名曲「今日を生きよう」の成り立ち | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・テンプターズ - 今日を生きよう (フィリップス, 1967)
ザ・テンプターズ - 忘れ得ぬ君 (作詞作曲・松崎由治) (フィリップス、single A-side, FP-1029, 1967.10.25) :  

ザ・テンプターズThe Tempters/忘れ得ぬ君 Wasure-Nnu Kimi (1967年) 視聴No.41♪滝川高校1年の秋・・・ザ・テンプターズThe Tempters/①忘れ得ぬ君 (1967年10月25日発売)ソロ:松崎由治作詞・作曲:松崎由治ノーノーノーノーノーノー ノーノーノーノー ノーノーノーノーノーノー ノーノーノーノー ノーノーノーノーノーノー ノーノーノーノー ノーノーノーノーノーノー ノーノーノ...リンクyoutu.be
 デビュー作にしてこれほど強力な両A面シングルはないでしょう。ザ・グラス・ルーツ(アメリカ)のヒット曲として知られる「今日を生きよう」は日本ではザ・テンプターズのデビュー・シングル「忘れ得ぬ君 c/w 今日を生きよう」のB面曲(「忘れ得ぬ君」は松崎由治ヴォーカル、「今日を生きよう」は萩原健一ヴォーカル)として人気の高い曲になり、なかにし礼の素晴らしい日本語詞、テンプターズのソリッドなアレンジによる名演(リーダーの松崎由治アレンジ、萩原健一のリード・ヴォーカル)によって原曲をしのぐカヴァーと定評のある名曲・名演となりました。テンプターズはグラス・ルーツではなく日本フィリップス・レコードのハウス・ディレクター(プロデューサー)、本城和治氏の薦めによって海外本社フィリップスのリヴィング・デイライツのカヴァー・ヴァージョンから孫カヴァーしたそうですが(本城和治氏証言)、それは才人P・F・スローンとスティーヴ・バリによる覆面バンドだったグラス・ルーツの、全米8位の大ヒットになった優れたヴァージョンと較べても明らかです。
The Grass Roots - Let's Live for Today (Michael Julien, Mogol, David Shapiro) (Dunhill 45-D-4084, Single A-side, 1967.5.13, US#8) :  

Living Daylights - Let's Live for Today (Phillips, 1967) :  

 もともとこの曲は1963年から1970年まで主にイタリアで活動していたイギリスの出稼ぎバンド、ザ・ロークスがオリジナルで、ロークスのリーダー、デイヴィッド・シャピロの作曲、イタリア人作詞家モゴールのイタリア語歌詞を得て1966年にイタリア用シングル「Che colpa abbiamo noi」(イタリア3位)のB面曲としてリリースした「Piangi con me (Cry with Me)」としてリリースされ、その後マイケル・ジュリアンが英訳詞をつけたヴァージョンにグラス・ルーツが目をつけたものです。ザ・ロークスのオリジナル・ヴァージョンはイタリア向けにリリースしたシングルですから、モゴールのイタリア語歌詞で歌っています。ロークスはのち、グラス・ルーツ・ヴァージョンのヒットを受けて英語詞版「Let's Live for Today」もリリースしています。イタリアで活動していたイギリスのバンドというといかにも際物っぽいイメージがありますが、ロークスは1964年にイタリアでデビュー、イタリア中心にヨーロッパ圏内で活動し、1969年までにイタリア盤アルバム4枚、イタリア盤シングル16枚、英語盤シングル4枚を残している、ロック史に残る実績のあるバンドです。その最大ヒットが1966年のリーダー、デイヴィッド・シャピロによるオリジナル曲「Piangi con Me」になるわけです。
the Rokes - Piangi con me (Arc AN 4081, 1966) :

the Rokes - Let's Live for Today (RCA Victor 47-9199, 1967) :  

 ところが実はこの曲は、1953年デビューのドゥワップ・グループ、ザ・ドリフターズ(「ルシール」「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」「渚のボードウォーク」「ラスト・ダンスは私に」)に名ソングライター・チーム、ドク・ポーマス&モート・シューマンが1960年に提供した楽曲「I Count The Tears」が原曲ではないか、と思われる節があるのです。プロデュースはジェリー・リーバー&マイク・ストーラー、楽曲はドク・ポーマス&モート・シューマン、リード・ヴォーカルがベン・E・キングが在籍(この曲を最後に脱退、ソロ転向)ですから当然最高、あまりに数多いドリフターズの名曲・ヒット曲の中でもつい忘れられがちな佳曲です。
The Drifters - I Count The Tears (Doc Pomus, Mort Shuman) (Atlantic 2087, 1960.11.30, US-R&B#6, US#17, UK#28) :  

 おそらくザ・ロークスのリーダー、デイヴィッド・シャピロが1966年のイタリア盤オリジナル・シングル「Piangi con me (Cry with Me)」の作曲に当たって参考にしたと思われるのはザ・サーチャーズが1964年に「I Count The Tears」をカヴァーしたヴァージョンで、サーチャーズはこの曲を1964年5月のサード・アルバム『It's the Searchers』でカヴァーしています。1963年6月シングル・デビュー、翌7月アルバム・デビューのリヴァプール出身バンド、サーチャーズは1965年12月のアルバム第5作『Take Me For What I'm Worth』から急激に失速してしまいますが、デビューから1965年3月のアルバム第4作『Sounds Like The Searchers』まではストーンズやアニマルズすら退け、ビートルズに次ぐ実力・人気とヒット実績を築いたバンドだったのは再認識されてもいいことです。全盛期が2年弱だったため過小評価されがちで、この3月に二代目ドラマーだったジョン・ブラントの訃報が届いたばかりのサーチャーズについては機会を改めてご紹介したいと思いますが、サーチャーズのヴァージョンは直接「I Count The Tears」のドリフターズによるオリジナル・ヴァージョンを参照しながら、斬新なビート・グループ・アレンジに一新された優れたものです。1964年5月と言えばビートルズは「Can't Buy Me Love」(1964年3月発売、全米・全英1位)と「A Hard Day's Night」(1964年7月発売、全米・全英1位)の間ですが、7割がカヴァー曲、3割がオリジナル曲だったサーチャーズのカヴァー&アレンジ・センスの良さがうかがえるのがこのドリフターズの「I Count The Tears」カヴァーで、ロークス1966年のオリジナル曲にして「今日を生きよう」のオリジナル・イタリア語ヴァージョン「Piangi con me」はサーチャーズの「I Count The Tears」カヴァーからインスパイアされたものと断言していいように思えます。ロークスがサーチャーズ(全英3位の「When You Walk in The Room」)やホリーズ(全英1位の「I'm Alive」)をせっせとイタリア語訳詞でカヴァーしてイタリア国内チャートに上げていたのはロークスのディスコグラフィーとYouTubeにアップされたシングル音源で確認できます。日本でも在日アメリカ人の組んだバンド、ザ・リードや、加山雄三経営のホテルのハウス・バンドだったフィリピンのバンドのデ・スーナーズなどがいましたが、それら日本の外国人GSのようにイギリス人バンドのロークスもイタリアの外国人GS、しかも最新の英米ロックをイタリアに伝えていたバンドだったのです。
The Searchers - I Count The Tears (from the album“It's the Searchers”, Pye Records NPL 18092, 1964.5.22) :  


(旧記事を手直しし、再掲載しました。)