私の両親は、富裕層であるにも関わらず、お金に対して驚くほど細かく、1円たりとも損をしないプンプン
という徹底した金銭感覚の持ち主です。

それは、私自身がお小遣いをもらい始めた小学生の頃から、資産形成を始めた30代前半の頃までの
私のマインドに大きく影響を与えました。

目次

  • 幼少期から刷り込まれた「1円の重み」

  • 社会に出て気づいた「ケチな自分」

  • 価値を基準に選び始めた人生の転機

  • まとめ

 


幼少期から刷り込まれた「1円の重み」

大学を卒業し、社会人になって実家に戻って生活していました。

生活費は毎月入れていましたが、その他の買い物や外食、立て替え払いなど、母との間でお金のやり取りが発生するたびに、私は1円単位で払っていましたびっくり

  • 外食や楽天などでの買い物:自分の分は自分で払うのは当然ですが、立て替え払いの際、母は電卓を叩き、1円の間違いもないように計算し、私に請求しました。
     
  • 借金(立て替え払い):私が「面倒だから10円単位で丸めて払おう」と提案しても、母は断固として拒否。
    「絶対1円単位で」と譲りませんでした。

職業の経歴も影響しているのかもしれませんが、母の「絶対正しい金額」プンプンという執念にも似た細かさは、私にとって非常に煩わしく、大きなストレスでした。
 


社会に出て気づいた「ケチな自分」

そんな環境で育った結果、私自身もまた、「1円単位」にこだわるケチな性格真顔になってしまいました。
それは、大学生や社会人になって友人との間で顕著に現れました。

  • 割り勘へのこだわり: 友人との飲食などで割り勘をする際、私は1円単位までキッチリ分けないと気が済みませんでした。
     
  • 人間関係の苦悩:私が少しでも多く払うことになると、モヤモヤとした不快爆笑感を覚えていたのです。

当時の私は、自分のこの性格が嫌絶望でたまりませんでしたが、母からの影響でこの金銭感覚から抜け出せずにいました。
「ケチな人間だと思われただろうな」と、今振り返っても恥ずかしい記憶が残っています。

「人からケチだと思われたくない」と願いながらも、無意識に「1円も損したくない」という母の価値観に支配されていました。
 


価値を基準に選び始めた人生の転機

私の金銭感覚が変わり始めたのは、資産形成を始めた30代前半の頃から。

夫は、細かいことにこだわらず、大体のものには払ってくれるような寛大な人でした。
私自身のケチな性格が原因でトラブルになることはありませんでしたが、それでも「このままではいけない」という思いは常にありました無気力

そして、資産が増えていくにつれて、私は「お金の価値」について深く考えるようになりました。

1. 楽天キャッシュで「楽」になった精算
母との立て替え払いは今もありますが、最近は「楽天キャッシュ」で精算するようにしています。
これは、1円単位の金額でも、スマホで入力・送金するだけで済むためです。
その結果、細かいコインのやり取りから解放され、精神的に非常に楽花になりました。


2. 人への気遣い、自分への投資ができるように
以前は「少しでも安いものを」と探していた私ですが、今では「価値があるもの」には惜しまずお金を使えるようになりました。

  • 人へのお土産・手土産: 「自分が本当に美味しいと思うもの」「相手に喜んでもらいたいもの」を、値段を気にしすぎずに選べるようになりました。
     
  • 私自身の買い物: 多少値段が高くても、「その価値がある」と判断したものは購入します。
    「松竹梅」があれば、以前は必ず「梅」を選んでいましたが、今は本当に良いものを選べるようになりました。
     

3. 子どもに「コンプレックス」を継がせない
最大の変化は、中学生の子どもへの買い物です。

実を言うと、私には中学生時代に苦い記憶真顔があります。
周りが乗る高価な「ブリヂストンのアルベルト自転車を買ってもらえず、量販店の安価な自転車で、同級生から少し馬鹿にされていた経験です。

もし昔の私なら、きっと今回も安価なものを選んでいたでしょう。
しかし、この苦い経験を子どもにはさせたくないという思いとともに、ある一つの気づきがありました。

それは、「長持ちすることの価値」です。

安価な自転車は3年ほどで錆びて乗り心地も悪くなります。
高校生まで6年間乗ることを考え、耐久性や乗り心地に価値がある「アルベルト」を、9万円アセアセという価格に驚きつつも購入を決めたのです。

これは、私が「必要なものには、その価値に見合うお金を払う」という考え方を身につけた証拠です。

親に買ってもらえなかったから買ってあげた、という単純な理由ではなく、「物の価値」を判断基準キラキラに選択できるようになったのです。

(余談ですが、長女は所有物にこだわりは一切なく、毎日のほほんと日々過ごしています。)

 


まとめ

母から受けた「1円の価値」へのこだわりは、私を細かく、器の小さな人間にしましたが、
その経験があったからこそ、今、「お金の真の価値」を見極められる人間に成長できたのかなと感じています


完璧ではありませんが、今後は真に価値のあるものには惜しみなく投資し、人には寛大に接することができる人間へと近づいていきたいです。