はじめに言葉ありき | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も唯一の神を崇める宗教です。

 

だから一神教。

 

だから最強無敵。

 

だから、神のみを信じればいい。

 

だけども、神の意図は計り知れない。

 

直接言葉では伝えてくれない。

 

なぜなら、「言葉」を使わないからです。

 

なぜ神は言葉を使わないか?

 

それは、言葉は人間が発明した会話手段だからです。

 

神は言葉を使う代わりに、さまざまな形で人々に「ヒント」を与える。

 

自然現象とか、兆候によってですね。

 

それでも人間は鈍感だから神はイラつく。

 

仕方なしに、預言者を任命して人間世界に遣わす。

 

預言者のほうも大変だ。

 

神の考えを言葉によって伝えなくてはならない。

 

言葉は不完全な会話手段だから、預言者はさまざまな「比喩」を用いて神の意思を伝えようとする。

 

要するに、たとえ話ですね。

 

それでも人間は馬鹿だから、神の真意を誤解する。

 

預言者は神の子だけれど、人間のあまりの馬鹿さ加減にイラッとしてしまう。

 

言葉で伝わらないのなら、「奇跡」を起こして見せつけてやれっ!・・・となる。

 

そして、弟子たちは預言者の言葉や奇跡を「文字」によって記録する。

 

それが聖書なりクルアーンなりとして残るのです。

 

しかし、言葉を文字にしたものだから、結局は正確に伝わらない。

 

預言者の言葉は年代を経るに従って、無数のフィルターを通して伝わっていく。

 

その結果、ますます神の意志は正確に伝わらない。

 

そこで、神の意思を読み解く「解説者」が現れる。

 

オイラは専門家だから、神の真意を教えてしんぜよう・・・となる。

 

雨後の筍のように専門家が現れ、勝手な解釈を撒き散らす。

 

中には預言者だというものも現れ、神を騙って自分の野望を叶えようとする。

 

多かれ少なかれ、宗教というものはこういう経過を辿るものです。

 

そんな宗教の中で、面白いことが起きたのが仏教です。

 

仏教は難しい。

 

宗教というより「哲学」に近い。

 

仏教の真髄を極めるには、荒業をしたり、断食をしたり、座禅を組んで各個が悟りを開かなければならない。

 

凡人には到底手の及ぶ宗教ではないのです。

 

そこで、聖職者である僧侶を拝むことになるのです。

 

僧侶は世俗を離れ修行する者です。

 

自分が修行できないので、僧侶を拝むことによって救いを求めるのです。

 

考えてみればおかしなことなのです。

 

・・・・・・・

 

はじめに言葉ありき。

 

でも、言葉は不完全なのです。