認知症発症の末、平成30年に亡くなった母、サチコさん。
認知症介護の日々を思い出すと、つらいことも大変なこともたくさんあったけれど、今ではようやくそのほとんどを笑い話にできるようになった。
数多の記憶の中で、認知症の介護というのはこういう不測の事態の連続なのかと実感した出来事がある。
「ゆき、お母さん立てなくなってる」
起床直後の私に、父アキラさんが放った一言は、早朝プチ地獄の開幕の合図だった。
ことの発端は、認知症の母サチコさんを、それまで通院していた病院から転院させたことにさかのぼる。
最初に受診した病院は、地域でも中核を担う比較的大きな総合病院。
MRI診断の結果、アルツハイマー型認知症と診断後、そこからかかりつけ医に治療がバトンタッチされ薬が処方された。
薬はアリセプト。
アリセプトの効果のひとつに『意欲を向上させる』というものがあるが、まさにこれが曲者だったのだ。
意欲の向上=脳を活性化させる
この図式が成り立つと想定すると、脳は一種の興奮状態におかれると考えられるのではないかと思う。
アリセプト服用開始後、サチコさんは切り裂きジャックに変身した。
家の中の布団や自分のバックなど、目につくものを切りまくり、アキラさんがいくらなだめても、サチコ・ザ・リッパーは止まらなかった。
「お母さん、切っちゃだめだよ。ボロボロになっちゃうだろ。なんで切るの」
「いいんだよ、切らなきゃダメなんだよ」
こちらにはわからない行動原理にもとづく切り裂き行為なのだろうが、そんなものアキラさんには理解できない。
アキラさんはアキラさんの常識に基づいて、物を切るサチコさんを止める。
サチコさんは自分の行動を妨害され、興奮状態になり怒り悪態をつく。
毎日毎日、ハサミを武器に家の中の物を切り裂き、暴れまわったサチコさんが、その矛先を人に向けなかったことだけが救いだった。
この辺りでアキラさんひとりの介護に限界がきて、私も途中から介護に参加することになる。
介護に介入する決心
「医者、変えよう。今のままじゃ、アキラさんが疲れてダメになっちゃうよ」
「でも今の医者がこれでいいって言ってるんだから、わざわざ遠くの医者まで行く必要ないだろ」
私が見つけた認知症の治療を得意とする医師がいる病院は、自宅から車で片道30分ほど離れた場所にある。
通院にかかる時間が、今の、片道5分から30分に伸びることにアキラさんは難色を示した。
片道30分、往復1時間の運転は、70歳を過ぎたアキラさんにとって大変なのはわかっている。
それでも今の状態では、絶対にサチコさんの介護は近いうちに限界がきて、アキラさんが煮詰まり最悪の結果になるのは火を見るより明らかだった。
「私は、アキラさんが追い詰められて、サチコさんを殺しちゃうかもしれないのが怖い。
この状況でなお頑張るっていうのは、無理してるってことだからね?
だからもうちょっと介護が楽になるように、半年だけその先生のところにかかってみようよ。
ダメだったらその時、また私も一緒に考えるから」
アキラさんを心配しているのも本当。
それと同時に、アキラさんが発作的に、取り返しのつかない行動を起こすかもしれないという恐れも本当。
人間、何がきっかけでその一線を踏み越えるかわからない。
危ないかもしれない予兆があったら、早めに手を打たなければ手遅れになる。
特に、アキラさんは昔から、我慢してため込み爆発する人だったし、なによりうつ病を患っていたので頑張らせてはいけなかった。
傍観者でいることもできたけれど、その結果が望まない形で帰結してしまったら、きっと死ぬほど後悔する自分が簡単に想像できた。
だから、介護にきちんと参加しようと思った。
最善を選択するには知識が必要
サチコさんの介護に本気で参加すると決めてから、私はネットや本で情報を集めることに注力した。
認知症とはどういう病気なのか、どういう症状が出て病状進行のステージの目安はどんなものか、タイプによって症状の進行の速さは違うのか。
どんな薬を使うのか、薬の効果はどういうものがあるのか。
そういった知識を徹底的に頭に叩き込んだ。
私は、知らないことが罪なのではなく、自分が知らないと知ってなお、知ろうとしないことが罪だと思っている。
必要だと思う知識を仕入れ、いろいろな視点から判断をして、今のサチコさんには認知症の『正しい』治療が必要だということもわかった。
「サチコさんの認知症、アルツかどうか怪しい。
なんか症状が、アルツの人と違う気がする。
だからちゃんとした診断をしてくれる病院へ行こう。
半年だけ、私の提案通り治療させて」
二の足を踏むアキラさんを説き伏せ、認知症の治療を得意とする医師のいる病院へ転院。
再検査の結果、サチコさんの本当の認知症タイプがわかった。
前頭側頭型認知症(ピック病)と、レビー小体型認知症の複合型認知症
前面に大きく出ているのがピックの症状で、その中にレビーの症状が混じっているという、なんとも複雑な診断が下った。
ピックは興奮型の認知症と定義でき、治療薬は興奮状態を抑える方向の投薬が必要だった。
だが、ここでちょっと困るのがレビーの症状も持っているので、鎮静させすぎるのも問題という所だ。
サチコさんが存命だった頃の、地方の医師の認知症診断はほぼアルツハイマー型一択だった。
少なくとも、我が家の周りで発症した認知症のタイプは、アルツと診断された人しかいなかった。
アルツとそれ以外を見分けられる医師が、極端に少ない。
私はそう感じたし、最初に受診した総合病院の医師が、MRIを見たのにアルツと判断したのは、知識不足か誤診だと思っている。
アルツは脳全体が委縮していく。
ピックは前頭葉と側頭葉を中心に委縮していく。
転院後、検査結果の説明の際、医師が見せてくれたCT画像を見ると、確かに脳全体ではなく前頭葉が比較的大きく、側頭葉がやや委縮しているのが素人の私でもわかった。
「大体の医師は、認知症状がでるとアルツハイマーと診断するから」
新しく主治医になる医師が何気なく零した言葉に、私は心の中で最初の診断を下した医師に悪態と、これ以上ないほどの毒を吐いた
サチコさんはピックの症状が強く出ていて、なにかにつけ高圧的ですぐに興奮する。
アルツの薬は、脳を興奮させる作用があるから、サチコさんにそんな薬を服用させたら、火に油どころかガソリンを注ぐようなものだ。
だからサチコさんは、興奮して切り裂きジャックになった。
興奮してる時のサチコさんの顔は鬼のようで、まるで般若の顔をしていた。
もしもあの時、認知症という病気について徹底的に調べなかったら、今、どうなっていただろう?
転院して治療法を変える選択をしなかったら、主介護者であるアキラさんはどうなっていたんだろう?
頑張りすぎるアキラさんは、サチコさんに対して最終的にどんな選択をしたんだろう?
医師の診断を鵜吞みにして、アリセプトを飲ませ続けていたら、サチコさんは人としてどうなっていただろう?
介護をしていた頃を思い返すと、いくつも浮かんでくる、我が家がたどったかもしれない未来。
あの時、しぶるアキラさんに当時知り得たすべての知識を根拠に、転院を押し切ったことは間違っていなかったと思う。
『知る』ということは何にも勝る力になるのだと、心の底から実感した出来事だ。
薬の効き目が予想以上だった
転院後しばらくして、サチコさんが夜、なかなか寝てくれない日が続きそれに付き合い、連日夜更かししたことがあった。
以前にも寝ない日はたまにあり、そんな時はサチコさんを放置して先に眠っていたのだが、ある日サチコさんは家の中を徘徊した挙句、トイレで粗相をして大惨事を引き起こした。
眠りの浅い私はその気配に目が覚め、惨事を発見したとき本気で膝から崩れ落ちた。
夜中の二時過ぎに、汚れたサチコさんの下半身を綺麗にして、そのあと汚れたトイレの床を掃除するのは精神的にとてもきつい。
心が折れた。
そんなとんでもない前例があったため、サチコさんが寝ないときは寝付くまで一緒に起きていなくてはならず、こちらは睡眠不足になって体がまいってしまう。
定期受診の日に相談すると、睡眠導入剤が出た。
「この処方量なら、朝には抜けちゃうので、そんなに心配はいらないと思います」
主治医からそう言われて、就寝前にサチコさんに指示通りの量を服用させた。
結果、朝起きたとき、サチコさんは立てなくなっていた。
立たせようとしても体がぐらついてしまい自力で立っていられず、話しかけても反応が鈍く、眠気が極まった子供みたいな反応しか返ってこない。
「これは多分、薬が残ってるねぇ」
「薬がダメだったのか。医者の診断が間違ってるのか?」
「そうじゃないよ、おそらく効きすぎちゃったんだよ」
「俺も同じもの飲んでるけど、なんともない」
なんの因果か、ウツで入眠障害を患っているアキラさんの薬と、サチコさんに処方された薬が同じ上に、一回の処方量まで一緒だった。
「アキラさんとサチコさんじゃ、代謝速度が違うんじゃないかな。
毎日飲んでるアキラさんは、多少なりとも耐性ができてるだろうから効きが緩いんじゃない?
体外への排泄時間にも個人差があるから。
薬の半減期はあくまでも目安だよ」
「半減期ってなんだ」
「薬の血中濃度が半分になる時間。
半減期が短い薬ほど、体から抜けやすいってこと。
この薬の半減期は7時間だけど、みんなが同じ速度で抜けるわけじゃないんだよ。
サチコさん、代謝悪いのかもね」
アキラさんは医者を変えることに懐疑的だったから、こうなるとまるで鬼の首を取ったかのように、やっぱり医者を変えたからだと言い募る。
このマイナス思考は本当に面倒で、この先何度もアキラさんのマイナス思考攻撃を食らうことになる。
「治療方法を変えたばっかりなんだから、今までと違うことが起こるのは当たり前だよ。
すぐにダメだって結論ださないで。
暴れまわってた今までに比べたら、今のサチコさんの方がましじゃない?」
「…そうだな」
ちょっとしょんぼりして、アキラさんは沈黙した。
親を言い負かす罪悪感はあったけれど、ネガティブビームを放つアキラさんに同調してしまったら、
「なんで私だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ」
という被害者意識の沼にはまり、互いにつぶれてしまう。
だから私はアキラさんの前で、気の強い娘でいなければいけなかった。
間違ったら謝るけれど、それ以外ではほぼ引くことはしない、強気な態度でアキラさんを引っ張っていくのが私の役目だったのだ。
反応の鈍いサチコさんに、誤飲させないよう慎重にご飯を食べさせた頃、デイサービスのお迎えが来た。
送迎の車に乗せるため立たせてみるものの、足が安定せずフラフラするから、サチコさんも怖がって座り込んで駄々をこね始め、半ギレ興奮状態に突入。
スタッフさんがどんなになだめても、動く気配すらない。
時間もないことから、他全部の人を迎えに行ってもらってから、もう1度我が家にお迎えにきてもらうことに。
再度のお迎えで、転倒を心配したスタッフさんが、サチコさんを車椅子に乗せ連れて行ってくれた。
認知症は、大人が子供になっていく。
頭の中は子供なのに、体は大人だから介護者は精神的にも肉体的にも負担が大きい。
この時のサチコさんの体重は、60kgを超えていたのでとても抱っこなどできない。
諸共にこけて、大けがをするのがオチだ。
帰宅後、スタッフさんにサチコさんの施設での様子を聞くと、1日のほとんどをウトウトしていたらしい。
市販薬でも安心できなかった
サチコさんは鎮静作用のある薬が、本当に良く効いた。
だから他の人が大丈夫な薬でも、強力に働いてしまい立てなくなるということが起る。
導入剤を半錠に減薬しても、同様のことがおきたため、サチコさんに導入剤を使うという選択は封印せざるを得なくなり、以後、何度かトイレ大惨事を引き起こした。
まあ、仕方がない。
導入剤の他にも、一部の薬にたいしてサチコさんの体は過剰に反応した。
「ゆき、お母さんが立てなくなった」
ああ、アキラさんのこの一言から始まる朝は、いったい何回目だろうな。
「あ? なんで? 昨日なんか薬飲ませた?」
「鼻水たらしてたから、風邪薬飲ませた」
飲ませた薬のパッケージに記載されている成分を、ひとつひとつスマホで調べていくと、抗ヒスタミンが眠気を引き起こすということに行き当たる。
そう、眠気=鎮静作用なのだ。
「アキラさん、私がいないときに薬飲ませるなら、抗ヒスタミンが入ってるか成分確認して」
「字が小さくて見えない」
「ならドラッグストアの店員に、眠くなる成分が入ってない風邪薬下さいって言って。
抗ヒスタミンがダメですって伝えて。
覚えられないならメモとって」
とにかく抗ヒスタミンがダメだとわかったので、アキラさんにしっかりと伝えたけど、この時のアキラさんは、明らかに面倒だという顔をしていた。
主治医の病院が近ければ、風邪をひいたらすぐに連れていけるけれど、なにせ片道30分の距離があるので、軽度な症状の時は市販薬を使用することで通院を回避するしかない。
アキラさんひとりでは、主治医に説明することもままならないので、私が帰省するとき以外の受診回避は必須なのである。
こんな出来事が何度かあって、私はサチコさんに飲ませる薬に関して異様なくらい詳しくなった。
主治医から新しく処方される薬があれば、ネットで調べつくし、副作用の内容も頭に入れる。
この頃になると、なにかあればアキラさんから私のもとに連絡があり、詳細な状況を聞き出したあと、私が主治医に判断を仰ぐというルートが出来上がっていた。
私は他県で暮らしており両親とは別居していたので、面倒でもこういう方法をとっていた。
それは私の精神安定のために必要なことであり、介護のために仕事を辞めてしまえば介護が終わった後、自分の生活が成り立たないためである。
そんなことが何度かあり、他の症状で新しい病院にかかるたび、医師にサチコさんの状況と服薬内容を説明すると、100パーセント
「娘さんは、医療関係者ですか?」
と、聞かれたのも今となっては笑い話である。
治療手段があるうちは希望がある
サチコさんは私が予想するよりも、ずっと薬に対して敏感に反応した。
鎮静作用を持つ薬だけでなく、意思疎通が難しくなってきた頃、明瞭にさせるために使った薬では、一番強い副作用である幻覚を引き当てるほど。
たくさんの副作用やら過剰反応を引き起こしたけれど、医師の処方は的確であったことは間違いない。
薬の処方時、主治医は起こりうる副作用をきちんと説明してくれたし、対処法も前もって教えられていたので、まったく不安はなかった。
アリセプトを服用していた頃のような、暴君になることはなかったし、機嫌を損ねても少し時間がたてば、いつも通りのサチコさんに戻った。
認知症の介護は、まったくと言って良いほど予想通りにいってくれない。
特に進行の速いピックは、一気に悪化する。
ケアマネさんが立てた介護計画が、その月の途中でまったく使い物にならなくなることが何度もあった。
2か月小康状態だったものが、たった1か月で3つも4つも症状が悪化する。
それでも、完全に打ちのめされなかったのは、
「使える薬はまだある。他の方法もまだ残っている」
という、多様なアプローチがある治療法だったからだ。
まだ手段が尽きていないということは、介護者にとって本当に一筋の希望であり、心の支えにすらなる。
我が家が選択した治療法が、一部の権威あるお医者様たちから『邪道』呼ばわりされているらしいと聞いたことがある。
少しだけ私見を述べさせてもらう。
認知症状が出たらアルツと診断し、バカのひとつ覚えのようにアリセプトを処方。
症状が悪化すればアリセプトを増量して、患者を壊しにかかる医師など、医師ではないと思っている。
過激なことを言うようではあるが、認知症患者の介護を経験した者からすると、信用できる医師に出会うまでは、介護者は正しく地獄を見ることになるのだ。
自由には責任が伴う。
選択した自由の結果がどうなろうと、その選択をしたものの責任。
それが自由の意味だと思う。
我が家は介護崩壊一歩手前まで行ったところで、治療法を変えるという選択した。
我が家が選択した治療法も万能ではなく、効果が見られない時には悩むこともあった。
それでも、転院の選択は間違っていなかったと言い切れる。
きちんと介護できるということ。
それは介護者の心と体が健全な状態でなければ、実現は不可能なのではないだろうか。