私は、来年の夏に40歳を迎えます。にっこり

今の心の変化と価値観の変遷について書いていこうと思います。

39歳という年齢は、人生の大きな節目を前に、時に残酷な現実ドクロを突きつけ、時に過去の自分を振り返る花きっかけを与えてくれました。
 

しかし、その変化はネガティブなものばかりではありませんでした。
 

目次

  • 39歳という「タイムリミット」に感じた残酷な現実

  • 写真に映る自分とのギャップが示す「見た目の変化」

  • 若い頃の「見栄と承認欲求」からの解放

  • 私が見つけた、真の「資産」とは

  • 身体と心を大切にする「健康資産」へ

 


39歳という「タイムリミット」に感じた残酷な現実

今、私は39歳です。

40歳を目前に控え、まず現実として突きつけられたのが、世間的な「年齢の壁」真顔でした。


先日、市の図書館で目にした婚活パーティーのチラシには、「男女とも25歳から39歳汗うさぎ」という年齢制限がありました。

この「39歳まで」という明確なラインを見たとき、なんとも言えない寂しさを感じました。

世間から見れば、39歳はまさに「婚活需要のギリギリの年齢驚きとして括られているのだと。


インターネットの情報を参考にすると、確かに婚活市場においては、

女性は若さキラキラが、男性は年収お札がより重視される傾向にあるようです。

 

自由恋愛における感情的な繋がりとは異なり、結婚という生活基盤を前提とした場では、スペックが重要視されてしまう。

これは残酷ですが、一つの事実なのかもしれません。


かつての私は、年齢を重ねること、特に「おばさん」と呼ばれる世代になることを漠然と見下していた部分がありました。

 

しかし、いざ自分がその年齢になってみると、そのような世間の評価が、自分自身の存在価値を直接否定するわけではないことを知ります。

それでも、社会の定めるタイムリミットを目の当たりにし、心がざわつくアセアセのは、この年齢を生きる上での正直な感情です。
 


写真に映る自分とのギャップが示す「見た目の変化」

心の変化だけでなく、外見の変化無気力もまた、40代が近づいていることを実感させます。


私は普段、自分から写真に写ることはほとんどありません。

しかし、昨年、子供二人と母と四人で大阪旅行に行った際、大阪城をバックに母に家族写真カメラを撮ってもらいました。

その写真を見て、私は大きな衝撃を受けました。


隣に並ぶ子供たち(当時長女12歳、次女9歳)は、肌のツヤもハリ乙女のトキメキも段違いで、生命力に満ち溢れています。


それに対し、写真に映る自分の顔は、想像していた自分と大きくかけ離れていました。

正直に言えば、「カバ」のように見えてしまいガーン、大変悲しくなったのです。


普段、鏡で見る「一人の私」はそれなりに受け入れていたつもりでしたが、若い子供たちと並んだ時の「客観的な私」は、明確に「年齢を重ねた私」でした。

このギャップはかなりのショックでした。

この一連の出来事は、「若さ」という無意識の特権が、もう私にはないのだという事実を突きつけたのです。

 


若い頃の「見栄と承認欲求」からの解放

外見や世間的な評価の変化はネガティブな要素もありましたが、40歳を前にして最も改善されたのは、内面的な価値観の変化照れです。
特に20代の頃に感じていた、他者の評価に縛られる苦しさから解放されました。

20代の頃、私は世間の「若さ」という価値基準の中で、常に周囲からの評価を気にし、見栄を張っていましたえー

 

 

  • 周囲に舐められたくない:
    若いというだけで軽視されると感じ、トゲトゲしく振る舞い、分からないことを素直に聞けませんでした。
     
  • ブランドや所有物への執着: 同期がバーバリーのジャケットを着ているのを見て、「私も高価なものを着なければならない」という基準に囚われていました。
    また、当時乗っていた軽自動車(ワゴンR)を会社の同僚に「それっぽいね」ニヤリと馬鹿にされたように感じ、大変悔しい思いをしました。

 

当時の私には、自分自身の「真の価値」を理解する基準がありませんでした。


だからこそ、高価な車やブランド物といった「目に見えるもの」で自分の価値を補おうとしていたと思います。

 

周囲の人がiPhoneを持っているから私も買うべきだと考え、他者の基準で自分の行動や価値を決めていました。

しかし私は、毎年100万円を貯金するプンプンという目標が、そうした衝動的な買い物を抑止する力となっていました。

 


私が見つけた、真の「資産」とは

しかし、30代で懸命に働き、資産を築く中で、この価値観は大きく変わりニコニコました。

 

今、私は欲しいものはいつでも買える口笛経済的な余裕を手に入れることができました。その結果、皮肉なことに、物欲がなくなりましたにっこり


現在の私は、実用性利便性を第一に考えます。

 

ユニクロで十分ならそれでいい。ダイソーのものが便利なら迷わず使います。

「ブランド」という価値だけで何かを購入することはなくなり、本当に必要なもの自分を豊かにしてくれるものウインクだけを選ぶようになりました。


高価なブランドキラキラ品や豪華な所有物乙女のトキメキを見ても、もはや羨ましいとは思わなくなりました。

それを見て、

「その人は、それだけのお金をそのものに使って資産を減らしただけ凝視なのだ」と思えるようになったからです。

 

その人が努力して稼いだお金であれ、親からの援助であれ、借金であれ、本質的には「お金が形を変えただけ」であると冷静に捉えられるようになりました。


この「お金の真の価値」を理解し、他者の所有物に惑わされなくなったことは、私が長い年月をかけて築いた目に見えない「心の資産」ニコニコです。

 


身体と心を大切にする「健康資産」へ

そして、40歳を目前にした今、最も重要だと感じるようになったのが「健康資産」爆  笑です。


年齢を重ねると、実年齢の差はだんだん気にならなくなりました

20代の頃は、早生まれかどうか、数ヶ月の差を気にしていましたが、40歳が近づくと、それよりも「見た目年齢」「健康な体」こそが、人生を豊かにする要素だと実感します。


私の母は60代後半ですが、ほぼ毎日ジム走る人に通い、エアロビクスやヨガ、マッスルビートなどのレッスンに参加しています。

 

ジムには80代半ばびっくりの方も、自分の足でしっかりと歩き、レッスンに励んでいるそうです。

母は「20年後、私も、ああなりたいびっくりマーク」と言います。


どれだけお金を貯めても、体が健康でなければ、美味しいものを食べ、旅行に行き、好奇心を満たすことができません。体力がないと、全ての行動が億劫になってしまいます。


40代の始まりは、単に老化が始まる年齢ではありません。

外側の価値観に縛られていた過去の自分を卒業し、自分の内面と、自分の「健康資産」に投資し始める、第二の人生のスタートラインウインクなのかもしれません。


間もなく40歳。

私は、誰かの評価ではなく、自分自身の心地よさスター健康を最優先にする、新しい価値観で人生を歩んでいきたいと思っています。