↓この動画「重要」です


快・不快の気分から自由になる
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻に匂うもの、
舌に感じる味、身体で感じる触覚、心に触れる思考。
この6種類のデータが君に接触する時にボーっとしていると
君は知らず知らずのうちに
「素敵な音だなあ」と快感を感じて音楽が心に刷り込まれたり、
「嫌な事を思い出したなぁ」と不快感を感じて気分が悪くなったりと、
快・不快に支配されてしまう事になる。
快・不快の神経信号に支配されるなら、
遺伝子に命令されるがままの運命に翻弄されて
邪道へと転がり落ちてゆき
自由を失った奴隷になってしまう。
しかし、6種類のデータが君に接触する入口を見張っておくならば
自動的に快・不快のデータ処理が進んでしまうのをストップできる。
「目・耳・鼻・舌・身・意」の6つの門にデータが接触する度に
心をガードすれば、
それらのデータに翻弄されなくなり、自由が君の手に残るだろう。



知識から自由になる
内面を見つめる力や、集中力や、落ち着きといった能力を
高めるトレーニングをする代わりに知識を増やそうとするのは、
愚か者の証。
哲学・政治学・経済学・心理学・様々な言語なんかの
知識を無闇に増やす事によって、
記憶のメインメモリーは不必要な情報のノイズで埋め尽くされ、
頭が混乱するだけ。
「せっかく学んだのだから他人にひけらかしたいよ」とか
「せっかく学んだのだからこの知識を使ってみたいよ」などと
知識への執着が生じるがゆえに、気付かぬうちに知識に支配される。
知識のフィルターを通してしか物事を感じることができなくなり、
いつの間にか不幸になってしまう。
頭を混濁させる小賢しい知識のフィルターを離れて
物事をありのままにに感じるように。



他人の賛否から自由になる
どれだけ風が吹いても、山はどっしり揺らぐ事はない。
そんな山に学んでみるならば、
他人から「嫌な奴」と非難されても、
「素敵な人」とおだてられても、
そんな言葉はサラリと聞き流し、
心はどっしり揺るがず平静のまま。
非難されて苦しくなるなら心は暴走して自由を失い、
おだてられて調子に乗るならやはり心は乱れて調子を失う。
非難の風が吹こうとも山のごとく風を受け流すなら、
君の心はどこまでも自由となるだろう。



快楽と苦痛から自由になる
自らの内面の声に耳をすますための、
意識のセンサーを磨いているなら君は、
欲望のせいで苦しくなっている事に気付いて、
欲望をサラっと手放すだろう。
「それ、今しゃべらなくても良さそうなのにね」
と思われかねないような自分語りを、
君が欲望のままにしたくなったとしよう。
その欲望ゆえに心身が不快になっている事に君が気付くなら、
くだらない無駄話をストップする奥ゆかしさが生まれるだろう。
「快楽が欲しいよ!苦痛は嫌だよ!」
という欲望を捨てているなら、君の心は落ち着いていられる。
誰かに優しくされて快感が生じても、その快感に浮かれない。
誰かに冷たくあしらわれる苦痛を受けても、その苦痛に落ち込まない。
こうして君の手には、
快感と苦痛に支配されなくなった自由が残るだろう。



仏陀の言葉にすら依存しない
君が川を渡るためにイカダを作って、
川を渡った後でこう考えたとしてみよう。
「このイカダはとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と
そんなお荷物を抱え込んでてしまっては、
重くてまともに歩けはしなくなる。
それが君の業績・学歴・職歴であれ、このイカダと同じ事。
私の言葉も教えも真理すらもまた、
このイカダのようなものにすぎないのだから、
君が私の教えを使い終わったのなら、惜しむ事無く捨て去るように。



空という自由
お金や物を増やす事に執着せず、
食べ過ぎぬゆえに身体は軽く、
心が縛られる事なくどこまでも「空」となるならば、
その自由は無色透明で他人には見えにくいもの。
あたかも空を自由に飛ぶ鳥の飛んだルートは透明で
目に見えぬのにも似て、
他人には見えもせず、理解しがたいにしても、
「空」となる事で自分自身を乗り越える。