地元の女性が殺到する旅館「鶴雅グループ 森の謌」

ベテランを超える「連携プレー」


小さな温泉旅館と違い、鶴雅グループの8つの旅館は、数多くの宿泊客が滞在する大型施設がほとんどである。多数のスタッフが、宿泊や飲食など様々な場所で、役割分担して働く。毎日のように、現場では様々な問題が起こっている。だが、現場にいるのは、経験豊かなベテランばかりではない。パートやアルバイト従業員、派遣社員など、様々な就業形態で、多くの人が働いているのだ。したがって、旅館の管理者があらゆる現場を見て回り、そこで起こっている問題に対応していくことは、現実的ではない。

 鶴雅グループは、旅館グループとして巨大化していく中で、この壁に突き当たった。もはやベテラン頼みのオペレーションだけでは、顧客満足度の現状維持すら難しい、ということだ。

 そして、この壁を乗り越えるため、鶴雅グループは「システム化によって現場で対応する組織」へと生まれ変わっていく。一部の有能なベテランだけに頼らないサービス、というわけだ。

 そして、スタッフ全員による密な連係を模索していく。「連携プレー」で、宿泊客に高い顧客満足を提供しようと考えた。一人ひとりが現場で起こった客の要望やクレームを、適切な部署に伝えていく。そして、時には一緒に解決していく。そのためには情報を共有し、指示や対応がどう実施されたかも従業員間にオープンにされなければならない。

 このため、鶴雅グループでは、携帯電話とイヤホン、マイクが一体となった「インカム」と呼ばれる機器をスタッフに配った。オープンしたばかりの森の謌ではまだ導入していないが、グループの他の旅館で採用し、カメラシステムまで館内に張り巡らせている。これらの機器を使って、現場の状況を「コントロールルーム」という専門部署で一元管理している。



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鶴雅グループの旅館のコントロールルーム(あかん遊久の里鶴雅)

問題が起きた時、そこにいる従業員では対応不能な場合もある。そんな状況を、カメラシステムやインカムなどが、コントロールルームに瞬時に伝えるわけだ。そうすれば、そこから必要なスタッフを、問題の現場に送り込むことができる。そうした出来事が繰り返されれば、必要なところに効率的にヒトを配置できるようになっていく。組織として、ムダなく客の要望に応えられるように変貌するわけだ。

 トヨタが高性能のクルマを、均質に作り上げているのと同じ手法だ。鶴雅グループも、こうした「均質サービス」への取り組みによって、現場で働くヒトのスキルや人間関係に振り回されることなく、高品質のサービスをムラなく提供できる。

 また、従業員にとっても働きやすくなる。ムダな作業や、対応不能な問題に追われることが減るため、付加価値を生む仕事に専念できる。だから、顧客満足度はさらに上がっていくことになる。

ムリにアンケートを集めない

 ここに、あらゆるサービス企業にとって重要だが、実行できていないことがある。お分かりだろうか。

 それは、「サービスが顧客にどう受けとめられたのか」を正確につかむことだ。

 これが分かれば、「満足」と評価されたサービスに集中すればいい。逆に、評価されなければ、ばっさりと切り捨てる。つまり、顧客が求めていないムダな「高級サービス」は、いくら頑張って提供しても、旅館の満足度を高めないからだ。

 「うちだって、顧客の満足度は調査しているよ」とおっしゃる方もいるだろう。確かに、多くのサービス企業は「顧客アンケート」を実施している。

 では、鶴雅グループがどのようにアンケートを実施して、どう利用しているのか見てみよう。そこには、アンケートで顧客の「本当の声」を抽出するきめ細かい努力がちりばめられている。

 グループの施設の全部屋に置いてあるアンケートだが、ムリに回収するようなことはしない。なぜなら、回収率を高めようと従業員の尻を叩けば、現場に余裕がある閑散期に数が集まってしまう。しかし、ムリに集めたアンケートは、そもそも訴えたいことが少ない客の回答である。だから、無難な答えばかりが並んでしまう。結果として、クレームが大量の回答に埋もれてしまい、見かけ上の評価数値が跳ね上がるのだ。これでは、アンケートが現場の実像をゆがめてしまう。

 だから、あえて客に回答を促さない。そうして客が自発的に回答したアンケートを、毎日スキャンしてデータ化し、集計している。その結果は、毎朝、グループ全館をつないだテレビ会議で発表され、情報が共有化される。他の旅館でのサービス状況や評価が見えるわけだ。だから、自分の旅館で新たな問題が起きても、他の施設の対応を参考にして行動できる。

「秘伝のサービス」の脆さ

 こうして見てくると、森の謌が人気を博しているのは、従来の老舗旅館がとってきたサービス向上戦略と、まったく違うことに気付く。

 これまでの多くの高級旅館は、ベテランが繰り出す「おもてなし」を中心にサービスが組み立てられていた。それは、他のスタッフでは真似が難しい「秘伝のサービス」とも言える。だが、ベテランが去ってしまえば、サービス継続の危機を迎えてしまう。また、そもそも「供給者の論理」で提供するサービスが、本当に客の支持を得ているのかも正確には把握しにくい。

 ところが、鶴雅グループは、高レベルのサービスをシステム化して提供していく。カメラシステムやインカム、アンケートなど、現場での情報共有により、組織で高いサービスを追い求め、対応していくのだ。そのための強力なバックヤードが築かれている。

 それはビュッフェが典型例だろう。ベテラン調理人がいくら「これがうまい」と言って作った料理も、客が手を付けず、小皿が戻ってこなければ、もう作ることができない。逆に、客が支持する料理は、スタッフが集結して次々と調理していくことができる。

 ムダは削られ、その余力で付加価値を生む作業にスタッフが専念していく――。

 そして、ヒトに頼らずハイ・サービスが提供されていくわけだ。品質のムラも少ないため、「この前はいいサービスだったのに…」と客を失望させることもない。

 オープンして間もない森の謌だが、すでにリピート客が目立つようになってきた。それは、「期待を裏切らない」ための強力なバックヤードが機能していることを如実に物語る。そして旅館は、トヨタ生産方式をも内包して、高次元の集客戦略を構築する時代に入っていく。



<日経ビジネス記事より>


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