやって話しているのも、大変な時代をどうやって乗り越えるかということが楽しいわけです。
でも人間はそれで満足しないのです。
それを乗り越えてしばらくすると、また壁を見つけたがるのです。
私はホノルル・マラソンを7年間毎年走っていました。終わったときには足腰がボロボロになるし、
もう二度とやりたくないと思うのですが、11月ごろになるとまた走りたくなってきて、12月に
行くんです。あれは何だろうとずっと考えていたのですが、達成感なんです。
私にとってあれは自分との戦いなので順位ではない。
だから私はいつも完走していました。
誰も褒めてはくれないけれど、自分との戦いに良く頑張ったと。
それを乗り越えてしばらくすると、また壁を見つけたがるのです。
私はホノルル・マラソンを7年間毎年走っていました。終わったときには足腰がボロボロになるし、
もう二度とやりたくないと思うのですが、11月ごろになるとまた走りたくなってきて、12月に
行くんです。あれは何だろうとずっと考えていたのですが、達成感なんです。
私にとってあれは自分との戦いなので順位ではない。
だから私はいつも完走していました。
誰も褒めてはくれないけれど、自分との戦いに良く頑張ったと。
富士山に登るのもそうです。
何でみんなわざわざあんなにくたびれに行くのか。人に説明してもバカにされるだけですが、
乗り越えたときには自分の中にとんでもない達成感があるのです。
だからみんなわざわざ苦労しに行くんです。苦労を楽しむんじゃなかったら行かないほうがいい。
何でみんなわざわざあんなにくたびれに行くのか。人に説明してもバカにされるだけですが、
乗り越えたときには自分の中にとんでもない達成感があるのです。
だからみんなわざわざ苦労しに行くんです。苦労を楽しむんじゃなかったら行かないほうがいい。
やらなかった人から見たら、自分はやったという自信と誇りがある。
自信と誇り、これが意識の改革なのです。何なんだろうとずっと悩んできたものが、生死の間を
さまよっていたときに体験してみて初めて、ああ、こういうことかとだんだんわかってきた。
非常に難しい問題があればあるほど楽しいのです。
自信と誇り、これが意識の改革なのです。何なんだろうとずっと悩んできたものが、生死の間を
さまよっていたときに体験してみて初めて、ああ、こういうことかとだんだんわかってきた。
非常に難しい問題があればあるほど楽しいのです。
あきらめるのはいつでもできます。
いずれはどうせ死ぬんですから、ただ漠然と生きるだけで、人の評価だけを気にして
生きているよりは、参加したほうがよっぽど楽しいんです。
いずれはどうせ死ぬんですから、ただ漠然と生きるだけで、人の評価だけを気にして
生きているよりは、参加したほうがよっぽど楽しいんです。
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