(鶴岡八幡宮②から続く)
【2024年5月25日】
かつての「相模国一之宮」である鶴岡八幡宮の本宮に繋がる大石段。
61段ある急角度の石段は、日本史の中で有名な一場面の舞台として知られています。
それは大河ドラマ「鹿倉殿の13人」の中でも描かれた、鎌倉幕府三代将軍・源実朝の暗殺事件。
西暦1219年、とある雪の夜。
朝廷から右大臣を拝命した源実朝は、鶴岡八幡宮にて拝賀の儀を行いました。
その帰り道、大石段を下りてきた実朝を、石段の脇にあった大銀杏の陰に隠れていた一人の男が襲撃。
実朝を暗殺して首を獲ったのは、二代将軍・源頼家の子で、実朝にとっては甥にあたる公暁でした。
父親と兄を執権の北条氏に殺され、将軍を継ぐ事も叶わなかったという恨みがある公暁は、実朝に続き、親の仇である北条義時も殺そうとします。
しかし、残念ながら、その場に義時の姿は無く、間違えて斬り殺したのは実朝の側近だった源仲章。
実朝の首を持ったまま逃走した公暁ですが、捕まって殺害されてしまいました。
実朝には跡継ぎとなる子供が無く、公暁も殺された事で、源氏の正統な血筋が途絶えたという部分では大きな事件でした。
この源実朝の暗殺事件は史実のようですが、大銀杏に隠れて~の部分は後世に作られた創作だといわれています。
大河ドラマも観ていたので、あのシーンがここで…と思うと、また味わい深い気持ちになりますね。
大石段を上り切ったところに立っているのが、本殿の入口となる楼門。
鶴岡八幡宮に祀られている主祭神は、武家の神様として広く信仰されている「八幡神」。
応神天皇(誉田別命)と、その妃である比売神、母親である神功天皇の三柱を「八幡三神」として祀っています。
平安時代、相模守だった源頼義が前九年の役の戦勝を願い、京都の石清水八幡宮から八幡神を勧請して建てた「鶴岡若宮」が鶴岡八幡宮の始まりと伝わっています。
それ以降、関東武士の守護神として源氏、北条氏、足利氏、後北条氏、そして徳川氏から厚い信仰を受け、保護されていきました。
全国の神社では、鹿や牛、兎など様々な動物が「神様の使い」とされていますが、八幡宮では「鳩」が神様の使いとなっています。
楼門に掲げられた額の「八」の字が鳩の形になっているのは、多くの人が知っている有名な話ですよね。
楼門を潜った先には、主祭神の八幡様が祀られている本宮および拝殿がありますが、撮影禁止ということで写真は無し。
多くの彫刻が美しい本宮は、江戸時代、11代将軍の徳川家斉によって再建されたもので、現在は国の重要文化財に指定されています。
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本宮への参拝を終えた帰り道、大きな石が2つ置かれていました。
こちらの「鶴亀石」は、水で洗うと、表面に鶴と亀の紋様が現れるという非常にめでたい石とされています。
とはいえ、いきなり水をぶっかけて確かめる訳にはいきません(笑)。
雨の日なら、ちょっとは分かるのかな?
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朱塗りの社殿が多い中、黒塗りが特徴的なのは「白旗神社」。
「白」なのに黒いんですね(笑)。
北条政子によって創建されたとされる白旗神社には、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝公と、三代将軍の源実朝公が祀られています。
戦国時代、天下統一を目前としていた豊臣秀吉は、小田原征伐を終えた後に白旗神社を参拝。
祀られている頼朝像を撫でながら「何もないところから天下を取ったのは貴方と私だけだよね」と語ったと伝わっています。
ただ「頼朝公は武家である源氏の生まれだったから、農民から立身出世した私の方が凄いよね~」とも語ったというのは秀吉らしいエピソードです(笑)。
社殿に掲げられている額には、
「武衛」の文字が。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていた人にとっては、思わずニヤッとしてしまう呼び名ですね。