久しぶりにジョン・グリシャムを読んだ。新潮文庫 『大統領特赦』
リーガルサスペンス(法廷モノ、あるいは弁護士が主人公の小説)では右に出るものがいない。話の内容だけでなく、テンポがいい。人がモノを読むスピードにぴったりの場面展開。読む人間の想像力を利用して、無駄な描写に時間を割かない。気の効いたジョークも面白い(アメリカ人がみんなデーヴスペクターレベルではない)あっという間に上下2冊読んでしまった。
主人公は、法廷弁護士ではなく、ワシントンの国会議員に、陳情するロビイスト。巨大企業や、政治団体、はては、他国の起業や政府までもがこのロビイストを雇って、アメリカの政策が自分たちに有利になるように仕向ける。そのため、この主人公も巨万の富を得、果ては、最先端の軍事衛星にかかわる取引に、欲をかきすぎて、各国秘密機関から命を狙われる身になる。
司法取引(これも日本ではなじまない)に応じ、20年の禁固刑を受け入れた主人公だったが、突然、大統領特赦を受け釈放される。しかし、依然、CIAの監視下、しかも、イタリアのボローニャで、名前を変えて生きることを強いられる。しかも、そのリーク情報に、軍事衛星の情報事件で、鼻をあかされた各国がリベンジをかけて暗殺部隊が送り込まれる。
自分のおかれた状況を探りながら、本当の自由を手に入れるため、また、過去の悪徳ロビイストとしての自分と決別するため、そして、新しい人生の目標である女性との未来のために、主人公は、CIAの裏を書き、逃亡の選択肢を選ぶ・・・・
というような話、ヨーロッパで、違う名前の人間としていき、各国のスパイに狙われ、献身的な女性の手を借り、本当の自分お名前を取り戻すというストーリーは、ラドラムの『暗殺者』(映画ではマット・デイモンの『ボーン・アイデンティティ』)に似ており、主人公が、牢屋から出てきたおっさんというところが違うのだが、ボローニャでの隠棲生活や、男女の会話は、古いイタリア映画のようで、なんともほほえましい。
物語とは、ただ言葉を書き連ねればいいだけでなく、読み手の想像力、知識、経験、興味を想定して、必要最低限の説明でいい。後は少々意地悪や、はらはらはさせても、大どんでん返しはせずに、思ったようなハッピーエンドを与えてやればいい。いい作家、読ませる作家を、ストーリーテラーというけど、グリシャムや宮本輝、浅田次郎さんなんかが、自分では当てはまると思う。
小説の世界だけに限らず、人にモノを伝えるのが下手な現代人。会社にも学校にも政治にも家庭にもいいストーリーテラーが必要。グリシャムに学ぶなら、言葉を多く使うのではなく、相手の想像力を使いながら伝えていくということだろうか?