朴裕河『帝国の慰安婦』読書会〜(前) | Kenichiのブログ

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FBでも告知させていただきましたが、朴裕河さんの『帝国の慰安婦』について先日読書会があり、報告者を務めさせていただきました。
たまたまその数日前が著者の誕生日だったこともあって、朴さん本人ともFB友だちに登録していただく御縁も~。
年に数回くらいやる小さな読書会なんですが、今回はいつもよりやや多めの6人が参加して、話も尽きませんでした。
これを機に、そのとき僕が報告した内容を幾つかまとめておきたいと思います。



❶. 朴裕河氏は、細く険しい道をあえて歩こうとしている。
…この表現は、先月立命館大学を会場に行われたワークショップでも使われた表現です。
僕はそれと別に、中国の朱建栄氏を連想しました。
日本では時々テレビで中国寄りの発言をする論客のイメージがありますが、実は彼は中国のテレビでは、日本を擁護する発言をしているのです。



それが災いしてか、朱建栄氏は最近半年余り、中国当局に拘束されて行方不明になっていたこともありました。
最近ますます緊張感が高まる日中両国にあって、あえて「もう一方」の観方を伝え、相手に嫌われるのも辞さない…。
僕はそんな彼の姿勢に感銘したものです。
そして朴裕河氏にも、同じものを感じたのでした。
彼女の著書は韓国では裁判で出版停止まで求められるほど、激しい反発を浴びています。
けれど返す刀で日本の慰安婦否定論者をも鋭く切り、けして歓迎されていません。
まして日本の従軍慰安婦支援者の一部からも、やはり良く思われていない…。
そんな険しい道を歩く朴裕河氏は、まるで「雨ニモマケズ風ニモマケズ」…。
そんな人間に、僕もなりたい~と、宮沢賢治をリツイートしてしまいたくなります。

❷. そんな著者のスタンスを支えているのは、当事者の元慰安婦だったハルモニたちに寄り添うこと…。
彼女たちが絞り出すコトバたちを、自分の主張に沿ってつまみ食いするのでなく、同じ目線で耳を傾けること…。
そうすると時と場所によって、慰安婦たちのいろんな姿がさまざまに見えてくるのです。
慰安婦だった人たちを勝手に偶像化する韓国の否定者たちを、朴裕河氏は激しく批判します。
「多くの朝鮮人慰安婦たちは、日本の犠牲になった民族の英雄などではない。」
「むしろ日本兵と、不遇な境遇の仲間意識を持つことさえ、少なからずあった。」
その部分だけを取り出せば、日本の慰安婦否定論者たちを喜ばせるような言説にも見られがちですよね。
でも著者はそんな勘違い野郎たちにも批判的で、慰安婦たちの哀しさも当事者たちの目線から鋭く描くのです。

❸. そこから僕に連想されるのは、昨今のことども…。
大きな物語のために当事者を踏みにじって、躊躇しないひとたち。
シリアで人質になって殺された後藤ケンジさんならけして言わなかったであろう「テロリストたちを許さない」という文句で煽るひとたち…。
放射能の危険性を怪しい根拠で煽って、福島で苦労する住民たちを追い込んでしまう人たち…。



韓国の支援者は慰安婦問題を「正義の傲慢」として楽しんでいる~とさえ、朴裕河さんは言い放ちます。
そして日本の支援者たちも、自分たちの体制変革運動に利用して、かえって問題の解決を遠ざけてしまってはいないか…。

つづく~。