紀元前336年夏
アレックスの父フィリッポス2世が暗殺され、
アレックスがアレクサンドロス3世として即位します。
夏というと、アレックスは7月生まれなので、
20歳を迎える直前、または迎えたばかりです。
弱冠20歳の王は、
父の葬儀、国内の反対勢力の排除、
反マケドニアの動きが広がろうとしていたギリシア諸国へも
迅速かつ鮮やかな手腕で、あっさりと抵抗をあきらめさせました。
フィリッポス2世は暗殺される前の春には、
ペルシア遠征の準備を始めており、
重臣パルメニオンらを指揮官として、すでに先発部隊を出発させています。
お父さん
歩兵9000、騎兵1000、からなる一万もの先発部隊は、
ヘレスポントス(現在のダーダネルス海峡)を渡って小アジアへ上陸、
エーゲ海沿岸地方を南下していました。
アレックス個人としての東方遠征はまだ始まっていませんが、
ギリシアの大儀としてのペルシア戦争の報復
小アジアのギリシア人諸都市のペルシア支配からの解放
そういう意味での東方遠征は、すでに始まっていました。
アレックスが王位に就いたとき
師アリストテレスは一冊の論説書を書いて、若き王に贈りました。
王として国や人々をどのように統治するべきか。
ということを説いたもので、
『王たることについて』
これはアレックスの心にとても影響を与えました。
誰かに何も利益を与えられなかった日はいつも、
彼はこう言ったといいます。
「今日、私は王ではなかった。
なぜなら私は今日、誰に対しても善いことを為し得なかったからだ。」 by Alex