学校の美術は何も努力しなくても大体良い点を貰っていたものの、私自身は特に芸術に興味があったわけでもなく、
イタリアにきてから初期の1~3年目をのぞいて、ルネッサンス文化(リナッシメント)の生まれた芸術の街、フィレンツェにいながらも
忙しい日常生活に追われほとんどそれを楽しむ事もなく何年も過ぎ去った。

最近、それではせっかくのチャンスを生かせてない、と思い
公共の美術館などがが無料で見れる日
(例 3月8日の女性の日に女性のみ無料の FESTA DELLA DONNA や、春に約1週間がイタリア国全体での芸術週間 LA SETTIMANA DELLA CULTURA、秋の9月にヨーロッパの遺産の日GIORNATE EUROPEE DEL PATRIMONIO、 他)というのが、 年に何回かあるので、
ある日、それを利用して美術館めぐりを久しぶりにしてみたところ、非常に気持ちの良い有意義な日になった。
美術館だけでなく、普段から無料で朝だけあいてる教会の一部の建物ので「最後の晩餐」を見れるところもあるのでついでに見てみたところ、その日は特別に(ガイド学校の学生さんによる)無料ガイドがついてくれて、細かく説明してくれた。
そのフレスコ画がサンタ・アポローニャ教会の中の最後の晩餐 アンドレア・デル・カスターニョ作 Cenacolo di Sant'Apollonia Andrea del Castagno

$フィレンツェの天翔船のブログ-サンタ・アポローニャ教会の最後の晩餐
若いガイドさんは、このフレスコ画の、デコレーションで色んなマーブル模様などが美しく綺麗に描かれているなどの特徴や、登場人物の中でテーブルの手前にいるのがユダで、
またキリストの隣にいて顔を伏せているのが、12使徒の中で一番若いジでョヴァンニであり、少年のあどけなさが残っている為に顔と体の輪郭が細く描かれていて、そして彼はまだ若年であるがゆえ経験不足の為か、キリストから「今夜、12使徒のうちの一人が彼を裏切るであろう」という事を伝えられて非常に動揺して、まるで泣いてるように見えるなどを教えてくれた。

その様子のアップの写真がこちら
$フィレンツェの天翔船のブログ-アポローニャ 最後の晩餐

そんなガイドさんの説明を聞きながら、私が思いだしたのが、5~6年ほど前に読んだ小説「ダヴィンチコード」だった。

読んでいたときは先が気になってかなり夢中で一気に読んだ為かもうほとんど覚えていないが、
覚えていることはミラノの教会にあるダヴィンチの最後の晩餐の絵の話で、キリストの隣にいるのが実は十二使徒のうちの一人ではなく、女が一人紛れ込んでいる、それはマグダラのマリアであり、一般ではマグダラのマリアとは元娼婦で悔い改めた後キリストの弟子をするようになったといわれている人だけれども、本当は弟子の一人ではなく、キリストの恋人/奥さんであることをフレスコ画が示唆しているという話。キリスト教の中ではキリストが妻帯者ではまずいという建前があるので隠されているのだという。

他に覚えてるのはキリストとマグダラのマリアの二人の体の線が「M」を描いてある、ということ、

また本を読んだ当時、有名な秘密結社フリーメーソンやイルミナーティがどういうものかも全く知らなかった私には、作者の説明を読んでも今一把握できてなかったのか、読んでても不可解だったが、とにかくその「M」という線が聖杯と剣を意味してる、ということだった。書いてあったのを覚えてるのはそれだけなんだけど、

今思うと聖杯「V」と剣「Vの逆様」はコンパスに定規のフリーメーソンのシンボルと一緒である。それと、まあ、恐らく頭にあまり残らなかったのは大衆向けに作られたあくまでも小説であって本物の真実に触れることはなく、頭に整理して覚えられるようじゃきちんとした説明もなかった可能性もあるなとは思う。当時は最後が知りたくてかなり興奮しながら読み進めたのを記憶している。


まあ、話は戻るが、
ガイドさんから質問はあるか?ときかれたので、

「ガイドさんはダヴィンチコードを読まれたかわかりませんが、あの小説では、ミラノのダヴィンチの最後の晩餐のフレスコ画について、キリストの隣に十二使徒の一人の変わりに女性が座っている、という話が書いてありましたが私は、このアンドレア・カスターニョのフレスコ画を見て思ったのですが、どうしてもこの中のジョヴァンニも女性に見えるのですが」といってみました。
ガイドさんは「えーと、本は読んでませんが、なんとなくそういう話は聞いた気がします。
でも、これはどうみても男性です!」と言い切られてしまいました。

「そうですか、私には女性に見えるんですよね。先ほど、サンマルコ寺院美術館の中にある他の最後の晩餐を見ましたが、それも、どうやら一人女性に見えましたし。」とりあえず、思い切って切り出してみたものの、やっぱり学生さんは学校で教えられたことが正しい説明である、と思い込んでるようで、一種の拒否反応を見ました。


まあ、今は信じられなくても、いつか私の言葉をふと思い出すときが来て、なるほどいわれてみればそうだな、でも何故だろう?と考えてくれる日がきたらそれでいいやと思い、その場はお礼をさらっと言って切り上げてきました。

「先ほど、サンマルコ寺院美術館の中にある他の最後の晩餐みました」というフレスコ画がこちらなんですが、
サンマルコ寺院の中にある他の最後の晩餐のフレスコ画 ギルランダイオ作Il Cenacolo di San Marco (Ultima Cena) Domenico Ghirlandaio
フィレンツェの天翔船のブログ-最後の晩餐 サンマルコ寺院


これも、かなり女性に見える人がいて、しかもかなり感傷的になってる雰囲気がありませんか?

その日は2つの違う最後の晩餐を見て『アレ?』って思ったのと、ガイドさんがわざわざ
「サン・ジョヴァンニは若年だから輪郭もまだあどけなさが残っているよう描かれて、しかもまだとても若く経験不足のため非常に動揺してる様子」と、説明してくれたおかげで
な~るほど♪とひらめいたのだが、
こういう定説的な説明をする事により、人々の疑問を打ち消す、または考えさせないように最初から準備されたものである可能性が強い、と思ったわけです。勿論、ガイドさんは教えられた事をそのまましゃべってるだけでしょうが。
で、やっぱり、私達に本物の歴史は教えられてない、という事を改めて感じました。

それにしても、てっきり「ミラノのダヴィンチ作の最後の晩餐だけに女性が描かれたと思い込んでいました」が、
たまたまその日見たフィレンツェ市内の2作の最後の晩餐の両方ともが何故女性に見えるのか、不思議でなりませんでした。

という事は、ダヴィンチだけでなく、ルネッサンスの時はキリストの片隅に女性がいたのは周知の事実だったのだろうか?という疑問が浮かび上がりました。
知らないのは現代の私達だけなのか?

本当に謎です。

ちなみにギルランダイオは同市内のオンニサンティ教会の中にもサンマルコ教会の最後の晩餐と似たような建物の背景で違う最後の晩餐を描いています。オン二サンティの本物は私も見たことはありません。ネットの映像のみです。)
こちらに掲載されてる写真からはいり何回かクリックすると綺麗で結構大きめな画像で見られます。
何気にバーチャルミニ美術館めぐりができて、結構楽しいかもしれませんね。


今回の文章はほぼ私の独り言です。

それではまた!
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