磐越西線の記憶 今も心に残る駅 〜喜多方その3〜 | スプーンの気まぐれ日記

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海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

前回はお昼まで記しましたが、この12時前後の列車については43.10の改正の前後で面白い変化がありました。

 

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昭和44年10月までは新津のC57が普通列車の大部分を牽いていました。

 

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やがてDD51の訓練運転も始まりましたね。

 

昭和42年の喜多方電化の頃、午前の早いうちから全線を走る普通列車225レ226レが、新幹線岡山開業の47年頃はなぜか郡山ー若松と日出谷ー新津、新潟の列車となり、若松ー喜多方には、急行「ばんだい」の回送を利用した電車普通列車が登場しました(1233M1234M)。スプーンは機会あるごとに喜んで乗車したものです。窓を開けていると車掌さんから『冷房つけているから窓閉めてね。』なんて言われて。ただしこの運転期間は短く、翌年には再び全線運転の客車列車1225レ、1224レとなってしまいました。喜多方始発の上野行き急行「ばんだい」は、登場時は13時発が最初の便でした。やがて43.10では12時台となり、そして11時台に落ち着きます。これに比べて上野から来る下りの「ばんだい(1号)」は、上野発が早朝ということもあり、喜多方着は最後まで11時台を維持してました。これらの上りの若松からの回送と下りの若松への回送が短い期間、電車普通列車であったわけです(方向幕を快速表示にする時もありましたっけ)。

 

JPEGイメージ-44451E2E07E7-21番ホーム(右側)が1233変じて4208M急行「ばんだい2号」2番ホームが早朝上野を発って来た4101M急行「ばんだい1号」。これが折り返し1234Mとなって若松に一旦戻るのです。

上野と喜多方を結ぶ急行が2本並ぶ光景は、今思い出しても華やかでした。

 

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一旦若松に戻った編成は回送で3番ホームにやって来ました。

 

喜多方発着の急行「ばんだい」は、上りが定期2本季節1本、下りは定期2本で晩年まで運転されました。季節運転の上りは17時台の発車で、日中線の夕方の上り列車から乗り継ぎが出来た時代もありましたね。

 

話をお昼に戻して、郡山発新潟行き普通列車を見送ると次の列車までおよそ1時間、駅は見た目には休息の時間。まあ13時台に上野行があった頃は慌ただしかったでしょうけど。この後は今朝下り1番で新潟へ向かった気動車普通列車が若松行きとなって戻って来ます。キハ17や35、23、45、28などバラエティに富んだ4輛編成で、若松折り返しで今度は新津行きでふたたび西へ向かうのです。そして同じ時間帯で上野行きと新潟行きの気動車急行「いいで」が喜多方で交換します。のちに交換は若松になりましたが、このタイミングもさぞにぎわったことでしょう。この時間帯は気動車にそれほど興味が無かった当時は、スプーンはあまり駅には来なかった様ですね。記憶もおぼろげです。駅舎の中には今から想像も出来ない、とても立派な進路選別式の継電連動盤がデン!と鎮座してました。そして脇に山都側の通票閉塞器がマスコット的に存在を主張していたものです。

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上り列車は喜多方までタブレットを携えてやって来ました。

 

駅舎は入り口左手に出札口と事務室、正面が改札口、右手にキオスクの売店、降車改札口に通じる出入り口脇に伯養軒の立ち食いそば店があって、お金が無い時はトッピングの天ぷらだけ売ってもらったこともありました(笑)。

 

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下り本線の2番ホームの端には通票の授け器があります。貨物は通過する列車もありました。

 

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昼前から夕方にかけて、1~2時間おきに上野行きの直通列車が4本も発車するという、今ではちょっと想像つかないような華やかな時代を見て来ました。盆暮れの時期は帰省客のUターンで、暑い中寒い中「ばんだい」の自由席を求めて貨物上屋に行列が出来たのも懐かしい思い出ですね。15時台に発車する「ばんだい」は、下りの1号が3番ホームの1本向こうの架線のある留置線で待機していた編成です。山都側に引き上げてホームに入線したと思います。1234Mの運転があった時代は回送列車で3番ホームに戻って来ました。

 

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1番ホームの向こう側に見える貨物側線用の上屋が盆正月の臨時待合所になりました。朝から11時発と15時発の上野行きの自由席を求めて列が出来ました。

 

上野行きの2本目の「ばんだい」の発車が15時台に落ち着いた時代、直前に日中線の機関車が、若松から短い貨物を牽いて2番ホームにやって来ます。朝と違って逆向きです。昔はC12、C11。晩年はもちろんDE10単機回送でした。この機関車が入換作業を終わり、朝から日中線ホームに停車している客車を連結すると程なく16時。客車普通列車の新津行き233レと郡山行き228レがほぼ同時にやって来て駅は通学生で溢れかえるのです。この片鱗は現在でも見られますね!

 

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朝とは違って日中線専用の4番ホームから逆向き牽引で混合列車623レが発車します。機関車の次位の貨車は加納切り離し、客車の後ろの貨車は熱塩からの帰りに各駅で切り離すのですが、機関車と客車の間に貨車が入ると当然暖房が使えません(泣)。

 

それからおよそ1時間ほど列車の行き来が途絶えると、待っていましたとばかり、スイッチャーによる貨車の入換が始まります。下りの急行「あがの」新潟行きが来るまでに済ませなければなりませんから、結構忙しいようです。

 

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下り列車につなぐ貨車は3番ホームの南側にある側線、上り列車につなぐ場合は1番ホームにやって来る列車につなぐ場合は貨物側線、3番ホームに入る列車用は下り列車と同様に電工側の側線に組成・用意されるのです。

 

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3番ホームの外側の側線が貨車で塞がっている場合など、急行「ばんだい」用の455系6連は日中線の踏切向こうに待機することもありました。

 

さて、仙台から上り列車の列車番号のままでやって来る下りの急行「あがの」は、若松から2輛増結して8輛編成。若松以西では最長編成で、何と喜多方の2番ホームには収まりません。急行「いいで」がキロ付き3輛(後に4輛)ですから、その差は圧倒的です。もっとも急行「いわき51号」が増結された下り列車は6輛とかだったわけですけれども。

 

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堂々8輛編成の急行「あがの1号」913D。記事に記した時代は勿論非冷房で、キハ55もよく入りました。

 

 

 

17時台には下り貨物、季節運転の上野行き急行「ばんだい」、堂島、及川、姥堂、会津豊川停車の普通列車新潟行き、熱塩からやってくる日中線混合列車の到着がありますが、C11の時代は日中線がいちばん賑わっていました。624レが4番ホームにすべりこんで行くタイミングで3番ホームに入る「ばんだい」が並走したり。昭和電工の終業のサイレンも聞こえていましたっけ。C11は貨物がある時は入れ換え、機回しと給炭給水を済ませて次の18時半発の熱塩往復に備えます。

 

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624レが到着。早速機回しです。ポイント切り換えのモーターの動きと音を飽かずに楽しんだものです。

 

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北側(道路側)の線で機回しを行いました。

 

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味のある給炭台と給水塔。

 

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日中線開業時は向こう側に転車台があったそうです。

 

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そして再び下り列車(625レ)の先頭に立ちます。加納までの貨車がついているところから623レでしょう。C11254はテールライトも特徴の一つですね。

 

18時台では上りの急行「あがの2号」仙台行きが発車すると本日全線通し運転では最終となる新潟行き233レ、郡山行き232レがやって来ます。しかし実家では概ね夕食の時間であり、駅に汽車を見になんてワガママは言ってられません。なのでこの辺りの記憶はほとんど無く、時々乗車した野沢行きの235レで下車したことや、祖母の葬儀で上野から20時台に到着する急行「ばんだい」に通しで乗って来たことくらいしかありません。郡山発野沢行きの235レは晩年まで、若松からC11が牽きました。喜多方では3番ホームに停まり、客車前2輛で野沢まで行きました。休日は喜多方止まりです。これに日中線からの上り626レが若松側に連結し、回送列車として帰って行くのです。急行「ばんだい」の到着はその前だったか後だったかは資料が無いので不明です。続いて仙台からの急行「いなわしろ」が到着して、先ほど野沢に向かったC11の普通列車を後ろに付けた新潟発の会津若松行きがやって来ます。下りの最終は郡山発の日出谷行きで、上りの最終は早朝から2往復めの気動車普通列車です。このあたりになりますとさすがに見た思い出は無く、すでに布団の中でありました。そしてまた時折汽笛が響く貨物列車の夜が始まるのです。あー、良い時代でした。