写真は夫の初診から闘病中、そして夫が天国へと行ってからの私のメモ帳。

これを開いて読むのは辛いけど、このブログを書くにあたって、私の失われた記憶がここに記載されているので、このメモ帳をたまに開いてブログを書いている。



夫が亡くなり初七日を終え、私はクリニック閉業に向けて動き回った。


先ずは全患者さんへ、院長の死去、クリニック閉院のお知らせと今までクリニックに足を運んでくださったことの感謝の言葉を入れ、送付した。

その後の患者さん達からのお手紙やお供えの花が毎日届いた。

当初はその手紙は辛すぎてとても読めなかった‥。


クリニック閉院。

その直後のこと、卸業者の営業の方がこのクリニックをそのまま使いたい新開業医を探し、2名の若い医者が別々で下見に来られたが、一人の先生は、店舗代が高いということで断念、もう一人の先生は、クリニックが広すぎるということで断念した。


そうこうしてる間もない。

1ヶ月の店舗代は70万程だ。

私は、夫が生前話してたように

「クリニックは店舗代がバカにならないから、直ぐに閉鎖して原状復帰工事をするように。」


私は、即工事を依頼した。


開業当時、3つの店舗になっていたところを借り、それを1つのクリニックを作る工事をした。

店舗を離れる際は原状復帰をしないといけなかった。

開業のときも工事を手掛けた義理の兄の会社に依頼したので、原状復帰も同じく義理の兄の方に依頼した。

しかし、開業の工事代をかなりぼったくられてしまっていた。 

当初は夫も私も相場というものを知らなかった。

ぼったくられてることが判明したのは、医師会の事務長との面談のときである。

また、顧問税理士からも指摘され、夫は医者仲間からも言われたそうだ。

しかし、夫は私の義理の兄ということで、目を瞑っていた‥。

本当は閉業の工事も頼みたくなかったのだが‥。

原状復帰をわかっているのも義理の兄だし、お願いするしかなかった‥。



また、店舗代がかかるため、原状復帰工事を1ヶ月で終わらせるように。と頼んだ。


また、その間私は、医療機器のリース会社の解約の手続きをしたり、在庫の薬品等を卸業者に引き取ってもらったり、リサイクルに出せる物は売って、それ以外のものは、医療廃棄物処理業者に引き取りに来てもらってと、フル回転で動いた。

突然の院長の死とクリニック閉業ということで、各業者の方々もかなり驚き、悲しんでいた。

レンドゲンフィルムの機械の担当の方は、泣きながら機械の撤去作業をしていた。

この担当の方は、定期点検で、クリニックの昼休み中に来てくれていて、昼休みはほぼ、夫しかクリニックにいなかったので、夫との顔合わせやコミュニケーションをよくとっていたのだ。

「あんなに優しかった先生が‥」

と声を震わせて泣いていたのを思い出す‥。


また、保健所への手続き、医師会の手続き‥国保、社保への連絡など、全て一人でやるしかなかった。


本当に大変だった‥。


夫との開業準備をしていた時のことを思い出す。

あの頃は二人とも夢を描いて前向きであった。

開業準備はとても大変だったけど、二人で乗り越えることができた。


今回は違う‥

開業準備と全く同じ場所、同じ業者などと手続きをする。

開業でなく、閉業の手続きである。

心の中も辛く、後ろ向き‥。


夫の生前はとても良くしてくれた企業の人たちも、夫の死後は対応も変わることも何件かあった。

所詮ビジネスでしかなかったんだ‥。


クリニックの原状復帰工事を何度か見に行き、現場で働いてくれている人たちに差し入れをしたりした。

壊れていくクリニック‥

夫の拘った、待合室、南国のイメージ。

天井は青空の内装。

みんな、壊されていく‥。


私は泣きそうになるのを我慢して、帰りの車の中で大泣きをしていた。


続く‥

















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