日本サッカー協会が、唐突に発表したハリル監督の解任ですが、様々なところで波紋と憶測を呼んでいます。

 

その中で、鹿児島出身の元日本サッカー代表の城彰二氏が、サッカーだけでなく、ビジネスにも通用する議論を展開していたので、興味深く拝読しました(「マイアミの奇跡メンバー城氏が語る。『ハリル解任と西野新監督の問題点』」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180410-00000001-wordleafs-socc)。

 

城氏は、日本サッカー協会の問題点について、次のように指摘します。

 

 つまりビジョン、指針がないのだ。

 日本がワールドカップ初出場を決めた20年前から何も変わっていない。

 3年前にアギーレ監督を解任した際にも、私は同じ指摘をした。ブラジルワールドカップでベスト16に進出できなかった理由をしっかりと総括しないまま、監督の実績とネームバリューだけで、海外から監督を連れてきてリサーチ不足もあって失敗した。そしてハリルホジッチ監督を呼んだときにも論理的な説得力に欠けていた。日本が世界で勝つために目指すサッカーは、どういうものか。何が足りないのか。そのサッカーを構築するために、今求めている監督像は、具体的にどういう条件を満たす人なのか。

 

結局、長年にわたって、日本代表サッカーはどうあるべきなのかという課題について、協会上層部が真剣に分析・検討を行わずに、知名度や実績のある海外の監督に丸投げをして、問題を先送りし続けてきたことが限界に達したという見方のようです。

 

『失敗の本質:日本軍の組織的研究』で見られるような、上層部の不作為や現場への責任転嫁という、日本的組織の体質を体現したような展開です。

 

問題は、日本代表レベルだけでなく、次の世代を巻き込みながら、日本サッカー界全体が閉塞感に包まれる可能性があること。

 

ここらへんの視点は、城氏が単なる「サッカー馬鹿」(失礼な言い方かもしれませんが)ではなく、スポーツ・マネジメントについても学んでいることを感じさせます。

 

 選んだ監督によってサッカーのスタイルがコロコロと変わるサッカー協会の指針の曖昧さの影響は、育成世代にも及んでいて現場の指導者が困惑している。どういうスタイルのサッカーに適応する選手を育てればいいのか、どういうサッカーのベースを教えていけばいいのか、が見えないのだ。

 監督任せの“その場主義”では、次の世代も育ってこない。代表チームが停滞すると、日本のサッカー界全体が閉塞感に包まれることになる。いい加減、サッカー協会は、これらの“負の連鎖”に終止符を打つべきである。私たちは、日本のサッカーの将来像をこう描き、だからこそ、こういう理論、指導力、ゲームマネジメント力を持っている監督を呼びましたと、明確なビジョンの下、監督選考をしていかねばならない

 

「現場主義」という言葉は聞こえは良いですが、裏を返せば、トップ・マネジメントが果たすべき役割を放棄している可能性も。

 

組織のトップは、ビジョンを語り、それを組織の下層や利害関係者に対しても、認識・共有させることができなければ、組織の活性化は図れず、停滞を招く可能性があることをサッカー日本代表の事件は示していると言えます。