O-bon
さて今回のHawaiiのメイン
O-bonです。
かれこれお手伝いに行かせてもらうようになって早4年、
きっかけはUenoさんに「一度見においで、ここには日本があるから」とさそわれて、

なんだか不思議だけど、ほんとここには「日本」がある。
僕がHawaiiを好きな理由の1つが日系のじいちゃんばあちゃんたちです。
こっちで生まれ、親から習った日本は僕たちのくらしよりも
「らしさ」があるように気がします。そして「大切なもの」も・・・

みんな元気で一緒に盆踊りの屋台の料理を用意したり、
提灯を付けたり、お茶したり^^
そしてお盆のお参りと灯籠流しもお手伝い。
夜の海に大きな板の上にみんなの灯籠を乗せて沖に流しに行きます。
先祖も先輩も大切にしなきゃ行けないし学ぶことは多いですね。
また来年も!! みんな元気でいてね^^
O-bonです。
かれこれお手伝いに行かせてもらうようになって早4年、
きっかけはUenoさんに「一度見においで、ここには日本があるから」とさそわれて、

なんだか不思議だけど、ほんとここには「日本」がある。
僕がHawaiiを好きな理由の1つが日系のじいちゃんばあちゃんたちです。
こっちで生まれ、親から習った日本は僕たちのくらしよりも
「らしさ」があるように気がします。そして「大切なもの」も・・・

みんな元気で一緒に盆踊りの屋台の料理を用意したり、
提灯を付けたり、お茶したり^^
そしてお盆のお参りと灯籠流しもお手伝い。
夜の海に大きな板の上にみんなの灯籠を乗せて沖に流しに行きます。
先祖も先輩も大切にしなきゃ行けないし学ぶことは多いですね。
また来年も!! みんな元気でいてね^^
Lanai
その後ドタバタで更新できずでした。
さてLanaiへ
ラナイへはラハイナからEXPEDITIONSという
小さなフェリー?おおきなクルーザー?のような船で移動。
港は5年前に訪れたときとはずいぶん変わっていました。
港に待合所なんて無かったしパーキングもなかったのに・・・

ラナイ行きを誘ってくれたのはBrian
彼は日系二世の方々を取材しているカメラマンで
今回は彼が以前取材した方Matsukoさんの所へおじゃましました。
とはいえ港から町は離れていて町へ行く手段のタクシーもバスもなく
Matsukoさんが迎えに来てくれました。
Lanaiはむかしは島の平地は全てパイナップル畑だったそうです。

Matsukoさんはその畑で働いていたそうです。
今は見渡す限りの草原です。空は広く、雲が近い!!
こんあHawaiiもあるんだなと感動しました。
またラナイシティは標高が高く。各家庭には暖炉の煙突がついていて
冬の朝晩は冷えるそうです。(これまたびっくり)

3人で昼食をしてドライブしてのんびり穏やかな1日でした。
(Matsukoさんは僕のマウイの友達Asaiさんの友達で、島を離れるときに
「今度はうちに泊まりにおいでなさい」と言って下さいました。
誰々の友達なら、私の友達なんてほんとステキな人と人の関係ですよね。
僕もそうありたいなぁ)
さてLanaiへ
ラナイへはラハイナからEXPEDITIONSという
小さなフェリー?おおきなクルーザー?のような船で移動。
港は5年前に訪れたときとはずいぶん変わっていました。
港に待合所なんて無かったしパーキングもなかったのに・・・

ラナイ行きを誘ってくれたのはBrian
彼は日系二世の方々を取材しているカメラマンで
今回は彼が以前取材した方Matsukoさんの所へおじゃましました。
とはいえ港から町は離れていて町へ行く手段のタクシーもバスもなく
Matsukoさんが迎えに来てくれました。
Lanaiはむかしは島の平地は全てパイナップル畑だったそうです。

Matsukoさんはその畑で働いていたそうです。
今は見渡す限りの草原です。空は広く、雲が近い!!
こんあHawaiiもあるんだなと感動しました。
またラナイシティは標高が高く。各家庭には暖炉の煙突がついていて
冬の朝晩は冷えるそうです。(これまたびっくり)

3人で昼食をしてドライブしてのんびり穏やかな1日でした。
(Matsukoさんは僕のマウイの友達Asaiさんの友達で、島を離れるときに
「今度はうちに泊まりにおいでなさい」と言って下さいました。
誰々の友達なら、私の友達なんてほんとステキな人と人の関係ですよね。
僕もそうありたいなぁ)