日光街道の御宿場印を入手する為に訪れた、茨城県の古河市。

 

御宿場印に合わせて、こちらも一緒に入手しました。

 

 

いわゆる「御城印」ですね。

 

室町時代後期、鎌倉から古河に移ってきた関東足利氏が名乗った「古河公方」。

 

古河を本拠地として、室町時代から戦国時代にかけて、山内・扇谷上杉家や後北条氏などと関東の覇権を争いました。

 

古河に移り住んできた初代古河公方が、現在の茨城県古河市に築いた御所が古河公方館。
 
当初は古河公方館を居館としていましたが、後に修復を終えた古河城へと本拠を移す事になります。

 

 
その御城印に描かれているのは、実質的に最後の古河公方となった足利氏姫。
 
天正11年(1583年)、第5代古河公方だった父親の死によって9歳で家督を継ぎますが、この時点で古河公方は北条氏の傀儡状態だったので、ほとんど実権は無かったようです。
 
それでも立派な「女城主」であり、「姫公方」である事に変わりはありません。
 
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東遠征によって北条氏が滅亡したのに合わせ、古河公方も消滅。
 
秀吉によって古河城を追われた氏姫は、再び古河公方館を居館として生涯を終えます。
 
 
江戸時代には古河藩の藩庁が置かれ、古河藩主の居城となった古河城。
 
位置的に江戸を守る北の要所の一つとされ、幕府の大老や老中といった重臣が歴代藩主を務めました。
 
また、徳川将軍が日光社参を行う時には、古河城を宿所の一つとしており、北関東では権威のある城だったようです。